高山一郎という少年
「そのシステムのエラーって、人為的なものだったりするんじゃないですか? わざとこうなるように仕向けて……」
「さてね」
「さてね、って……」
「原因は調査中です。どのみち直さなければならないし、今日一日のことです。
まぁ誘拐されても死ぬことはないでしょう。
静脈、虹彩、声紋……どれもこれも、生きていないと使えない鍵です」
「僕の扱い、雑すぎませんか……」
「護衛までつけるのです。甘すぎると自分では思っていますがね」
お父様はちらり、と書棚に飾られた写真立てを見やる。そこには口髭がまだない、ラグビーのユニフォームに身を包んだ若いお父様と、白いワンピースを着てレースの日傘をさした可憐な美少女――僕のお母様が映っている。
「作画が違う」とまで言われたギャップのある夫婦。その片割れはもういない。お母様は僕が小さい時に病気で亡くなった。
元華族の家に生まれ、知識教養を兼ね備え社交界の華だった母は、二十歳で父と電撃結婚して、僕を産んだ。
その人生を評して「星のように輝き、花のように散った」とまで言われるくらい可愛らしかった母には未だに財政界にファンが多い。
一方、何もかも常人離れしたお父様は、あらゆる武道に通じ、若い頃には熊を投げ飛ばしたとか、絡んできたチンピラを叩きのめしたついでに背後にいたヤクザ一組までつぶしたとか、力強い噂が絶えない。祖父の代では町工場だったのが、今や知らぬ人はいない一大グループに成長したのも、お父様の功績だ。
そのお父様は僕に視線を戻し、溜息をつく。眼光鋭い瞳には、お母様とそっくりの顔をした僕が映っているはずだ。
昔から「あの総帥と血縁とは思えない」と言われる僕は、一言で言えば、少女漫画に出てきそうな見た目をしている。
育ち盛りのはずの高校生にしては線の細い体、色白の肌、お母様ゆずりの金髪、大きな目に長いまつ毛。
歩くだけで僕に見とれて立ち止まったり、振り返る人が多い。「ギリシャ神話に出てきそう」「後ろに薔薇背負ってる」「美少女」と言われるのは、男としてあまり嬉しくはない。背だって165cmで止まっている。2m近いお父様には何もかも負けている。
まるで小枝と巨木だ。
そして僕は、成績こそ良い方だが、体が弱い。運動神経だってめちゃくちゃ悪い。反射神経も壊滅的。
一言で言うとドジだ。
お父様が心配なさるのも無理からぬことだった。
「お前はか弱すぎます。ならばせめて、良い味方を自分につけることが肝要。
周りをうまく使いなさい」
「周りって……」
「学校の環境、人脈、今日の護衛……使いこなせるようでなければ、次の総帥の座は難しいですよ」
「僕、普通に学校行って、普通に働ければそれでいいんですけど……料理やお裁縫も楽しみたいし」
小さくつぶやいた言葉は、獅子のように迫力ある目でギロリと睨まれて途切れた。すぅ、と息を吸い込む音がして、僕は構える。
「根性を見せなさい、根性を!」
大音声に、窓ガラスがビリビリと震える。
僕の頭に、アメコミの集中線と「WOOOOO!!」という効果音が浮かぶ。
「うう……」
圧がすごい。よろめいたけどなんとか倒れるのをこらえる。
「返事は!?」
「……はい」と返したのは蚊の鳴くような声だったが、お父様は満足したらしい。
「とにかく今日は獅子のごとく、我が子を先尋の谷に落とすことにしましょう」
太い指を組んでにこり、とお父様は微笑む。
「さぁ、そろそろ朝食の時間なんじゃないですか?」
「失礼します……」
僕は一礼して部屋を出た。
レッドカーペットが敷かれた廊下を歩きながらため息をつく。一階大広間へと続く階段を降り始めた時、階下のメイドから声がかかった。
「一郎様、お食事のご用意ができました」
「今行くよ」
返事に気を取られ、僕はつるり、と階段を踏み外した。
「うわぁああ!?」
そのままコロコロと転がる。止まらない。
ああ、今月三回目の転落だ。
「うう……」
大広間まで転げ落ちた僕の体はやっと止まった。
「一郎様ー!」
「大丈夫ですか!?」
使用人たちが寄ってくる。
幸い、体が軽い上、敷き詰められたカーペットのおかげで怪我はないけど。
「こんなんで大丈夫かな、僕……」
僕の不安は消えないのだった。