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126 キノコヘッド


 それを目にしたきつね色の髪の青年は、つい苦々しく言った。


「おい……お前その傷……。何をやっているんだよお前は……」


 自分の傷の様子を見ている家人しか私室にいないはずの状況で、唐突に何者かに責められたヘルムートは一瞬驚いて。

 だが、入り口に目をやり、開けられた戸口に立つ青年が自分の友だとわかると、彼はすぐに眉間にしわを刻む。


「……エドガー、お前……ノックぐらいしろ」


 あいかわらず遠慮というものを知らぬ友を横目でいやそうに見たが、エドガーはさっさと室内に入ってきて、ヘルムートの後ろに立っていた家人に声をかける。


「俺がやる、下がっていいぞ」

「おい……」


 家人を勝手に下がらせてしまった友人に、ヘルムートが抗議の声を上げるが、飄々とした青年にはこれまで通り一つもこたえた様子はなかった。


 ここは王都。ハンナバルト家の町屋敷。

 広い侯爵邸の二階にあるヘルムートの私室は、普段は彼が拾った猫やら犬がニャーニャーワンワン跳びまわっていて非常に騒々しい。

 だが……本日は猫が一匹ベッドのうえに寝そべるのみ。

 どうやら部屋の主が負傷したために、ハンナバルト家の夫妻が動物たちを別室へうつさせたらしい。

 エドガーは静かな室内を一度ぐるりと見渡してから、友の憮然とした表情を見た。

 ヘルムートはわかりやすく仏頂面だが、これはきっと傷を見られて気まずいのだろう。

 カウチに座ったヘルムートの後ろに回り込んだエドガーは、友の利き腕側の肩口にある傷にテキパキと手当てを施しながら、その痛々しさにどうにも納得がいかない。


「……お前なら、自分も怪我を負わずに切り抜けることができたのでは?」


 というのも、ヘルムートはかなり強い。

 もともとは体格的には恵まれていたものの、情け深い性格が災いしてあまり武道の類は好まなかった。

 訓練用の木剣でも、相手に痛い想いをさせるといつもメソメソしていたものだ。

 だが、彼の性格をよく知る父に『これから生まれる弟妹たちのためにも、兄としてしっかり稽古しろ!』と命じられた。

 当時は、侯爵家にはまだ子はヘルムート一人だったが、弟妹がほしかった少年には、父のその半分脅しともとれる『お前が守らねば、弟妹たちが将来誰かに虐げられるかも』という叱咤は、実によく効いた。

 以来、奮起した少年は、優れた身体能力もあって力を伸ばし、学徒時代のヘルムートは武芸の成績は常にトップクラス。

 弟妹ができてからは、それまで以上に身を入れて稽古するようになり、現在も名のある師のもとで研鑽を積んでいるから、剣術も体術も並の腕ではない。

 そうして長年つちかってきた能力は伊達ではないはずで。それを知っているエドガーは、あの急場でもこの男なら何かしら手はあったはずだと怪訝なわけだった。

 しかし、ヘルムートは仏頂面のまま口をつぐんでいる。

 どうも口を割らぬつもりらしい友に、(……そういうつもりなら)と、エドガーは彼の耳元でボソリと一言。


「……お前の怪我のこと、ステラ嬢はとても気に病んでいるぞ」

「う……」


 ここでやっとヘルムートの仏頂面が崩れた。

 グステルの名を聞いて、頑なだった表情をあっけなく苦悩に変えた男のその素直さに、エドガーはさらに呆れ顔。

 この男は友の心配はなんとも思わないらしい。まったくとエドガーは大袈裟に顔を歪める。


「やれやれ俺は悲しいよ、俺たちの熱い友情はいったいなんだったんだ……」

「(※聞いちゃいない)いや、あれは……仕方がなかった。抗えなかったんだ! 彼女が男に襲われそうな瞬間を見て、考えるよりも先に手足が前に出てしまった……」


 苦悶を浮かべる青年は、グステルに心配させていることがよほどつらいのか。ついには顔面を覆ってうなだれてしまった。

 その肩に新しい包帯を巻き終えたエドガーは、ふんと、鼻を鳴らす。


「気持ちは分からんでもないがな。そのせいで、今、ラーラだって気の立ちようが尋常じゃないぞ? お前、わかっているのか?」


 先ほど彼がこの邸に来たとき、出迎えに降りてきたラーラは、これまで見たこともないほどに冷えた目をしていた。


「今回、俺はお前のことをラーラに頼まれていた。それが結局、お前が怪我をして戻ったものだから、ラーラが俺に怒るのも仕方がない」


 そういったエドガーは、諦めをにじませた口調だったが、それでも表情の隅に落胆が覗く。

 友人のそんな様子に気がついたヘルムートは、申し訳なさそうにエドガーを見た。


「……すまん、何もかも俺のせいだ」

「いや、やめろ頭を下げるな。俺のことはいい。俺のことは」


 深々と頭を下げた男に、エドガーは手のひらを振って「それよりもラーラのことだ」と、真面目な顔をする。

 その言葉に、ヘルムートはため息をこぼした。


 もちろん彼も妹の異変には気がついていた。

 彼が家に帰ってから。ラーラは王太子や兄のことであれだけ深く沈みこんでいたはずが──最近の彼女は兄に笑顔を見せるようになった。

 だが、それは以前の妹が振りまいていたような、周囲を和ませずにはいられなかったほがらかなで花のような笑顔ではない。

 大きな怒りの末に、破裂した気持ちを覆い隠しているかのような、拒絶と苛立ちを感じる笑み。

 瞳は暗に『大丈夫だから、それ以上踏み込んでくるな』と言っていて、弓形の口元は硬く、その傷を語らなくなった。

 そんな妹には、ヘルムートとしても心配が募り、罪悪感が降り積もる。

 妹にそうさせているのは、自分だとわかっているからこそ。


「……怪我のことは、隠しておくつもりだったんだが……」


 ヘルムートが沈んだ声でそういうと、エドガーが「甘いな」と、それを斬る。


「お前はラーラを溺愛しているが、ラーラのお前への依存も相当だ。慕う兄に何か変化があれば、妹は気がつくに決まっている。女性は相手の些細な変化にも気がつく目に優れているからな、ラーラがお前の不調を見逃すものか」


 それがどんな小さな異変でも、と、いわれ、ヘルムートはぐうの音もでない。

 あの時、グステルを助けて受けた彼の傷は、けして浅くはなかった。

 だが、ヘルムートは、それを妹には悟られないように、完全に止血をしてから家に戻ったのだ。匂いも漏れないように油性の止血薬をしっかり塗っていた。

 しかし不幸なことに、急な雨に襲われてしまい、傷口を塞いでいた薬が流れ、わずかに血の匂いがもれてしまった。

 

 ヘルムートの瞳は困り果てていた。

 彼も、当時の状況の語れるところはラーラに語り、すべては自分の不手際であると説明したのだが……それがどうも彼女の心には届いていない様子なのである。

 それどころか、グステルを守りたかった気持ちを兄が語れば語るだけ、妹の態度は頑なになっていった。

 そんな妹の様子を悟って以来、彼は彼女にどう接すればいいのかがよくわからなくなってしまったのである。


「……以前のように、ただ言われるまま甘えさせていればいいのでは、ないような気がするんだ……」


 ヘルムートは悩み深い顔で考え込んでいたが……。彼もすでに、妹をなだめるために思いつく限りのことは、もう試したあとなのだ。その末の現在にため息をついて。彼は一旦気持ちを切り替え、傍らで、こちらも何やら重く考え込んでいるらしい友を見上げた。


「……それで、あの方は……?」


 不安を込めて、どうなさっていただろうかと訊ねると、エドガーが彼を見る。


「ん? ああ……ステラ嬢か?」


 と、沈んでいた友が破顔し、肩をひょいとすくめた。苦笑するように表情を変えた友に、ヘルムートが少し驚いて瞳を瞬いた。


「あのお嬢様は大丈夫だよ。こういってはなんだが、ラーラとは根性の据わり方が違うな」

「……エドガー?」


 この友は、グステルに愛想は振りまいていても、心の中ではあまり彼女をよく思っていないようだった。それが、褒めるようないい方をするもので、なんだかとても不思議だった。

 だが聞けば、エドガーは、あの事後の彼女の振る舞いを見て気持ちを大いに変えたらしい。


「彼女はすごいよ。あんなことがあったのに、感情的なところはさっさと切り上げて領地の問題に対応していた」


 彼女もいろいろと思うところはあったはず。

 自分の穏やかな生活をなげうって実家に戻り、その窮地に相対した。荒れた領地を見て、病に犯され、悪党に食い物にされていた父親を見れば、きっと彼女もつらかったはず。

 だが、そのつらさは見せず、テキパキと諸事を片付けていく姿はとても頼もしかったとエドガーは素直に称賛を口にする。

 その表情には、うっすら笑みすらも浮かんでいて。ヘルムートは、そんな友の眼差しから、()の人物の不屈の現在を感じ、沈んでいた心がほんのりと温かくなった。

 苦境にも勇敢な人の姿は、見る者の心を勇気づける。

 恋しそうな顔をする友に、エドガーは、まあ、と、愉快そうに付け加えた。


「どうやらご嫡男への対応には困っておいでのようだったが……しかし兄君も、久々に再会した妹君があのような傑物では、かまいたくてたまらんだろうしなぁ……」

「兄君……? フリード様のことか?」


 不思議そうなヘルムートを、エドガーは微妙そうに笑いながら見返す。

 どうやら彼は、以前の、グステルと出会う前の友のシスコンぶりを思い出しているらしい。


「やれやれ……なぜ俺の周りにはこうも尋常じゃない妹溺愛者が多いんだ……?」

「?」

「ま、とにかく。あの方は大丈夫だよ」


 そういい切る友の言葉にヘルムートはホッとする反面、なんだか少し寂しさも感じた。

 そのたくましさが清々しく嬉しい。しかしその反面、彼女は自分がいなくてもきっと平気なのだろうと感じられて切なかった。

 自分はこんなにも彼女に会いたいのに、と、ヘルムートがわずかに瞳を伏せた瞬間。彼の黒髪の後頭部がバシッと叩かれる。


「……、……何をする……」


 ムッとして、自分の頭を遠慮なしに叩いた男を睨むと、そのエドガーがいった。


「何しけたツラをしているんだ……ステラ嬢がなんのために励んでると思っている? お前に会いにくるためだろうが!」


 その言葉にめんくらっていると、今度はバシッと顔に何かを押しつけられる。


「⁉︎」

「じゃあな、俺はラーラのご機嫌伺いに行ってくる」


 いってエドガーはさっさと部屋を出て行った。

 残されたヘルムートの手のひらに、押しつけられたもの──白い封筒がひらりと落ちてくる。

 表面には彼の名前。裏返すと、そこに書かれていた名前にヘルムートが驚いて、彼は慌ててその封を切る。

 中から出てきた手紙に並んだ文字に素早く目を走らせて。そこでふっと、ヘルムートの肩から力が抜けた。

 その手紙には、優しく自分を案じる言葉がたくさん連ねられていた。

 まるで母親が子供を心配するような言葉の数々は、なんだか彼女らしかった。

 その温かさに。

 ヘルムートはこの邸に帰ってきて以来、はじめて微笑んだ。




 と、同刻。

 その悩み深い男を笑顔にした手紙の送り主は、げっそりした顔で青年に呼びかけた。


「ヴィムさん……」

「はい……」


 名を呼ばれたヴィムも、なんともいえない表情。

 その彼が気の毒そうに見ているのは、グステルの疲れ切った顔と、ボッサボサの頭。

 せっかくグステルが器用に編んでいたきれいな赤毛が、今や鳥の巣。

 かき混ぜられ、空気を含み、ぼわっぼわに膨らんだ繊維状のキノコのような頭を見て。ヴィムは何もいえず、ひとまず手荷物の中からそっとクシを取り出した……。


 そのグステルのキノコ頭を製作した犯人は、もちろん、フリードである。




お読みいただきありがとうございます。

きちんと保存できてなくて;一回丸ごと消してしまい、書き手絶望の126話でしたw



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