表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/17

思い出の子

「結局、護衛をつけて一日過ごすのか……。

 しかし今日くらい、僕は学校休んでもよかったんじゃないか。なぁ、悦治(えつじ)


 バックミラーの中で、眼鏡をかけた初老の男が目を細める。

「学業は坊っちゃまの大事なお仕事ですからね」


 執事の宮澤悦治(みやざわえつじ)は巧みにステアリングを切りながら毎日違うルートで送迎してくれる。黒塗りの車は防弾車で、僕は安心して座っていた。


「学校に行って、護衛に守られ、帰ってくる。

 それだけのことでございます」


 平然と言い放つ。僕ははぁ、と本日何度目かのため息をついた。


「それにしても、風又三郎左衛門とはねぇ……。

 すごい名前だな」

 車窓の外に目をやる。今日は晴れているけど風が強い。街路樹が台風の時みたいに揺れている。

 その風景を見て、僕は思い出した。


「悦治、覚えてる? 僕が誘拐された時のこと」

「ええと」

 即答できないのは、思い当たる件が多すぎるからで。

 僕はヒントを出した。


「小学校入ったばっかりの」

「坊っちゃまが入院中の時のことでございますね」


「そう。退屈してた僕は病院から抜け出して、公園で遊んでた。そこで誘拐されて……港の倉庫街で発見された」

「あれは不思議な事件でした。私どもが駆け付けたときには、犯人の男共は倒れ、坊っちゃまは『赤い髪の子が風で助けてくれた』とおっしゃって……」

 そこで僕らはバックミラー越しに視線を交わす。


「まさか」

「いや、名前に風が入ってるからってそうとは限らないけど」

「該当する子供は見つかっておりません。『風で助けてくれた』というのも、当時のアニメの影響かなにかだったのだろう、という話になりました」

「……」

「しかしそれが本当なら、坊っちゃまの命の恩人でございますね」

「……ああ」

 たまに夢に見る。

 まるで強烈な嵐のような、赤い髪の子。


「ぜったい、ゆるさない!」

「いっちゃんを、かえせ!」


 こちらを見据える強烈な視線、強い言葉。数年経っても覚えている。

 僕にはあんな言い方はとてもできない。

 あんな風にはなれっこない。


 だからこそ、頭に残っていたんだろう、そう思っていたら。

 悦治が爆弾を落としてきた。


「そういえば、あの後しばらく『赤い髪の子と結婚する!』とおっしゃっていましたね」



「ぶふっ!?」

 僕は盛大に噴き出した。


「け、けけ……結婚!?」

 顔が赤くなるのが自分でもわかる。


「誘拐事件の後、坊ちゃまは『あの子はどこにいるの?』としきりに聞いてこられまして……。  

 潤んだ瞳で『もっと一緒にいたかったの。結婚すればずっと一緒にいられるんでしょう? あの子と結婚したい!』とおっしゃってました」


「そんなこと……言ってたんだ」

 両頬を押さえる。熱い。

 バックミラーの中で悦治が目を細める。


「おや、そんな反応をされるとは。子供の頃の言葉でしょう」

「……そうだけど」

 僕はこの顔で注目は集めるけど、彼女がいたことはない。

 皆、「今日も推しが美しい……」「全瞬間の画像を脳内保管したい」「見ているだけで幸せ」と遠巻きに見ている感じで。

 もちろん人並みに恋人は欲しい、恋に恋するお年頃なのだ。

 だけど、色々すっとばして結婚、だなんて。


「ませてるなぁ、小さい頃の僕……」

「お顔が真っ赤ですね。あの頃も今も、一郎坊っちゃまは大変に可愛らしい」

 ふふふ、と悦治は笑う。


「からかわないでよ……」

 ああもう、早く学校につかないだろうか。


 その時、後ろから走行音が近づいてきた。

 振り返る。大型バイクが数台、猛烈なスピードで追いかけてくるのが見えた。


「――悦治」

「お客様のようですね。失礼いたします」


 ギュルルルル!

 タイヤが(うな)りをあげる。


 車はスピードを上げ、あっという間にカーチェイスが始まった。

 バイクの男たちが怒号を上げる。「逃がすか!」「追え!」とでも言っているのだろう。


「坊っちゃま、しっかりおつかまり下さいね」

「……ああ」


 僕らはこうやって追われるのに慣れっこだ。だが、今日は予想よりしつこい。


「……数が多いですね」

「僕が鍵だって、情報が漏れたんだろうか」

「そんなことはない、と思いたいですが……」


 悦治がハンドルを切り、脇道にそれる。右に左に、走り回ることで、バイクを一台、二台とまいていく。

 しかし。


 僕らの行く手を塞ぐように、次々と車が現れる。

「新手でございますね。坊っちゃま、シートベルトは」

「してるよ!」

 必死の思いで声を出す。

 映画のように、なんでもなさそうに切り抜けるのがかっこいい、とわかってはいるけれど。体が弱いことには定評がある僕はそうもいかない。後部座席に押し付けられる重力を感じながら、揺れる車の気持ち悪さと戦っていた。

 うう、かっこ悪い。

 

「おっと」

 その声に目を開ける。

 いつの間にか車は首都高を走っていた。しばらく先が渋滞している。後ろから迫る追っ手。

 このままでは、追い付かれる。そして何より。

「……悦治」

 僕は限界だ、吐きそう、と伝えようとしたのだけれど。


「お任せください」

 悦治はアクセルを思い切り踏んだ。

 執事の愛車はブゥン、と唸りを上げてそれに応える。

 そして車は渋滞の車にぶつかる直前、横に傾いた。


「うわぁぁあ!?」

 窓の下に、道路が見える。

 目を白黒させる間に、渋滞する車の隙間を縫って車は傾いたまま走り、追っ手を置いてけぼりにしていく。



 やがて、渋滞を抜け、傾いていた車体はやっと元に戻る。速度も落ち着いてきた。

「だいぶまきましたかね。もう少しで学校ですよ」

 執事はニコニコと笑う。

「僕、家に帰りたい……」

 喉元まで上がってくる吐き気をどうにか抑えながら、僕はぐったりしていた。


「さすがにもう追ってこないだろ……」

 へろへろになりつつも、僕はリアガラスから後方を見る。安心しようと思って見たのだけれど、まだ追っ手はいた。バイクが三台。


「うわっ、まだいる!」と僕が言ったのと、

「おや?」と悦治がつぶやいたのはほぼ同時で。


「今度は何!?」

 慌てて前を向くと――逆光の中に人影があった。

 空いてきた道のど真ん中。中央車線をまたいで、腕組みして立っている。

 フードをかぶっているのでよく見えないが、シルエットからして女性らしい。


「危険な印象はありません。護衛かもしれませんね」

 ひとまず避けます、と悦治が言うのもどこか遠い。僕の目は彼女に吸い寄せられている。

 あれから何年も経っているのに、予感があった。

 もしかして、あれは――。 


 車は微動だにしない彼女の脇をすり抜ける、その一瞬。


 目があった。

 フードからわずかにのぞく髪は赤く、鋭い目も赤い。

 

 綺麗、だった。


 彼女は僕を一瞥(いちべつ)した後、視線を前へと戻す。

 そこには、バイクがやってくるはずで。


 成り行きを見届けようとするも、車は首都高出口へ降りつつあった。

 緩やかな傾斜と共に、彼女の姿は見えなくなった。

 だけど。


 どっどど どどうど どどうど どどう


 あの風の音が、聞こえた気がした。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ