表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

100/189

99 ラーラの絶望

 

 ゼルマから話を聞き終えたヘルムートは、すぐに妹の部屋に向かった。

 ラーラは明らかに計られた。

 単に恋敵に難癖をつけられただけならば、ただの嫌がらせ、恋の鞘当て程度のことかもしれないが……。

 相手がわざわざラーラが一人きりの時に追いかけてきたこと。

 無人だったはずの部屋に、複数の目撃者が都合よく現れたことを考えると……。

 相手には、最初からラーラを罠にかける意図があったとしか思えなかった。

 相手の娘の狙いはもちろん、恋敵の評判を貶め、王太子妃の座から遠ざけることなのだろう。


(……卑劣な……)


 ヘルムートは怒りを感じたが、その相手の娘、偽のグステル・メントラインの領地──正確には、その偽物を立てただろう公爵の治める地に、本物のグステルを残してきたことを考えると、大きな不安が彼を襲った。

 ことを解決したらすぐにでも……と思っていた。今となっては、彼女と離れていること自体が彼にとっては大きな苦痛。

 ……しかし。

 こうして実際に妹の置かれた状況を見聞きすると、ラーラが置かれている現状も、彼が予想していたよりも深刻に思えた。

 部屋に行くと、ラーラはやはり暗い顔で兄を見る。

 ふっくらとしていた頬は少し痩せたようだった。

 誰よりも明るかった妹の沈んだ様子を見ると……兄はたまらない。


「ラーラ……」


 名を呼ぶと、その口調で兄が自分の事情を知ったのだと分かったのだろう。ラーラは、薄く微笑んで兄を見た。


「……大丈夫よお兄様。だって、きっとあんなのはまだ挨拶程度のことよ。これくらいのことでめげていたら……王太子殿下の隣になんて、未来永劫立てやしないわ……」


 その言葉は気丈だったが、声に力は感じられなかった。兄が窓辺に立つラーラのそばまで歩いていくと、妹はすぐに彼に抱きつく。ヘルムートは押し当てられる頭をそっとなでてやる。


「……戻りが遅くなってすまない」


 謝ると、屈託のない笑顔が上を向いた。


「いいわ、だってこれからはずっとそばにいてくれるのでしょう?」


 信頼の眼差しで微笑まれて、ヘルムートは一瞬返事に躊躇した。

 脳裏にはグステルの顔。

 口籠もった兄に、ラーラが不思議そうな顔をする。と、ヘルムートは、妹の両方の肩に手を添えて、すまないと言った。


「……ラーラ、私はずっとはいられないんだ」

「──え?」


 ラーラは、咄嗟には兄が何を言っているのかわからないという顔をした。


「……お兄様……?」


 ぽかんと自分を見上げる妹に。ヘルムートは心苦しくなりながらも、もう一度「すまない」と言った。


「もちろんお前が落ち着くまではここにいる。──ただ、ずっとはそばにいられない。私は、あるとても大切な問題を途中で放り出してきた。問題を……解決しに戻らなくてはならない」


 グステルの勧めに従い、ひとまずラーラのもとへ帰ってきたが。それは妹が心配だっただけではなく、彼女の状況を把握できなかったからという理由もある。

 だが状況さえつかめれば、彼は適切に対処ができると思った。手の者に指示して、自分の代わりにラーラを守らせることもできるだろう。場合によっては、王太子に謁見を申し出て、話をつけてもいい。


「あらかたのケリはつけて、信頼のおけるものにお前を任せる。それならば……」

「──待って」

「……?」


 言葉を遮られ、ヘルムートは言葉を飲み込んで妹を見る。と、


「それって……」


 ラーラは、低く言う。うつむくようにして、探るように兄を見る目は思いがけず鋭かった。


「もしかして……例の女の人のところに戻りたいから……?」


 妹の問いに、ヘルムートは少々めんくらったが……しかし彼は正直に頷いた。元来妹に甘い彼は、彼女に嘘をつくという発想がない。


「ああそうだ」


 頷く兄を見た途端、ラーラの瞳には大きな失望が浮かんだ。

 奥歯を噛み、うつむいた妹の手が硬く握り締められているのを見て、ヘルムートは驚くと共に大いに戸惑った。

 この兄にはわからなかったのだ。

 彼はずっと妹の望みを叶えて支えていたが、その妹はずっと王太子ばかりを見ていた。ヘルムートはラーラの黒子のような気持ちでいて、自分自身の行動がラーラに何か影響を及ぼすとはあまり考えてはいなかった。

 しかし今、どうやら妹は、自分の口にした言葉に傷ついたらしい。ヘルムートは慌てて取り繕う。


「勘違いしないでほしい。お前のことも大切だ。だからできる限りのことはしていく。ただ……私はあの方を放り出してここにきてしまった。だから……」


 今彼がグステルと取り組んでいるものは、ラーラが直面している問題とも密接につながっている。

 解決することで、妹の問題の根を断つことにもつながるはず。

 その思いでヘルムートは妹をなだめようとしたが──……。

 ラーラの気持ちは別のところにあったらしい。


「私より、大事なのね、その人が」


 ラーラの突き放すような物言いに、ヘルムートは再び戸惑う。

 妹が、こんなに冷たい口調を兄に向けるのは初めてだった。


「ラーラ、そうじゃない。言っただろう? お前のことも大切だ。それは比べられるものではない」

「違わないわ! だって、私がこんなに辛い思いをしているのに……人任せにするんでしょう⁉︎」


 ヘルムートは驚いてしまって口ごもる。

 彼は妹と言い争ったことがない。

 一方的に責められることはあっても、大抵それはラーラの甘えで、こんなに強く責め立てられたことなどなかった。

 戸惑ったヘルムートはどうやって妹をなだめようかと困り果てるが……。

 兄が困惑しているのを見たラーラは、感情を溢れさせる。ラーラは、兄に『やっぱりそばにいる』『お前が一番だ』と言ってくれることを期待した。

 ここのところのあれこれで、ラーラはすっかり自己肯定感が下がりきっている。

 王太子も友も離れていき、自分には価値がないように思えて。その失望は、ラーラの心を深く傷つけていた。

 それでも。

 この兄さえ自分を肯定してくれれば、自信を取り戻せると思っていた。

 愛する王太子に代わり、自分を一番愛していると言って欲しかった。

 だってこの家に来てからずっとそうだったのだ。母を亡くし、引き取られたこの家で、父と義理の母は冷たかったけれど、兄だけは自分を一番大事にしてくれていたはずだ。……それなのに……。


 その兄は今、困ったような顔をするばかりで彼女が欲しい言葉をくれなかった。

 ラーラは絶望を感じた。


 ──兄の一番が、別の女に奪われている。


 それを悟ったラーラは、いろんな悲しみが重なってもう我慢できなかった。


「っお兄様だけは味方だと思ってたわ! たとえ友人や……愛する人が私から離れていっても!」


 責めるように怒鳴られたヘルムートは唖然としたが……咄嗟に、これは聞いてやらねばと思った。

 珍しいことだが、普段穏和なラーラが怒りをあらわにしている。

 これは止めるより、聞いてやり発散させるほうがいい。ヘルムートは穏やかに返す。


「……私はいつだってお前の味方だ。そうだろう?」

「じゃあどうして他の人のところへ行こうとするの! これからだって、あの令嬢は絶対に何か仕掛けてくるはずよ! それなのに、お兄様は私を置いていこうっていうの⁉︎」

「もちろん一定の解決を見るまではここにいる。そして私の目となり手足となる者を置いておく」

「違うのよお兄様!」


 なだめようとする兄に、ラーラは叫ぶように言って激しく首を振った。


「……ラーラ?」

「解決とかじゃないの! 私は、私を選んで欲しいの! グステル・メントラインでもなく、お兄様の想い人でもなく……私を!」


 ラーラは瞳に涙を浮かべて兄に縋り付いてきた。

 その怒りに震える細い肩を見下ろして、ヘルムートは言葉を失くす。

 まさか妹が、ここまで思い詰めているとは思わなかった。──いや、と、ヘルムート。

 ここまで思い詰めた妹に、気がつかなかった自分、放っておいた自分に対して彼は深く責任を感じた。

 今までグステルのそばにいたことは、後悔したくない。

 だが、自分は妹の親代わりといってもいい存在。自分がもっと早く戻っていれば、妹はこんなにも不安定な様子には陥らなかっただろう……。

 そう痛感したヘルムートは──……。

 とてもではないが、今はこの妹を放っておくことはできないと思った。







お読みいただきありがとうございます。


さて…次こそはグステルに明るくドタバタして欲しいですね。100話目ですし!(^ ^)


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
人は窮地に追い込まれた時ほど人間性がでますね。正直人頼みなこのヒロインに王太子妃は難しいんではないかな?友人から裏切られたのはかわいそうだけれど貴族社会ではよくあることそもそも王家に嫁ぐなら確固たる人…
[一言] いっそのことグステルさんの所に連れて行ってゴレイジョウブートキャンプさせて地力を上げなければ
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ