13
父のしゃがれた低い声には愉悦が潜み、異様に恐ろしく聞こえたことを、グステルは今でも覚えている。
『……よく見ておけ我が娘よ。私はお前を必ずあの方の妃にするぞ……』
その時の──父の、野望に満ちた瞳は忘れようとしても忘れられない。
暗い顔で薄く笑い、瞳は猛禽類が獲物を狙うように爛々としていて。それはそれは欲望に塗れた恐ろしい眼差しであった。
このとき、グステルははっきりと確信した。
自分はあのお話の悪役令嬢なのだ。
このままでは、自分は父の思惑通り、あらゆる汚い策略の末に彼の婚約者に据えられる。
そしてその後、彼女が王太子にすっかり夢中になってしまったあとで、彼の前には愛らしいヒロインラーラが現れるのだ。
結果、自分は激しい嫉妬に苦しみ、怒りに駆られて父と共に彼女を陥れてしまう。
その結末は──グステルの獄中での病死。
それは、物語を読んでいたときには、非道な令嬢の、哀れにも自業自得の結果として受け止められたが。
それがいざ自分の未来になるのだと思ったら、どうして大人しく受け入れたりできるだろうか。
そもそも自分が善人に対して罠を仕掛け、陥れるということ事態、受け入れ難い。
それに。
その結末は自分だけに及ぶものではない。
王宮からの帰り道。父はいつになく上機嫌だった。王宮を満足げに眺めながら……まるで、いずれ娘を通じて自分のものにするのだと言わんばかりの顔で悠々と闊歩していた父。
──その行く末も、彼女と同じように罪人とされるのだ。
グステルは、なんだか父の後ろ姿がとても哀れに思えた。
そして、彼女はこの時はじめて知った。
前世の記憶があり、もうとっくに大人の気持ちではあったし、こんな薄情な父など嫌いだと思っていたが。
そんな自分にも、確かに、この世での父に寄せる気持ちもあったのだと。
(……できることなら、家族にもいい未来が来るといいのに……)
権力ばかりを追い求めるのではなく、平穏に暮らしてほしい。そう願う自分がいることを知って。
グステルは家を捨てる決断をした。
自分という駒がいなくなれば、父の野望もついえる。
二人とも、少なくとも投獄の危機は避けられるはずと考えた。
家を出る時期を九歳のころに決めたのは、その直後から王太子の婚約者選定がはじまり、そのリストに自分も入ると知っていたから。
幸いなことに、彼女には前世の記憶があった。
彼女がもし本当のただの幼児ならいざ知らず。前世を生き終えた経験のあるグステルには、独り立ちする勇気は案外楽に出せたもの。
……まあ、そのようなわけで。
紆余曲折、元“悪役令嬢予定児”だったグステルは、今この王国第二の都市シュロスメリッサでただのぬいぐるみ屋として生きている。
開店時に店に迷い込んできた猫のユキと、店の奥にある自宅で細々と暮らしてもう九年。
彼女は断じて、ヘルムートが言うような誘拐などはされていない。
(ここでは実家の噂話なども耳には届かず、平穏に暮らせていたのに……)
小説の時系列で言えば、もう王太子とヒロインのラーラは、グステル抜きでもう出会っている。グステルが一抜けしたせいで、多少は物語の流れも狂ったかもしれないが……。
きっとその方が、彼らの恋愛は順調にいくはず。
初めは物語を変えてしまうことには抵抗もあったが、それももうここまで平穏に年月が経てばもう安心だと思っていた。
家を出て以降は特におかしなこともなく、普通に貧乏し、労働し、孤児としてここまでやってきた。
きっと二人は悪役令嬢の邪魔もなく、楽しく恋を謳歌しているはずである。
これでもう、私が悪役令嬢として死ぬ運命もきっと変わった。
(……そう思っていたのに……)
目の前に現れた青年を見て、グステルは改めてゾッとする。
彼女の目には、彼がまるで、狂ってしまった物語世界の運命をもとに戻そうとする、何か大きな力の使者のように思えて。
とにかくとても怖かった。
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