刺客
僕らは教室を出て、名残惜しそうなクラスメイトたちの視線を振り切り、人気のない渡り廊下へたどり着いた。
花壇を手入れしている業者が複数、視界の端に映る。
休み時間の生徒達のざわめきも遠く、鳥のさえずりが聞こえる。
先を歩いていた彼女は立ち止まり、大きく伸びをした。
「あー、やっと静かになった」
「……」
「あんなに注目浴びるとは思わなかったぜ」
大勢に囲まれるのなんて慣れてないんだよ、とぼやきながら肩を回している。
聞きたいことなら山ほどあった。
君は昔、僕を助けてくれたあの子だよね?
風を操れるの?
なんで僕の護衛をしているの?
今朝はどうやって乗り切ったの?
――だけどいざ、目の前にすると言葉が出てこない。
「おーい、大丈夫か一郎。
ってか、一郎って呼んでいいんだよな?」
「あっハイ」
いつの間にか顔の前で手をブンブン振られていた。
返事を聞いた彼女は、フッ、と微笑む。
「改めて、今日お前の護衛をする風又三郎左衛門風香だ、よろしく」
「よろしくお願いいします」
差し出された手を握る。意外と柔らかい、なめらかな手だった。
握手なんて、お父様の知り合いとたくさんしてきたのに。
離すのが名残惜しかった。
「風香でいい」
「風香…………さん」
「さんはいらないっての」
むう、と風香さんはふくれる。
だけど、女性を呼び捨てなんてしたことないし、そんなことしたらなんだか恋人みたいで……僕には無理だった。
「い、いや、やっぱりさん付けで」
「めんどくせー奴だな。まぁいいや。
お前んとこの執事が迎えに来るまで、学校内でお前を守ってやる。
私はけっこう強いから安心しろ」
話す彼女の表情から目が離せない。
なんだろう、この気持ち。
綺麗、というだけでなく。
急に彼女にだけ、ピントが合って見える。
僕は頭を振って、手首のスマートウォッチを見た。
「もう休み時間終わりそうだよ、教室に戻ろう」
「ああ。しかしお前には言っておきたいことがある」
ビシッ! と音がしそうなほど勢いよく、僕を指さす風香さん。
「契約は、お前を迎えの執事に引き渡すまで。
狙ってくる奴らは他の生徒にまで危害を加えることはないだろう、とお前の親父が伝えてきた。皆いいところの子供だから、余計な敵を作ると追っ手が増えて大変だからってな。
だから狙われるとしたら休み時間――」
花壇の作業を終えた人達が、道具や段ボールを台車に載せ、こちらに向かってくる。全部で5人。
「こういう人気のないところが危ないな」
僕が横目で見ていると、作業員のうち2人がなぜか緑のネットを大きく広げ、さながらゴールテープのようにピンと張って、
「元々お前が今日やたら狙われるのは、セキュリティシステムに穴ができたせいだ」
作業員たちがひと固まりになり、なぜか話している彼女と僕の間を通ろうとして、
「周りにバレると、グループの信用問題に関わる。株価は落ちるわ学校側に迷惑かかるわ、ってんでクラスメイトと先生達には内緒だな」
さりげない動作で、僕にネットがかけられ、視界が緑になり、
「だからとにかく私から離れるなよ……って」
台車に載せられ、数メートル進んだところで。
「……言ってるそばからさらっと誘拐されかかってるんじゃねぇよ!」
彼女の方から、ふぉん、と風が巻き起こる音がして。
緑のネットがかかっていた僕の視界が晴れた。
ぱさ、と手に触れたネットを見ると、刃物で切られたような断面。
位置的に、彼女が直接触れたわけではない。
「かまいたち」というワードが浮かぶ。鎌のような風の刃。
「風香さん――」
振り返ると、風香さんが右ストレートを作業員にくらわせたところだった。ラリアット、踵落とし、左ボディフック……映画で見るようなアクションシーンでもって、作業員たちと格闘している。軽やかな姿は、風にのって舞っているよう。
「あ……」
その姿に、昔の記憶がよみがえる。
小さい君が、戦う姿。
僕は理解した。やっぱり、彼女は昔助けてくれたあの子だ。
――やっと、会えた。赤い髪の子。
ハッ、と我に返った時には、その場は騒がしくなっていた。
「今いい流れだったのに! あともうちょいだったのに!」「護衛のあなただってスルーしてたじゃないですか!」「うるせぇ!!」などとやかましく会話しながら蹴りを繰り出す彼女は、ものの数秒のうちに全員を制圧した。後には彼らのうめき声が残る。
ぱちぱちぱち。
「おいなに拍手してんだ一郎」
「すごいね……」
「せめて抵抗しろよ。ノリツッコミみたいに攻撃しちゃっただろうが」
「いや一生懸命話していたし」
「なんで落ち着いてんだ。誘拐され慣れてるんじゃねーよ」
「ごめん」
言いながらも笑い声が漏れてしまって、「笑ってるんじゃねーよ!」と軽く小突かれた。
だけど、くすくす笑いは止まらない。
数年ぶりに会った君は相変わらず頼もしくて。
皆に秘密の守り、守られる関係もなんだか嬉しくって。
――君と一緒なら大丈夫だって思うから、つい笑ってしまったんだ。
パンパン、と埃でも払い落とすみたいに風香さんは手を叩いた。
「――さてと、余裕で倒したけど、こいつらどうするかな……」
「いつもはどうしてるの? こういう時」
「私、これが初仕事なんだよ」
「そうなの?」
「そうだよ」
その時、僕は校舎から渡り廊下へと歩いてくる人影を見た。
早川先生だ。
先生は鼻歌を歌いながら歩いてきて……倒れている作業員、いや刺客に気づきギョッとした。
「何これ!? どういう状況?」
「ええと……」
僕は風香さんと顔を見合わせた。
どうしよう。
「やだ~皆気絶してるじゃない……」と戸惑う先生の後ろ姿を見て、今朝の出来事を思い返す。
「困ったことがあったらいつでも遠慮しないで言うのよ」
確かに先生はそう言った。
うん、仕方ない、ここは先生に頼ろう。
「先生、この人たち不審者なんです!」
「え?」
「僕たちに襲い掛かってきて、でも皆さん勝手に転んで気絶したみたいで……すみません、警備に連絡お願いします」
「ええ~?」
「行くぞ一郎」
「うん」
僕らは教室へ向かって走り出した。
ここに「さっそうと」と言葉を足したいところだが、そこは僕の運動神経のなさでどうしてももたもたしてしまう。
「急げ一郎!」
「風香さん、待って」
言った途端、なにもないところで転んでしまった。
「おい!」
授業開始のチャイムが鳴り始める。あと数秒で授業が始まってしまう。
「ああもう!」
先を走っていた風香さんがUターンする。
そして僕の身体をつかみ――お姫様だっこした。
「ええええ!?」
どこにそんな力が、と僕は目を白黒させる。
「しっかりつかまってろ」
ぐっ、と身体を沈みこませて床を蹴り。
彼女は急加速した。
床を這うように低い姿勢で、でもものすごく速い。びゅう、と彼女にまとう風の音さえ置き去りにする。
「お、ギリギリセーフですね。さあ席について」
教室の扉を開けて足を踏み入れた時、チャイムの最後の一音が鳴り終わった。先生とクラスメイトから注目を集めつつ、僕らは席に着く。
運ばれただけなのに肩で息をしている僕と違って、風香さんは涼しい顔だ。
「はいじゃあタブレット開いて。ええと、転入生さんは高山君にやり方教えてもらってね」
先生の言葉に、風香さんは素直に机を持ってくっつけてくる。
「使い方よくわかんねーから教えろよ」
さっきあんなに戦って、すごかったのに、今は普通にクラスメイトしている。そう思うと僕はおかしくなった。
「ふふっ」
「なんだよ」
「なんでもないよ」
いつの間にか朝の不安はなくなり、僕はだんだん楽しくなってきているのを感じていた。
あの場で後始末を早川先生に頼むなんて、今までの僕ならしなかった。
きっと、彼女がいたからだ。
相変わらず疑問はたくさんあるけど、彼女は僕を確かに守ってくれる。
頼もしくて、ギャップが可愛くて、一緒にいると安心感がある。
うん、認めよう。
僕はこの子に恋をしている。
いや、一時停止していた長い初恋が、再び動き出したんだ。