10 ショーウィンドウのぬいぐるみ
彼が街でその姿を見かけたのは、本当に偶然のことだった。
王立学校時代の友人の屋敷を訪ね、彼の屋敷に滞在中だったヘルムートは、その日友人と従者と共に、街の見物に出た。
しかしこの時のヘルムートは、本当は早く王都の実家に戻りたいと思っていた。
実家である街屋敷では、可愛い妹と弟たちが待っている。
こうして将来のためにあちこちを見て回るのは彼の責務のうちゆえ仕方がないが、正直、弟妹たちと離れるのは不安だった。
特に年頃になった妹ラーラには、最近様々な男が寄ってくるようになってきていて。
あまりしっかりしているとは言い難い妹が、彼は本当に心配だった。
そのようなわけで。
ヘルムートは、若干イライラしながら街を見て歩いていた。
大通りに並ぶさまざまな商店を見て歩き、そこに並ぶ華やかな品々や菓子の類を見ては、弟妹のことが頭に浮かぶ。
土産にしたら喜ぶだろうかなんて考えが浮かぶと余計に、はがゆい。
そんな彼の苛立ちをよそに、石畳の敷かれた道の両端には多くの町民たちが楽しそうに歩いている。
すれ違う女性たちの中には、眉目の整ったヘルムートを見てあからさまに秋波を送ってくるような者もいて。それが余計に煩わしかった。
そんな視線を避けるように、ヘルムートは、反対側の通りの端を流れていく人の波を流し見ていた。
「!」
その時だった。
不意にヘルムートの足が、まるで凍りついたかのように止まる。
「……どうしたヘルムート?」
「ヘルムート様?」
青年が雑踏の中で立ち止まると、隣を歩いていた友人と、後ろをついてきていた侍従も足を止めた。
ヘルムートは踏み出した足もそのままに、呆然と目を見開いてどこかを見ている。
薄く開いた唇から、掠れ声が漏れた。
「──い、まのは……」
言った途端、ヘルムートは。数台の馬車が行き交う車道へ飛び出していた。
「⁉︎ え⁉︎ お、おいヘルムート⁉︎」
いきなり通りを横切り走っていった青年に。連れの二人が驚いている。
背後からは慌てたような声が上がったが、耳には入らなかった。
(──どこだ⁉︎ いま……確かに!)
先ほど彼の目の端を横切ったその面影を探して、ヘルムートは懸命に走った。
見慣れぬ街の中をがむしゃらに走り回り、途中で暑くなって上着と帽子を脱いだ。
(あの顔は……あの顔は絶対にそうだ! 間違いない!)
たった今目撃したものが信じられず、しかしそうであってくれと願うあまりか心臓が痛いほどに高鳴っていた。
脳裏に浮かぶのは、可愛らしい白猫のぬいぐるみを抱えた少女の姿。
手製らしい、布でできたぬいぐるみ。
それを彼に差し出す顔は、妙に大人びていた。
(──どこだ!)
彼はその面影を探して必死に町中を駆けたが、どうしても見つけられない。
とても苦しかった。
ヘルムートがその影を追い始めてもう十二年あまり。
──十二年。それだけ時が経ても、その顔を忘れなかった。
ずっと再会を望んでいた。
「っグステル・メントライン嬢!」
ヘルムートは苦しげにその名前を呼んだ。
──気がつけば、いつの間にか人影があまりない商店街の端にいた。
大通りからは一本筋を入った小さな店がたくさん並ぶ路地だった。
あたりには誰もいない。
人を探しているのだから、もっと人のいるところに戻ろうと身を返そうとして──ヘルムートの目が、ふとそばに並ぶ商店のうちの一つに留まった。
その小さなショーウィンドウには、いくつもの丸い顔のぬいぐるみが並んでいる。
ガラス越しに見えるほのぼのとした、自分をしきりに招いているような彼らのつぶらな瞳に見つめられて。ヘルムートは息を呑んだ。
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