斑猫(はんみょう)
今年、やっと入れた動物の専門学校。
近年は猫好きが増えて、なかなかの人気(倍率)。
俺は、小さな頃から工作好きで、ハサミは友達だったから、その器用さに磨きをかける毎日を過ごしていた。
だがしかし、家族は髪を切らせてはくれなかった。
それで、自分家の犬の毛を刈っていたけど、雑種だからそうそう切る必要もなくて、で、たまたま連れて行ったドッグランで犬友が出来、動画を見せ合っているうちにそんな話しになり、長毛種の犬のカットを引き受けたって感じ。
動物好きは横の繋がりが強いから、そのうちに色々な問題のある動物の毛のカットを頼まれるようになって、それで、いわゆるトリマーってのを目指す気持ちになった訳で、きっかけって言うやつかな。
そしてこの夏、学校指定の動物病院で実習が決まった。
一緒に行くのは、動物の保護活動を続けていると言う主婦の絵美さんと、二コ上の開業する為に来ていると言う匠さんと俺、颯太。
「ずっと専業主婦だったから、うまく勤められるか不安だわ」
「気持ちは同じですよ」
「颯太君はどう?」
「病院なんて暗いイメージしかないから、笑ったりしたら怒られそうな感じ」
「あっは、なにそれ~」
「お客の前では、おとなしくしていた方がいいですよ」
「やっぱり。じゃ俺、動物とだけ喋る」
「もう~緊張薄れたかも~」
初日は挨拶に紹介、案内に説明と身体中が硬くなっちやったよ。
それから病院内には、入院している動物達がいて、実習生は、退院間近な元気な動物の世話を任されそうな感じだった。
ウサギにハリネズミ、ミーアキャット。その他にも関わったことのない動物ばかりで、どんな感じでコミュを取ればいいのか、最初は手が出なかったなぁ。
その点、普段から人に慣れない動物に関わっている絵美さんは、扱いも上手。
それから匠さんは、様々な動物の勉強もしているからか、特徴を把握して上手く接していた。
「出来ないのは俺だけか」
「そう落ち込まないで」
とは、病院のスタッフの萌さんだ。スマイル美人って感じ。
「だって、朝勤が匠さんで昼勤が絵美さん。一番混まない時間帯が俺だもん」
「でも、その分動物の世話が出来るから、楽しくない?」
「ほら、それって、暗に接客出来てないって言ってるようなもんじゃん」
「ふふっ、これから、これからよ」
「ああ、言葉使いも勉強しなくちゃか」
その時だ。
ピーッピーッピーッ……。
「ああ、まただわ」
動物病院の裏口にあるセキュリティの音らしい。
「俺、見て来ようか?」
「うーん、多分何もないと思うけど、確認するのがマニュアルだから。それじゃぁ、お願いしようかな」
「オッケー任せて」
知らないって最強。
俺は一応、懐中電灯を持って裏口に向かった。
節電で薄暗かった廊下を通ると、照明がカチカチと鳴ってついたりしたから、ちょっと不気味な感じでビビったけど、裏口の確認は何度も説明があったから覚えていたよ。
「誰かいますか~?」
って、裏口の扉横にある確認用の小窓をあけて訊いてみた。防犯上、かんたには裏口扉を開けたりはしないそう。その為に監視カメラがあるからね。
それから懐中電灯で外の見える範囲を照らして確認。
「誰もいないっと」
終了とばかりに閉めた筈の窓。それなのに生暖かい風が動いた感じがした。
「ニャ~」
と小さな声までする。
「えっ? 猫?」
本当は駄目だけど、仔猫かもしれないと思ったから、扉を開けてしまった。
「どこだ? 出ておいで~」
裏口の外には細い道があってその先には手すりの柵が続き、下には川が流れている。つまり、どこにも隠れる場所がない?
俺は、ヒュ~と川風に吹かれてセットした髪が乱れるのを感じた。
「幻聴かな?」
ささっと髪を手ぐしで鋤いてから裏口を閉めた。
「ニャ~」
「えっ?」
今度はハッキリと聞こえた。
振り返るとそこには翡翠の瞳をした斑な猫が座っている。
「わぁ」
少し慌てて、病院の廊下の独特な床で、見事に滑って尻餅だ。
ところが。
「颯太君、誰か居たの? えっ? どうしたの?」
と、奥から萠さんが来て、床に座り込んだ俺を起こそうと駆け寄ってきた。
「ね、猫が……」
「どこに?」
「扉の前……あれ? どこ行った?」
ここの廊下も隠れるところなんかないのに探す。
「こっちから来たけど、何も見かけなかったけど?」
「ウソ、そんな……猫の鳴き声も聞いたし姿も見たのにいないなんて……」
「ちょっと、やめてよ。これから夜勤なんだから、怖いこと言わないで」
「監視カメラ、監視カメラ見てよ」
「落ち着いて。それは医師の許可がないと勝手に視ることは出来ないのよ?」
「そんな~」
「もう、裏口も開けたりするから、セキュリティ会社に電話しないとならないわ。それで鍵はちゃんと締めたの?」
萠さんは、施錠を確認すると戻るように俺に言った。
それから、俺との会話を避けるように仕事をしていたから、帰る時間が近づいてしまい。
「用事がなければ帰るけど?」
「うん、特にないわ」
実習ノートにサインをもらえば今日は終わり。
「萠さん、お先に~」
「明日も頑張ってね」
で、駅まで歩く帰り道。
やたら暗がりに目がいく。さっきの猫が隠れているかもって。
でも、住宅街まで来ると街灯も明るくて、すっかり忘れてしまった。
だけど、そんな事が何日か続いて、学校に中間報告しに行った日のこと。
「あの動物病院、何か感じない?」
絵美さんが突然切り出したから、俺も俺もって毎日鳴るセキュリティの話しをした。
「そう。もしかして、颯太君葬儀用の窓を開けたりしていないよね?」
「葬儀用?」
「やっぱり。あそこの確認用の窓って、裏口の扉に直接ついているのよ、知っている?」
「扉に直接? いやいやいや、マニュアルに横の窓って書いてあったよ、ねぇ?」
横にいた匠さんは、黙って首を振る。
「逢魔が時に葬儀用の窓」
「それを俺が開いたって? イヤ~!」
「落ち着いて」
しばらく取り乱しちゃったけど、猫の姿を見たのは一度きりだから大丈夫よ。って、何の根拠もない励ましを受けて、俺は、何とか持ちこたえた。
「まだ実習は続くのに」
この時、自分のことばかり話して、絵美さんの話しを聞き忘れてしまう。
で、先生に中間報告をして、帰る方向が違うから三人バラけた。
それからも鳴るセキュリティ。
だけど、一番イヤなのは帰り道だ。
絵美さん達と話しをする前は、探していた猫。
なのに……見付からなくて良かったと思った途端、後ろに何かがついて来る気配がしている。
今まで暗く川風の音しかしなかったのにザザッとか、トトンとか。何かが雑草を潜るような音や道に降りるような音がして怖くてたまらない。
兎に角、背中に注意を払いながら住宅街まで走るしかなくて。
たまたま駅で病院から帰る絵美さんに会った時は、「少し痩せた?」と言われたぐらいだよ。
「もう、早く実習終わってくれないかな~」
なんてボヤいているうちに残り三日。
住宅街までの帰り道……気のせいじゃなければ、だんだんと近づいてくる気配。
「俺、取り憑かれる寸前かも」
「ふふっ、いったい誰にだい?」
「猫崎医師居たの?」
実業家みたいに爽やかな青年医師なんだけど、やたら猫に好かれる体質なんだって。それも今はなんかイヤだ~。
「居るさ、仕事なんだから」
「医師って悩みなさそう」
「颯太君、それはモラハラだよ、僕にでなければ問題発言だ」
「あ、すみません」
「で、誰につきまとわれているの?」
「多分、ここで見た猫」
「うちはノラは診ていない筈だぞ?」
「だから、夕方になると鳴るセキュリティの猫」
「……」
しばらく間があったような?
「大人をからかわないでくれよ。実習で疲れているのかな?」
「うん、そうかも」
「因みにだけど、どんな猫を見たんだい?」
「翡翠の瞳の斑模様した猫かな」
「斑猫ねぇ」
「はんみょう?」
「いや、斑猫って虫がいるのを知っているかな?」
「知らな~い」
「斑猫って書いてはんみょう。肉食虫だけど、綺麗な模様をしていてね、『道しるべ』とか『道教えと』か言われている虫なんだ」
「そうなんだ」
「悪いことばかり考えていないで、良いことも探すといいかもね」
「うっ、医師ありがとう」
「ほら、いいのかな? 休憩時間が終わっているよ?」
「あっ」
俺は、医師の言葉に励まされて、またまた簡単に浮上した。
帰り道。
日に日に距離を詰める気配。
最終日の一日前には、とうとう足下をじゃれつく猫の感触がして転んだ。
転んだと言ってもほぼ自分の足が縺れて、手のひらを擦った程度だけど。
そして迎えた実習最終日。
入院生活をしている動物達の世話にも慣れて、薬の紛れさせ方や清拭に快適な環境の為の部屋掃除と、滞りなく終える事が出来た。
「トリマー志望で動物病院に実習に来るなんて、随分と熱心な学生だと思ったけど、会ったらまだ高校生みたいで、本当のところはスタッフ一同心配していたのよ」
「え~、最後にディスるなんて、萠さん酷いよ」
「違う違う、動物に対しては愛と元気パワーがあって、皆でそれを褒めていたんだって話し」
「そっか、なら良かった」
「颯太君のお世話した動物達は、皆、回復が早くて退院が繰り上がったりして、本当に驚いたんだから」
「俺一人暇だったから、その分、動物達の相手が出来たからだ」
「そうかもね」
こうして無事に実習ノートにサインをもらい最後の帰り道のことだ。
昨日は、怖くて驚いて転んでしまったけど、自分の足にじゃれつくなんて可愛いじゃないか。
それでふと立ち止まった。
タッタッタッタッタ。
背後から誰かが走って来る?
その時、ブーンと虫の発するイヤな音がして、振り払ったらガツっと何かを叩いた確かな手応えがあって、と、同時に俺の髪の毛が数本舞っていた。
「な、なに?」
「……っう」
視界には道に蹲る人がいて、わからないから不用意に近づいてしまい。
その人は何かを拾おうとして……。
シャシャーッオゥ。
横から飛び出した影は、そのある物を川へと払ったように見えた。
ドッポチャポン。
重そうな音。
わからないけど、何かわからないけど俺は、咄嗟にその場を逃げ出した。
「って事があったんだよ」
「それで通報した?」
「しないよ。だって、説明できないし」
「まあ、そうね。確かに逆に捕まるかもね、頭がおかしいって」
「絵美さん酷いよ~」
「私もね、あの病院に行くと肌がチクチクして、何だか誰かに見張られているような気がしてた。でも、何日かすると肌のチクチクは治まって、温かな気に変わった気がしたなぁ」
「その話し、俺聞いてない」
「だって、颯太君それどころじゃなかったから」
「えっ? そうだった?」
匠さんは、この会話に口を出したものかどうか考えていたのか、ずっと黙って側にいた。
「お~い、まだ颯太いるか?」
「は~い、ここにいます~」
「お前、このレポートの中の猫崎医師って間違ってないか?」
「間違ってない筈。だって、休憩中にはいつも牛乳飲んでいたし」
「二人実習先が一緒だったな。猫崎医師って動物病院の医師か?」
「僕は、お会いしたことがないと思います」
「私もその名前は聞いたことがないです」
「似たような名前は?」
で、みんな不思議がお。
「颯太、明日行ってもう一度確かめて来い」
「い、いやです。病院にはもう行きたくない」
「ちょっと名前を確かめるだけだぞ。それに架空の名前じゃお前の実習に修了を出せないからな」
「架空の名前?」
「一人がいやなら誰かと行けば済む話しだろう。いいか、締め切りは明日までだからな」
おわり