登校
車はやたら大きい正門から学校に入る。ナンバーを読み取ったのち、背後で巨大な鉄柵が閉まる。
送迎用ロータリーで悦司がドアを恭しく開けてくれた。
スーツから懐中時計を取り出す。
「もう間もなく午前八時。いつも通り午後四時半にお迎えに参ります」
「悦治……やっぱ家にいちゃいけない?」
鞄とお弁当を手渡した執事は、にっこりと笑う。
「高田家の次期ご当主として、学校で過ごす間くらい無事でいてもらいませんと。
――では、幸運を祈っております」
車が去っていく。
僕は「はぁ」と溜息をついた。
少し心細い。
「……あの赤い髪の子、本当に護衛なら学校内にも来てくれるのかな」
辺りを見回すが、気配はない。
せめて、お礼を言いたいのにな。
「それにしても、気持ちわる……完全に酔ったな」
教室に入る前に保健室に向かうことにした。
僕が通うのは、家柄が良い子、お金持ちの子が通う由緒ある学園、その高等部だ。ロータリーから広がる中央庭園の道をゆく。
花が咲き乱れる庭園の中心には大きな噴水があり、そこから各校舎への道が三方に伸びている。すでに他の生徒たちでにぎやかだ。
「高山先輩、おはようございます」
「高山君、おはよう」
「おはよう、みんな」
微笑むと皆、いつものように僕の顔を見て足を止める。
「今日も高山は可愛いな」
「なんだか今日は憂いをおびたお顔が一段と素敵ですわ」
「アンニュイですわね」
そんな声が聞こえる。「違うよ気持ち悪いんだよ」と心の中で答える。
ちやほやされるのは悪い気分ではないけれど、どうにも中身が伴っていない気がする。「見た目だけ」という言葉が頭をよぎるのはしょっちゅうだ。気後れして友達もできない。
お父様も悦治も、本当のところは僕が誘拐されたり、美術品が盗まれる心配より、この機会になよなよした僕が成長してくれないかという、期待の方が大きいと思う。
僕の安全も、美術品も金を出せば手に入る。
だけど、個人の性格を変えるなんて、それこそ奇跡に等しい。
僕はまたため息をつく。
「とにかく、いつもと違うことには気をつけないとな」
金持ちの子女や学校の高級な備品を狙う不審者が絶えないから、もちろん学校のセキュリティは厳しい。だけど過去には新任の教師や、出入りの業者を装って侵入した事例もあることはある。
「知った顔でも、用心しないと……」
そんなことを考えていると、駆け寄ってきた人がいた。
「おはよう、高山くん。今日も可愛いわね」
「白鳥先輩……おはようございます」
生徒会長の白鳥先輩から声をかけられた。今どき珍しい縦ロールの髪が揺れる。
病院や製薬会社を持つ白鳥会、その社長を父に持つ先輩は、僕と違っていつだって自信にあふれている。成績は常にトップ、スポーツ万能、海外留学した時に自衛のため格闘術まで身に着けたと聞く。
モデル並みの身長に、鍛え上げられ引き締まったスタイル。僕もこうであったなら、と何度思ったことか。
登校後にすでに生徒会の仕事をしてきたのだろうか、手ぶらだった。生徒会書記の僕は頭が下がる。
「どうしたの、クラスはそちらの校舎じゃないでしょう?」
「ああ、ちょっと気持ち悪くて……保健室に行こうかと」
あら大変、と先輩は口の中でつぶやく。
しかし。
心配そうな口調と裏腹に、笑顔に見えたのは気のせいだろうか。
「大丈夫? うちの病院に連れて行きましょうか?」
「いえ、酔い止めの薬をもらえば大丈夫だと思うので……」
保健室はすぐそこの校舎内だ。
「そう……高山君は身体が弱いから心配だわ」
そうして先輩はおもむろに手を僕の肩へと伸ばしてきた。
いつもなら、なんてことない軽いスキンシップ。
けど、今は。
ぱしっ!
僕は、先輩の手を払いのけていた。
先輩の口が「あ」という形に開き、僕らの間に気まずい沈黙が流れる。
「あ、ごめんなさい……私ったら」
「……すみません、今ちょっとしたことでも吐きそうで」
「鞄とお弁当を持ってあげようと思ったんだけど」
「ああ……」
言われてみれば確かに、左手に持った鞄とお弁当は、気持ち悪さも相まっていつもより重く感じられていた。
今朝の騒動から、いつ襲われるかわからなくて不安だった。でも先輩にはそんなこと関係なくて、善意で手を伸ばしてくれたのに。自分を恥じる。
「先輩に運んでもらうなんて悪いですよ」「いえいえ任せて頂戴」などと話す間にも僕はふらふらして、どさくさに紛れて先輩は荷物を手に取る。
「教室に届けておくわ。お大事にね」
先輩は、心なしか寂しそうに笑う。
僕は会釈して、保健室へ向かった。
心にはモヤモヤしたものが残る。