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113 非情と表明



 アルマンは、床の上で身動きができずにる娘を、いかにも「うんざりだ」という顔で見下ろしながら手下に命じた。彼からすれば、自分の道を阻もうとする者は、誰であれ不敬極まりない愚か者で、十分処罰に値する。相手がまだ若いとか、女であるとか、そういったことは慈悲を与える要因とは感じなかった。


「こいつを始末しろ。あと、こいつの仲間も捕らえてくるんだ!」


 冷たく命じられた配下は、そのことでは特に動揺はしなかった。彼らの間では、こういった世間一般では無茶と感じられるようなアルマンの指示も、すでにもう幾度か繰り返されたもの。ただ、男は困ってしまう。


「え……で、でも公爵の捜索で皆出払っていて……」


 配下は人手が足りないと訴えた。それは当たり前の戸惑いであったが、アルマンは配下を雷のような声で怒鳴りつけた。


「少しは頭を使え! 公爵家に忍び込んだ悪党の仲間とでも言って、都の兵を動かせばすむだろう⁉︎ 何かを訴えられても戯言だと言い張れ! 兵を買収したって構わない!」


 その剣幕に配下は首をすくめた。この男は、トーアの時代からアルマンとつるんでいた男だが、さすがにここのところのアルマンの横柄さにはやや辟易していた。ともにいると贅沢ができるのはいいが、最近のアルマンは昔の仲間にですら、こうして頻繁に罵声を浴びせる。


(はー……いい気なもんだぜ、大抵自分の手は汚さないくせにな……)


 男は内心でぼやく。だが、無茶な命令もなんとかするしかない。特にアルマンは自分たちの裏での悪行に関することでは一層非情で、下手をすれば配下でも身が危ぶまれる。

 ──が、苦々しく部屋を出て行こうとした男を、アルマンが「待て」と、引き留めた。

 咄嗟に不満が顔に出ていたかとぎくりとする配下ではあったが、彼を呼び止めたアルマンが次に言ったのは、配下でも思いも寄らないことだった。


「北の家を処分しろ」

「え……?」


 躊躇いもなく、端的に命じられ。配下は一瞬何を言われたのかが分からず、踏み出しかけた足を止めてアルマンの顔に怪訝に見入った。するとアルマンは、まるで当たり前のことのように続ける。


()()を消すんだ。グリゼルダに何が伝わっても誤魔化せるように。火をかけて、丸ごと全部燃やしてしまえ。──女と子供も一緒に」


 途端配下の男が驚愕に目を見開いた。配下はうろたえて、思わずアルマンに迫っていた。


「で、でもアルマンさん、坊主はまだ子供で……」


 見知らぬ他人を処罰しろと言われても動じなかった男も、さすがにこの命令には混乱した。

 だが、アルマンはその言葉を、聞きたくないと言うように跳ねつける。


「だからなんだ。こっちだって生きるか死ぬかだ。構ってられるか!」


 アルマンにとっては、自分と金が何よりも大事だった。

 少年の頃から娼館で下働きをしていて、そこにくる客らが相手を気ままに取っ替え引っ替えするのを見て、『情などはいくらでも替えがきくもの』と冷めた目を育てた。

 そしてそのような場所でも、金蔓を掴むのは……特に、公爵家などという大きな金蔓をつかめるチャンスなど、そうそう転がってはいないとも学んだ。

 貧乏暮らしなどまっぴらだった。そのために彼が誰かを押しのけることは仕方のないことで、敗者がどうなろうと知ったことではなかった。

 だが、そんな非情さでのし上がったからこそ、彼には恐れているものがある。

 自分が愉快に暮らすために、出入りの商人たちは賄賂の額で選び、どんなに長年この家を支えていた者でも無情に取引を停止。

 邸からも、気に食わない使用人はすぐに解雇した。

 公爵邸には、以前は年老いた勤め人も多くいて、そういった者たちは公爵夫人が長年の勤労に感謝し、ずっと面倒を見ていたのだが。もちろんアルマンにはそんな情はない。

 公爵夫人を追い出したあとは、彼はすぐにその者たちを『穀潰し』と蔑み追い出した。

 解雇された者たちの中には、路頭に迷い命を落とした者もいたようだ。家族があって、一家離散した者たちもいた。

 新しく入ってきた者たちも、何か粗相をすれば厳しく罰し、公爵家の秘密に気がついたものは『処分』した。

 ──さすがのアルマンも、その者たちや、その家族から恨まれている自覚はある。

 ゆえに、もし彼が金という力を失えば、身を守らせる配下も失い、誰にいつ後ろから刺されてもおかしくはない。配下の中からの造反もありうる。それだけは、彼も恐れているのだ。

 自分が命の危険に晒されるくらいなら、気まぐれに作った家庭など犠牲にしても構わない。……そのような悲惨な事態にならぬよう、自分が色情を我慢して慎もうなどという考えはこの男にはない。我が身が一番可愛いかった。


 アルマンは、無表情で再度命じる。


「──やれ。俺が金を失えば、俺のおかげで甘い汁を吸ってきたお前たちもただではすまん。露頭に迷い、野垂れ死にしたいか……?」


 無慈悲な言葉に、だがそれでも配下は煮え切らない。


「でも……でも……」

「うるさい! ぐずぐずするな! さっさといけ!」


 アルマンは、素直に従わない男にイラつき彼の腰を容赦なく蹴飛ばした。片側の骨盤をあたりに衝撃を受けた配下はよろめいて。痛かったのだろう、小さな呻き声を漏らしている。

 と、その声に、不意に何やら間延びした声が重なった。


「あー……」


 緊迫した室内に、ぷかりと浮かんだ雲のような響き。諦めの滲んだ長いため息のような声に、男たちが怪訝な視線をひとところに集める。

 床の上で横倒しになり倒れていた娘が、大きく口を開けて声をあげていた。


「……せっかく……我が道を切り拓いたと思っていたのに……」

「……どうした小娘、気でも違ったか?」


 アルマンがその足を蹴飛ばすと、娘は横腹を痛そうに押さえてむくりと起き上がる。アルマンの言葉は、まるで耳に入っているふうでなく。ただ、虚空を見つめ、淡々と、自分の感情を整理しているように見えた。


「確かに私は読み間違えましたね、まさか……ここまでの悪党だったとは……。はあ、せっかく怪我もしましたし、ここでこそ怯えたふり作戦が威力を発揮するかなと思ったんですが……ああ、だめだぁ……だめだわぁ……」


 半身を起こしたグステルは、首を振って何かを自分の中から追い出そうとしているようだった。

 その様子を見たアルマンは呆れ顔。


「……なんなんだこの女……」


 男たちは、(本当に恐怖で気でも狂ったか……?)と、目を見交わしているが、グステルは深々と息を吐き、つぶやいた。


「……湧き上がるものを堪えられそうになくて困っているんですよ」


 どこか捨て鉢な口調で言って。グステルは、片側の肋骨が痛むのを堪え、「っよっこらしょ」と、足に力を込める。身を重そうに立ち上がった彼女を、アルマンは面倒くさそうに見ていた。


「お前、いったい何を……」


 目の前に立ってやれやれと腰を伸ばす娘に、アルマンは手を伸ばした。その襟首を再び掴もうとして。──が、その瞬間、娘の手がそれをパシリと跳ね除けた。

 きれいに叩かれて戻った自分の手を、アルマンがぽかんと見ていた。

 唖然として、もう一度娘に視線をやると、ずっと飄々としていた娘の瞳がぎょろりと眼球を動かして彼を射る。


「──強欲な手で私に触れるな」


 咄嗟にゾッと息をのむような低い声だった。

 緩慢な様子が一転。娘の目は、これ以上ないくらいに冷えて、そして怒りに燃えていた。地を這うような声で重く命じられ、アルマンは激しく瞬き、周りにいたロイヒリンや、アルマンの手下たちがギョッとする。

 娘の顔は、まるで別人のように変わっている。これまで彼女は、彼らの前でけして本心を表情に現さなかった。それが今は、身のうちの憤りを隠そうともしない。突き刺すような怒りを向けられたアルマンが、徐々に状況を理解していき、その顔が怒りで赤くなっていく。だが娘は怯むことなく、冷たい瞳を細め、彼を見据えたまま自分の前髪あたりをわしづかむ。


 ──それは、この男には、絶対に屈しないという彼女なりの表明であった。


 引き倒された時に埃で汚れた彼女の手がひと思いに引かれると、黒髪の下に秘められていた色彩が露わになった。

 重苦しい空気の中に舞った鮮烈な赤に、誰もが一瞬目を奪われた。

 グステルは、自分をほうけたように見ている男たちに、血の滲んだ唇で一気に言った。


「私の名前はグステル・メントライン」


 本当の名を声にすると、不思議な感覚がグステルの身に巡ったようだった。きっと、覚悟を持って名乗ったせいだろう。親しい相手にだけ秘密を打ち明けるのでもなく、血の繋がったものに懐かしい思いで言うのでもなく。敵とみなした者に、自分の持つ武器の一つとして名を突きつけると、驚くほどに腹に力がこもった。

 おのずと彼女の口からは──アルマン、と、さらに一段低い声が出る。

 その厳格な呼びかけを、男はまるで初めて聞いた天啓のような心持ちで呆然と聞いた。


「──お前は仮にもこの家の執事でありながら、この家唯一の娘たる私に逆らおうというの?」


 言い渡す娘の目は、白刃のように鋭い。



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― 新着の感想 ―
[一言] グステルさんガンギマッテル
[一言] ・・・グステル・・・かっこいい
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