君の元へ
「遅かったわね。さぁ、高山君を丁重に運んで……って、え?」
落ち着いた先輩の声の調子が、途中から変わった。
ドサッ、と音を立て、男が倒れたのだ。
扉が開かれる。
そこに――風香さんがいた。
「一郎、無事か」
「風香さん――」
君こそ、と言いたくなった。
風香さんはボロボロだった。
息が切れ、顔にすり傷。タイツが破れ、そこから切り傷がのぞいている。
疲れの見える顔は、しかし僕の姿を見て瞬時に笑顔に変わった。
「よかった。今助けてやるからな」
「……」
声が出ない。
彼女の背後に、スーツ姿の男たちが何人も倒れている。これまでどんな戦いを繰り広げてきたのか。余裕で刺客を倒してきた風香さんが、苦戦して、それでもここへたどり着き、僕を見て笑った。
胸にくる、とはこのことだ。
祭壇へ、僕の元へと風香さんが時折よろめきながら歩いてくる。
「予定していた時間よりオーバーしてる。
こりゃ報酬弾んでもらわなきゃな。
手作り弁当、もう1回くらいご馳走にならないと」
軽口は、きっと僕を安心させるためのもの。
「うん、とびきりおいしいのを作るよ」
だから僕は、力強く返事した。
「こんなことになるなんて……やはり、頼りになるのは自分、ですわね」
白鳥先輩は苛立ちを隠そうともしない。
僕を奪われまいと、ふらふらの風香さんへと歩みを進める。
コツコツと規則正しい足音が、次第に速度を増し、
「ごめんあそばせ!」
走った勢いのまま、鋭い蹴り。
風香さんの腹部を直撃する。
一瞬体が浮き、衝撃で壁に打ちつけられた。
ステンドグラスの窓が割れる。
「……っ」
「風香さん!」
床に崩れ落ちた彼女に、先輩が近づく。
文武両道、海外で習得した格闘術……。
先輩のプロフィールが、頭をかすめる。
「お得意の風はどうしたの?
……ああ、もしかして体調が万全ではないのかしら?
苦労してここまでたどり着いたようですし、ね!」
白鳥先輩は踵を落とす。
瞬きの間に、風香さんは横に転がってよけた。ふらつきながらも立ち上がる。
赤い髪が揺れ、両の拳を握って構える。
「お嬢様のわりにいい蹴りしてんじゃねぇか」
「お褒めにあずかって光栄ですわ。少々、格闘術をたしなんでおりまして」
「度のすぎた謙遜は嫌味だぜ」
風香さんが殴りかかる。先輩はそれをいなし、蹴る。とっさにガードするものの、顔をしかめる。ぐっとこらえて、反撃。かわされる。
風の力があれば、きっと先輩であろうとも風香さんの敵ではなかった、だけど。
何度目かの衝突の後、またしても先輩の蹴りが決まる。
「ぐぁっ!」
「風香さん!」
僕は思わず身を乗り出し、祭壇から転げ落ちた。
振動が、体中に響く。
「うっ……」
目を開けると、礼拝堂の中を所狭しと二人は戦っていた。
長椅子の上を渡り、壁を走るようにして攻撃を避ける。
木片が、ステンドガラスの欠片が飛んでくる。
「軽い、いちいち攻撃が軽いですわ!
あなた風の能力に頼りっぱなしね! まるで届かなくてよ!」
「……うるせぇ」
ガードの上から、先輩の拳が入って風香さんが後ろに下がる。押され気味だ。
「風香さん……」
見ているしか、叫ぶしかできないのか、僕は。
そりゃ、お父様や風香さんのように力はないけど、でも。
何かできることはあるはずだ。
いや、何とかしないと。
僕は手足を見る。
この縛られた手が、どうにかなれば、あるいは。
不意に、視界の中にきらめく光を感じた。
数m先、ステンドガラスの欠片が床に突き刺さって、天井からの光を受けている。
僕は蛇のように這いずって移動し、鋭利な切り口に、手首の縄を押しあてた。上下に動かすうちに、縄が切れていく手ごたえを感じる。
――間に合え。
「いい加減倒れなさいよ!」
声の方向を見ると、風香さんが立ち上がろうとしているところだった。押しているのは先輩なのに、イライラしている。
「こんな、粗雑で野蛮な人は、高山君のそばにはふさわしくないわ。
妙な力を使って気味が悪い……まるで化け物ね」
ここまで言われて、風香さんが平気なはずはない。
「化け物!」と言われてビクッと反応した姿を思い出す。
案の定、風香さんが固まる。すかさず先輩のボディーブローが二連続で決まる。再び床に倒れる体。
僕は急ぐ。手首の縄が切れた。ガラスの欠片を手に取り、次は足の縄。
――間に合え、間に合え!
ガラスを握るうちに手の平を切ったらしく、血が流れる。いつもならそれだけで貧血を起こしてしまう僕だけど、今はそんなことより。
ブチ、と最後の縄が切れる。
「やった!」
小さくつぶやき、僕は立ち上がり、駆け出す。
もう、君が傷つかないように。