放課後
午後の授業には身が入らなかった。
いつだって、当てられたら120%の回答ができる僕なのに、「すみません、聞いていませんでした」なんていう日がくるなんて。
「高山君、君らしくないな」
「もしかして風香さんと喧嘩したの?」
なんてことないクラスメイト達との会話にもひやりとしながら、僕は答える。
「いや、少し疲れただけだよ」
そして隣の席をうかがう。風香さんは聞こえているのかいないのか、タブレットを操作しながら、僕の支度が終わるのを待っているようだった。
「高山君、今日は早く休んでね」
「ごきげんよう、高山君」
「うん、また明日」
僕は息を吐く。吐いてもちっとも心は楽にならない。
朝はあんなに放課後が待ち遠しかったのに、こんな気持ちになるなんて。
風香さんとは、あれから口も聞いていない。ただ、少しでもおかしなことはないか目を光らせてくれている。唇は真一文字に結ばれたままだ。
「……帰ろうか」
つぶやきに、風香さんは目を合わせないまま頷く。
教室を出て、先を歩く彼女に、僕はついていく。
仲直りしたい。「うまい!」と喜んでくれた、あのキラキラした笑顔を見たい。笑い合いたい。
だけど、どうしたら。
「君は化け物なんかじゃない」なんて、そんな一時の否定なんて、薄っぺらい。モヤモヤしたものが胸につまる。頭もなんだか重いし、足元すらおぼつかない。ストレスが身体を弱らせてるんだろうか。貧弱な自分が嫌になる。
もうすぐお別れなのに、僕はなにをやっているんだろう。
のろのろと歩く僕に、風香さんは何も言わない。ただ周囲の安全を確認して、時折立ち止まって僕を待つ。
昼の風香さんなら、「さっさと歩けよ」と文句の一つも言いそうなのに。
階段を降り、靴箱で履き替えて、校舎を出た。
石畳の広場の先から、中央庭園への道が延びている。
九月、まだ日が落ち切っていない外はむっとした暑さだった。頬に汗がひとすじ流れる。
のろのろしていたせいで、あたりに人気はない。
帰宅部はとっくに帰り、部活組は活動場所へ。
その狭間のような時間に、僕達はいた。
どうするんだ、僕。
このまま帰るのか、
ここから中央庭園、そして送迎ロータリーに着けば、もうお別れだ。
それでいいのか。
「高山君!」
よく通る声が、僕を呼び止めた。
振り返ると、白鳥先輩がいた。こちらに歩いてくる。
「先輩、今朝はありがとうございました」
「体調はよくなった?」
「まあまあです」と返事をする前に、風香さんが僕の前に出た。
先輩の顔が曇る。
「あなた、見慣れない顔ね。高山君のお友達?」
「私は……」
言い淀んで「クラスメイトだ」と風香さんは続ける。
「何の用だ。一郎はもう帰るところだ」
白鳥先輩は眉をひそめる。
「ずいぶん無粋な口をきくのね。
私は高山君とお話したいの。どいてくださらない?」
「断る」
「あらそう」
先輩はムッとしているけど、すぐに微笑んだ。
急な表情の変化に違和感を覚える。
「ところで高山君。
ちょっと顔色が悪いんじゃなくって?」
「……え?」
もしかして。
嫌な予感が、じわじわと周りを取り囲む。
僕がさっきから気持ち悪いのは、まさか、先輩のせい?
「本当は知っているのよ。この子、あなたの護衛でしょう?」
「先輩……?」
言葉を続けたいのに、頭が重い。
僕の貧弱な体質のせいだと思っていたけど、まさかこれは。
先輩に、薬でも盛られたんだろうか?
身体がふらふらする。立っていられない。
「一郎? 大丈夫か?」
風香さんが、倒れそうな僕の両肩を支える。
その手のぬくもりに僕の不安が和らいでいく。
そうだ、ここには風香さんがいるから、大丈夫。
彼女なら僕を守ってくれる。誰にも負けない。
先輩にだって……。
だけど。
僕を支えていた彼女の手が、ずるりと落ちた。
「一郎……助けを呼べ」
「風香さん?」
バランスを失った僕らは、その場に倒れ込む。
「風香さん」
彼女は目を閉じている。完全に気を失ったらしい。
回らない頭で、僕は必死に考える。
どうして風香さんまで?
そういえば、薬を盛られたとして……それはいつだ?
「あら、その子もアレを食べたのね」
コツコツと、先輩の靴音が近づく。
「なにを……したんです?」
「遅効性の睡眠薬を、お弁当のおかずに仕込んでおいたの。
気づかれないように、少しずつ。
だけどどうやら、護衛の方がたくさん食べたみたいね。あさましいったら」
先輩の声の方向さえ定かじゃない。視界が揺らぐ。
「どうして、こんなことを……」
「聞きたい?」
ああそうだ、家に連絡しなきゃ。
スマートウォッチを操作しようとする僕の震える手を、先輩の細い指がつかんだ。
「あなたのことが好きだからよ、高山君。
――さあ、おやすみなさい」
魔法の呪文のようにタイミングよく。
僕の意識はそこで途切れた。