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123 兄妹

 


 気持ちはとても鬱々としていた。

 窓から見上げる空もどんよりと暗く、朝からずっと雨が降りつづいている。

 泣き続ける空を見上げていても、気持ちは沈むばかりだとわかっていたが、ラーラはそこから離れることができなかった。

 彼女がいる窓辺は心地良さそうなソファベンチになっていて、美しく整えられた邸前がゆったりと眺められる。

 いつもなら、ここから訪れる人や、やってくる馬車を眺めるのが、ラーラはとても好きだった。

 だが今は。

 本当に望む人の訪れはなく、自分を置いて飛び出していった兄もなかなか戻っては来ない。

 心が重くて仕方がなかった。まるで泥沼に放り出されてしまったかのように、どうしようもない気分だった。


 ──自分の兄にあんな約束をさせるなんて。


 それを思うと、泣きたくなった。

 出会ってからこのかた、兄は自分をとても大切にしてくれる。

 その兄の恋愛を、自分がこうも応援できないとは。

 だが、その横暴さを分かっていても、ラーラは兄の帰宅を願わずにはいられなかった。


「……早く帰ってきてよ、お兄様……」


 いやでも耳に入ってくる王太子とグステル・メントラインとの噂は、容赦無くラーラの気持ちを切り裂いた。

 このままでは心が泥沼の底に沈んでしまう。


 美しい黒髪と青紫の瞳の、頼りがいのある兄。

 昔侯爵邸で初めて出会った時、ラーラは心底驚いたものだった。

 こんなに立派な青年が本当に自分の兄なのかと。

 ラーラが昔住んでいた家とは比べ物にならないくらい壮麗な侯爵邸で迎えてくれた兄は、本当に物語のなかの王子様のようだった。

 彼は幼いラーラでは近寄り難いほどに、毅然として容姿も整っていたけれど、でも、実際にはとても優しかった。

 しかもその優しさは、万人に与えられるものではなく自分たち弟妹にのみ注がれるもの。母を失った孤独な少女には、それもとてもとても嬉しかった。

 兄と連れ立って歩くと、いつも羨ましそうな娘たちの視線が自分たちに注がれる。

 やっかむ令嬢たちの皮肉には困ったが、それも兄に大事にされるがゆえと思うと気分が良かった。


 ──それなのに。


 ラーラはため息をつく。

 今はその特権が根こそぎ奪われたような気分だ。

 自分があんなに悲しんでいた時に、兄はそれでも好きになった女のところに行ってしまった。


「……私のお兄様なのに……許せない」


 ついつぶやいてしまって、その恨みがましい響きにラーラは驚いた。

 大きな瞳がみるみるうるんでいく。

 以前の自分はこんなではなかった。

 もっと明るかったし、もっともっと前向きで、心の中に誰かを恨むような気持ちを抱いたことなどなかった。世界はもっと美しく、希望にきらめいていたはずなのに。


 しかし今は。

 兄の想い人のことも、王太子の気持ちをさらっていった令嬢のことも恨めしくてたまらない。その呪わしい気持ちがラーラの上にどんどん降り積もってきて、もう受け止めきれない。今にもその重みに屈してしまいそうだった。


「っ」


 ラーラは、こんな自分が嫌で嫌でたまらない。

 苦しくなって、窓辺で自分の膝を抱きしめて嗚咽した。

 怒りに蝕まれる自分が惨めでならなかった。


 ……と、しばらく泣き続けたころ、そばにふっと誰かの気配が近づいてきた。


「……ラーラ?」


 背中にあたたかい手のひらが降ってきて、ラーラはハッとして泣き顔を上げた。

 するとそこには兄の心配そうな顔がある。

 その顔を見た途端、ラーラの気持ちは堰を切った。


「お兄様!」


 帰ってきてくれた! その思いで兄にしがみつくと、兄はそっと彼女を抱き止めて頭をなでてくれる。

 その優しさに喜びを感じたラーラだったが、しかしそこで気がつく。

 抱き止めてくれる兄の身体はひんやりと冷たい。おそらく外に降る雨で服が濡れてしまったのだろう。

 濡れた繊維と皮の独特の匂い。そこに──かすかに血の匂いが混じっていた。


 驚いたラーラは瞳を見開いて兄の身体から身を離した。


「お兄様……怪我をしているの⁉︎」


 ラーラは兄の両腕をつかまえたまま、その身に異変を探す。しかし兄は表情を変えず、いいやと首を振る。


「大した怪我ではない」

 

 彼は心配するなと優しい顔でラーラをなだめたが……彼女は気がついた。

 兄の瞳はどこか沈んでいる。それはここを出ていった時、自分に跪いて懇願した時の兄の目と同じに見えた。

 心の底にある、大きな切なさを無理に呑み込んだ者の目。

 その兄の目を見た途端、ラーラのなかの泥沼が再び波打った。


 ──兄は、ここにいることを、自分のそばにいることを本心では望んでいない。


 そう感じた瞬間、ラーラは目の前が真っ暗になった。



「…………ゼルマ」


 ヘルムートが部屋を出ていったあと、ラーラは低く侍女を呼んだ。

 その表情は殺伐とした諦めに満ちている。

 やってきた侍女ゼルマは、聞いたこともないようなラーラの冷たい声に戸惑っているようだった。

 しかしラーラは彼女の顔は見ず、窓の外の暗い景色を睨んでいた。まるでそこに見えぬ敵がいるかのように。

 瞳には怒りの炎が渦巻いていた。


「調べてちょうだい。お兄様の怪我が本当に大したことがないのか。……もし、お兄様の怪我がひどかったら、私、相手の女を絶対に許さないわ……」




 そして同じ頃。遠く離れた街道上では、グステルが真剣な顔でいぶかしんでいた。

 ごとごとと揺れる車内で、いつも通りに背筋を伸ばして座り、難しげに腕を組んでいる。

 考えているのは、この世界の不可解さについて。

 状況はどうしてこうも奇妙なのか。

 ここは本当に、『ラーラの物語』のなかなんだろうか……?

 私は本当に“悪役令嬢グステル・メントライン”なのだろうか…………?


 彼女を困惑させているのは、物語上の運命ともいえる筋書きの大幅な変化。

 自分を憎むはずのヘルムートの異変や、兄の変貌。傲慢だったはずの父も、今や自分を政略の駒とはとらえておらず、再会を喜んでくれた。

 いや、それはとても嬉しいことではあるが……。その変化が劇的すぎて、極端すぎて。

 心底自分の悪役令嬢化を恐れて、人生を賭けて逃げ回ったグステルが戸惑ってしまっても仕方のない話ではあった。


「はっ! もしや(作者)、スピンオフ書いた⁉︎ ……いや、スピンオフじゃないか……パラレルワールド……的な……? え? 二次創作……?」


 ブツブツもらす娘は、あくまでも真剣。

 そんな彼女を隣で見ていたヴィムには、その言葉の意味はちっともわからなかったが。とりあえず、一旦止めようと思った。自分の目の前に座る大男の視線が、恐ろしかった。


「……ステラさん……あの、とりあえず、お兄様の差し出されているものを……」


 と、言いかけたところで、妹の態度に我慢ならなくなったらしいフリードが恨みがましそうな声でいう。


「……おい妹よ、貴様、そろそろ俺を無視するのをやめろ。俺様の腕力を試しているのか?」


 妹などちっとも愛しくないと言いたげな仏頂面で……しかし、手にした干し肉をずっとグステルの口元に差し出している男は不満そうに口をへの字に曲げている。

 言われてやっと兄を見たグステルは、警戒感がまるだし。狭い馬車内で、向かい合った兄を見上げる眉間のしわは、威嚇のためかピリリと深くなった。




お読みいただきありがとうございます。

誤字のご指摘いただいた方も感謝です!

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― 新着の感想 ―
[一言] ラーラが悪役令嬢?
[一言] 構ってちゃんがすぎるwww
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