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104 ロイヒリンの不安

 


 グステルたちが慎重に(?)公爵邸内を進んでいる頃。


 その手引きをした商人ロイヒリンは、胸の内に大きな不安を抱えていた。

 馬車で運び入れた荷物を、邸の裏手でほどき、それぞれ店の者たちに命じて広大な公爵邸の届け先へ運ばせる。その手配を忙しくこなしながらも、考えるのはあの二人組のこと。

 いきがかり上、その者たち──公爵の庶子の手伝いをしてしまったが、本当にこんなことをして大丈夫だったのだろうか。

 いや、そう簡単に発覚はしないとは思うのだ。

 先出の通り、公爵邸は敷地が広く建物も多い。

 母屋に離れ、礼拝堂や時計塔、使用人たちの住まい、門番の家、庭や農地の管理棟などなど。その規模は、一つの街にも勝る広大さで、人も多く、使用人たちも関係のない部門の働き手の顔を知らないということもしばしば。

 ここ最近は人の出入りの激しさもあって、いちいち覚えていられないという者も多いようだ。

 だから、きっと心配ない。……そうは思いつつ……どうしても、もし……と、考えてしまう。

 もし、あの娘たちが何か失敗をして捕まったら、自分も巻き込まれて罪に問われてしまうのではないかと。

 

(……いや、エーファ殿は『絶対に迷惑をかけない』と言っていたし、かなり入念に下調べをしていた……)


 ロイヒリンは、大丈夫だと自分の胸に手を置いて己をなだめる。


 あの娘、エーファ(グステル)は、この潜入前の数日間で、かなり入念に公爵家のことを調べていた。

 ここ数年の公爵の行動を調べ、使用人たちのことを調べ。

 ロイヒリンが商店会の会員を紹介すると、公爵邸の誰が、どんな店をどう使っているのかというところまでを調べ上げていた。

 ロイヒリンは、公爵に会うためとはいっても、なぜそんなことまでを調べるのかと疑問だったが、彼女によれば、


『父がなぜ、最近になって私たち親子に支援ができなくなったのか、その理由を知りたいので』とのこと。


 ……まあそれは本当は、ロイヒリンに自分が公爵の愛人の子と信じさせたグステルの方便であるが。


 とどのつまりグステルは、公爵邸の人間たちの行動や買い物の傾向、店舗の利用状況などを広く見て、実家の現状を知る糸口にしようとしたのである。

 公爵邸がいかに立派で広くとも、生活必需品の仕入れ元や、使用人たちの娯楽は街にある。

 街とはすなわち商店街であり、自らも商店を営んでいるグステルには、その店主たちの集う商店会が情報の宝庫だとよくわかっていた。

 誰がどこで、どのくらい、どんな頻度で金を使っているかを調べれば、自ずといろんな事情が浮き彫りになる。


 そうして彼女は調査を進め、そこからは、ロイヒリンが驚くような裏事情が明らかになったりもした。

 それを暴き出したときの、グステルの顔を思い出すと、ロイヒリンは今でも背筋が凍る。

 笑っているのに目は冴え冴えと冷えていて、不気味極まりないあの表情は──……明らかに、それを大いに利用──つまり、その対象者を脅す材料とせんとする者の表情であった……。

 ロイヒリンはひたすら感心。

 

(あの年齢で、あんな表情ができるとは……さすが公のお子……)


 この辺りから、ロイヒリンのグステルを見る目は少しずつ変わった。

 彼にも彼女と同じくらいの歳の娘がいるが、娘は年頃らしく、着飾ることや自分の縁談にばかりに興味を持ち、あんなふうに己の目的のため、他者を脅してでもそれを成し遂げようとするような気概は持っていないだろう。

 初めは同情心と、いくばくかの下心から彼女を手伝ったが、年若い彼女がくせ者の多い商店会の店主たちをさまざまな手で丸め込む手管を見て。もし自分の娘があんな機転と行動力を備えていたら、きっと自分の店はもっと将来が明るかっただろうなぁなどと、しみじみ羨ましかった。


 そのような感情もあって、ロイヒリンはあの娘が確かに公爵の庶子だと信じて命運を託した。

 あの娘は、明らかに商売がなんたるかを知っているし、そういう人間は、約束した見返りを反故にはしないはず。きっと、彼女を手助けした自分を、公爵にとりなしてくれるだろう。

 再び公爵家の大きな商売を取り戻せるのなら、少し危ない橋でも渡っておいて損はない。

 ──と、ロイヒリンは意気込んでいたのだが……。


 しかし、やはりこうして実際に公爵邸で事を起こしてしまうと、不安はおのずと忍び寄ってくる。

 要所に立つ屈強な警備兵などを見ると、あの娘の若く華奢な身ではきっとかなうまいな……と心配でハラハラした。


(……もしや自分は罪作りなことをしてしまったのか……? いくら父親に会いたいと泣きつかれたからといって……大人としては、あそこでなだめて、無茶な計画はやめよと止めてやるほうがあの娘のためだったのか……?)


 あの娘の賢さなら、裕福な父親に援助してもらえずとも、きっとどんな場所でも重宝されることだろう。いっそロイヒリンが自分の店に雇い入れてもいい。

 

(うら若い娘の将来のためには、そのほうが良かったか……? いや……しかし、余命いくばくもない病床の母を、公爵に会わせてやりたいと請われたしな……)


 考え込んだ男は手を止めて、つい唸る。


「ぅうむ……いや……しかし……」


 後悔しても時は遅かった。既にあの娘は公爵家に潜入済みだ。ロイヒリンには彼女の無事を祈るほかない。


「大丈夫……エーファ殿ならきっと、公爵のもとにももたどり着けるはず……」


 あの見た目によらぬ老獪さがあれば、きっとことを成し遂げてくれるはずとロイヒリンは。己をなだめるために、そう小さくつぶやいた。

 彼は不安を振り払うように頭を振って──と、その時のことだった。

 作業の手を止めて考え込んでいた彼の背に、不機嫌そうな声がかかる。


「……何をもたもたしている」

「!」


 思いがけず声をかけられたロイヒリンは、驚きのあまり跳び上がった。

 慌てて振り返ると、そこには黒い執事服を着た神経質そうな白髪の男。

 常時刻まれている眉間のしわを、いつもよりさらに深く刻み、顎を上げて自分を見ている男の目に。ロイヒリンはついギョッとしてしまってから、しまったと思った。


「ア、アルマン殿! お、おいでだったのですね……」


 ロイヒリンは慌てて彼に向き直り、帽子を取って頭を下げた。その拍子に額に噴き出た汗が頬を伝い、それを見たアルマンが訝しげに片眉を上げる。

 男の訝しげな目線を感じたロイヒリンは一気に緊張したが、なんとか顔に笑顔を張り付かせる。


「い、いえ、少々商品に間違いがなかったか考えておりました……申し訳ございません」


 と、アルマンがふんと鼻を鳴らす。


「当家と長年付き合っているはずなのに、今更そのようなことを? あまりにも頼りがなさすぎる。もう耄碌したのか?」


 鼻を鳴らして嘲笑われたロイヒリンは、さっと顔色を変えたが、反論は呑み込んだ。

 どうせこの男はいつもこうなのである。言い返したところで、損をするだけ。

 ロイヒリンが愛想笑いでそれを流していると、アルマンは彼が運び入れた荷物をじろじろと覗き込み始めた。その目つきはいつも通り『何か不備があればすぐに文句をつけてやる』といううがったもの。その端から疑ってかかるような態度は不快だが、いつも通りの彼の様子には、ロイヒリンは少し胸をなで下ろした。

 彼がいつも通りということは、まだ公爵邸に忍び込んだエーファ(グステル)たちは見つかっていないのだろう。 


(……それにしても……)


 ロイヒリンは呆れながらアルマンを眺める。

 この男、歳をとっていてもなかなか男前なのだが、いかんせん公爵家の威を借りて高慢すぎる。

 同年代でありながら、いつでも見下されるロイヒリンはとても不快だが……。

 最近の公爵邸との取引は彼の許可がないと行えない。悔しいが、商売人のロイヒリンは下手に出る他ないのである。

 そのことを考えるとつい悶々としてしまって。ロイヒリンは、アルマンが自分に背中を向けたタイミングを見計らいこっそりとため息を吐く。と、荷物の間を歩き回り、一つ一つ覗き込んでいたアルマンがぴたりと足を止め、横目で彼を振り返った。

 その視線の鋭さに、ロイヒリンはギクリとする。


「……ロイヒリン」


 低い声で名を呼ばれ、しまったと思った。

 ため息の音を聞かれて機嫌を損ねたか。それとも商品に何か不備があったか……。

 ロイヒリンは引き攣った笑顔でアルマンのそばに駆け寄る。


「は、はい、なんでございましょうアルマンさん? 何か品物に問題がございましたか……?」


 内心恐々と、しかし上部は努めて愛想良く顔色を窺うが。すると、そばにやってきた彼に、アルマンは怪訝そうに片眉を持ち上げる。


「……お前、先ほど言っていた……“エーファ”とは、いったい誰のことだ……?」


 その言葉を聞いたロイヒリンは、ざっと顔色を青ざめさせた。







お読みいただきありがとうございますm(_ _)m

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[一言] おやおややらかしましたねぇ
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