寝台バスと迫りくる危機
朝、五つ星ホテルにパラダイスケイブ&フォンニャケバン行きのツアーガイドがお迎えに来た。白いハコバンのツアー車に乗った。ベトナム人相手の旅行会社で、英語ガイド付きと書いてあったので申し込んだのだが、ガイドがほとんど英語話せないところから一日が始まった。
「僕は今英語を勉強中です」
って、おい!英語ガイド付き言うてたやないかーい!
勉強中ってどーゆーことやねん!
ベトナム人観光客の中に一人だけ違う国籍が混ざり、ベトナム語会話に花咲くのツアー車の中、私はただただぼーっと窓から移り変わる景色を眺めるこことなった。パラダイスケイブは世界一の洞窟とうたっているのも文句なしのスケールの鍾乳洞であった。圧倒的景色に乾杯!常温の水しか持ってないけれど。あまりにもの迫力に押され、パラダイスケイブ内を歩く。
あの、ガイドさん、頑張って英語喋ろうとしてくれている気持ちはとても分かります。でも、距離感おかしいです。顔近過ぎます。そして
物凄く口が臭いです。もう、いいから説明いらないから無理に話しかけないで下さい、一人にして下さい………と言いたい気持ちを堪えた。
ランチをベトナム人の他のツアー客と共にして、その後フォンニャケバンの透き通るような川を船に乗り、まるでこの世のものではないような絵はがきかWindowsの待ち受けかのような景色を贅沢に見てから五つ星ホテルに戻り、宿をチェックアウトし、ホテル近くでヒッチハイクしたトラックに乗り、トラックの運転手さんに長距離バスターミナルに連れて来てもらい、ドンホイからダナン行きのバスに乗った。日本でもたまにしかしないヒッチハイクである。乗せてくれたのが良い人で良かった。両腕の入れ墨が少し気に掛かったけれど、人は見かけで判断してはならないとは正しく、この様なことであるな、と思った。
二階建ての深夜寝台バスの二階に乗り、ドンホイからダナンに戻ろうとしている。日本で言うところの東京、仙台くらいの道のりを、
バブリーなギラッギラの電飾の寝台バスで移動する。2時間くらい経過したところで、トイレが我慢出来なくなり人生最大のお漏らしするかもしれない程の膀胱状態と一人たたかったりしていた。何とかトイレ休憩でトイレ騒動をクリアしたら、自然の摂理に従えば、人は夜眠る生き物である。私はそのまま眠りについた。
夢も見ないほどの一番眠りの深いところで、バスのチケット徴収する人に叩き起こされた。眠すぎて判断能力が鈍ったままバスを降りた。
あれれれ?ここは多分確かに目的地のダナンではあるが、本来の目的地のバスターミナルではない。
深夜1時45分、ベトナムの地で高速道路内IC手前で、寝台バスに置き去りにされてしまった。
おい、バスよ、なぜ私だけここで降ろした?
さあ、どうしよう………
考え込んでいた私のもとへ、一台の白い小型乗用車が停まった。白タクだ。
「どこに向かっているの?」
「ダナンの(スマホを見せて)ここのホテルまで行きたいんだ」
「乗りな、180円で乗せていってあげるよ」
「お願いします」
ここで今回の旅はクライマックスを迎えることとなった。
助手席に私を乗せて、車内にロックをかけた運転手は、股間を露わにして、イチモツを利き手で上下にしごいている。
ちょっと待って………
さすがに旅慣れした私も予想外過ぎる、今目の当たりにしている出来事に対して、頭が追い付かない。
今、何が起こっているのだろうか…………
人は本物の危険と隣り合わせになったとき、時間がゆっくり流れているかのような錯覚に陥るという。
今、私の周りの時間は超絶スローモーションに流れている。この感覚はインドを一人旅した以来の感覚だ。
不味いぞ。脳内で警戒アラーム音がMAXに鳴り響いている。
「僕とセックスをしてくれ」
「絶対に嫌です」
「じゃあ、1800円払え」
「180円って言ったでしょ?」
「1800円払うか僕とセックスするか選べ」
なんや、その究極の二択は…今まさに人生を賭けたリアルロールプレイングゲームでゲームオーバーになるかならないかの瀬戸際といったところか。
ここで言う1800円=30万ドンとは、ドンホイからダナンまで移動する寝台バス、即ち東京仙台間くらいのバスの料金が1600円だから、その額より高いとうことだ。ちなみに、ベトナムのハノイの置屋で女性を買う相場が、20万ドンである。
しかし、このままお金を拒否するとおそらく私はレイプされるだろう………驚くほど冷静になった自分がそこにはいた。
仕方なく30万ドン(1800)円を渡す決心をした。
「分かったから、払うからお願いだからホテルに送って下さい」
ホテル前で股間を露わにしている運転手にお金を渡して、私はボロ宿まで全力疾走した。
この後も旅は続いたが、もう、今回の旅でこれ以上の出来事はない。なので、ここでこの旅日記を完結させることにする。
ありがとうベトナム、楽しかった(ほとんどの出来事が)
その後、無事に無傷で帰国したのである。