後日譚
***後日譚・孤児院と王宮***
伯爵家の使用人は多くない。
だから私は出来ることは自分でしているの。食事だけはお任せしている。
朝食はだいたい、パンとスープと季節の果物が用意される。
でもカル様は、朝あまり召し上がらない。
朝は古傷が痛むからと言う。
「古傷?」
「うん。腹のね」
今度、古傷を見せてもらおうかな。
でも、殿方の素肌を見ることになるわ。
ちょっと、恥ずかしい。
「今日僕は、午後から王宮に呼ばれているので行くけれど、君は?」
なんでも伯爵以上の貴族たちが、招集されているそうだ。
王太子候補がいなくなって、王宮は今もザワザワしている。
ふと、聖女すらいない今の王宮は、あちこちに怨嗟の声が、溢れているのではないかと思う。
まあ、今更私には関係ないわね。
「今日は孤児院の慰問に行きます」
「王宮近くの孤児院?」
「ええ」
カル様は伏し目がちに言う。
「気をつけてね」
「はい。旦那様も。あっ」
私は庭に走り、朝露に濡れている白い花を摘む。
そして髪を束ねていたリボンを解き、茎を縛る。
「これを、王宮にお持ちください」
「ああ、そうだな……」
白い花は、鎮魂の意味を持つ。
カル様もご存知のようだ。
困った王子ではあったが、亡き人への畏敬の念を私は忘れたくなかった。
伯爵以上の貴族ならば、私の父、リトワ・インテラ公も姿を見せるのだろう。
カル様のお邸から馬車で一刻ほど。
教会が運営している、歴史ある孤児院だけど、建物は比較的新しい。
しかし……。
一歩足を踏み入れた私は、気持ち悪くなり吐きそうになる。
「悪阻ってことはないわね。まだ、白い結婚のままだもの」
考えなしの独り言に、就いて来た侍女は目を剝いた。
あら、いけないイケナイ。
私は貞淑な伯爵夫人だわ。
取り敢えず冬物の衣類と毛布、そしてお菓子も含めた食料を渡す。
孤児院を切り盛りする尼僧たちも、孤児院で生活する子どもたちも皆、邪気のないニコニコした顔で喜んでいる。
笑顔を見るのは嬉しい。
ほっこりとした気分で私も微笑む。
その時だった。
足元から何匹もの虫が、這いあがって来るような感覚に襲われた。
背筋を冷たいものが走る。
振り向くと孤児院の庭の隅に、古い井戸が見えた。
「あの、尼僧様。あそこにある、石が円型に何段か積まれているのは、井戸ですか?」
尼僧の顔に翳りが生じた。
「ええ。今は水も枯れ、井戸としては使っていないものです」
言葉が重い。
「オバケが出るんだよ」
代わりに子どもが答えてくれた。
「こら!」
尼僧は慌てる。
となれば、子どもの言葉は真実だ。
「何か、あったのですか? 古井戸で」
尼僧は子どもたちを院内に戻し、言葉を選びながら言う。
「ある、高位貴族の方が、心を病んでしまって、この孤児院にやって来たのです」
風が冷たくなる。
尼僧の話では、病んだ高位貴族が孤児たちや尼僧を、次々と刺していったという。
「その、子どもたちや尼僧様たちは、助かったのでしょうか?」
尼僧はぽつりと言う。
「一人だけ。たった一人の子どもだけが、助かりました。酷い怪我ではありましたが」
病んだ方は、最後は自分の首に刃を当てた。
その場所が古井戸の辺りだったのだ。
それは今から十何年も前、私が生まれる少し前のことらしい。
夜になると今でも、呻き声が聞こえ、井戸の周囲を徘徊する黒い影が出ると言う。
陽が翳って来た。
良い時間かもしれない。
「尼僧様。しばし私にお時間を下さいませ」
古井戸に近付いて分かった。
割とあっさりとした結界が張ってある。
この薄っぺらい結界、覚えがあるわ。
父だ。
結界を張ったのは、間違いなくリトワ・インテラ公だ。
私は結界に触れる。
陽は西に傾いて、古井戸の周辺も朱色に変わっていく。
ずるりと。
何かが井戸の縁に現れた。
そのモノは私に、黒い腕を伸ばす。
『王家に、繋がる者……か』
確かにインテラ家は、僅かだが王家の血を引いている。
――昔むかし……。
小国同士が争い、互いに血を流し領土を奪い合った。
最後に勝者となったのは、イグネム国の初代国王。
国王は身を削り、最前線で戦った。
だが、平定した国に、居場所はなかった。
たった一人守りたいと願った女性は、戦に巻き込まれ命を落とした。
我は呪う。
王家を呪う。
民を呪う。
この国を呪い続ける。
王族の血を根絶やしにするまで……。
私の首に黒い腕が巻き付く。
恨みと慟哭。
息が苦しい。
それでも、私は受け入れる。
あなたの、恨みを。
あなたの悲しみを……。
***王族貴族会議 カル視点***
一応伯爵位を与えられているので、俺も議事堂に入った。
壇上には国王と公爵家の面々が揃っている。
義父殿もいる。
国王が立ち上がり、宣言した。
「今日この時をもって、イグネム国の王制を廃し、共和制と成す!」
なんだと!
一瞬の静寂。
怒号と物が飛ぶ。
「ふざけるな!」
「国王が退位し、別の王を立てろ!」
「公爵家も同意なのか!」
国王はいつもの日和見的な表情が消え、充血した目で睥睨する。
「これは最後の王命である!」
国王の背後に、精鋭騎士団が並ぶ。
「王命に逆らう者は、この場で処罰する!」
「うおおおおおお!!!」
唸り声を上げて、国王に向かった男は騎士に斬り捨てられた。
ガシャアアアアン!!
会議場のランプに物が当たり、油と共に灯が落ちた。
みるみるうちに、絨毯を炎が這い、煙が上がる。
会議場内の貴族らが、バタバタと出口に向かう。
出入口も、騎士が剣を構えて封鎖している。
逃げなければ!
混乱は人心を煽るのだ。
予想し得ないことが起こる!
だが。
足が動かない。
嘗てみた記憶が体を縛っている。
会議場内は煙が充満し、視界が悪くなっている。
ガクガクしながら、俺は床に身を伏せる。
鼻と口を押えるために、ポケットに手を入れハンカチを探した。
「!」
そこには小さな花束があった。
出かける前に妻が手渡してくれたものだ。
それを口に咥えて、俺は出口を目指す。
国王陛下は?
義父殿はどうなった!
遠ざかる意識の中で、思い出す記憶。
不義の子と捨てられた孤児院のこと。
いつも一人で座り込んでいた。
狂人がやって来て剣を揮った。
逃げ遅れた俺は斬られた。
たくさん血が出た。
もう、ダメだと思った。
あの時は諦めた。
誰も自分を必要としてない。
薄汚い子どもが一人、死んだところで誰も悲しまない。
でも……。
今は違う。
生きたいのだ。
一緒にいたい人がいるから。
共に未来を見つめていたい人が、いるのだから。
だから。
今ここで、死ぬわけにはいかない!
誰か……。
誰でも良い。
手を貸してくれ!
誰かの手が差し出された。
そんな気がした。
白い花びらが、はらりと落ちた。
「旦那様!」
妻の声が聞こえた気がした。
お付き合い下さいまして、ありがとうございます!!