風を待つカナリア.4
自分が秀でた容姿を持っていることに、気づかないタイプは不思議とぐっときますね。
では、お楽しみください。
日曜日、約束を破るという行為に形容し難い抵抗感を持っている私は、商店街の一番端、東口のほうで駅のほうを険しい顔で睨み立っていた。
今日はGWの真っ只中。
天空の大部分を青いペンキみたいな空が占めていて、わずかな雲も、フィクションみたいに人が乗せられるのではないかと思えるほど、はっきりと真っ白く、存在感があった。
そんな中でも、私は日陰に隠れて真宵を待っている。
私は薄茶色のキャスケットに薄手のロングコートを着用していたが、暑いのでもなければ、眩しいのでもなかった。単に日頃の習慣である。
日陰者は端が好きだし、暗いところが好きだ。日陰なら、自分の影を見て落ち込むようなことはない。
五分ほどそうしていると、駅の出入り口から押し出されるようにしてたくさんの人が現れた。真宵もそこに混ざっているのだろうか、と観察する。
(…いないわ。全く、無理やり連れ出しておいて、ありえないわ!どういう感性をしているのかしら…)
土曜日、直前になって断りの電話を水姫に入れたときのことを思い出す。
最初は心配そうに、『何か用事があるの?』と尋ねてきた彼女だったが、歯切れの悪い私の返事に何か予感がしたのだろう、『もしかしてだけどさぁ、葉月さんじゃないよね』と酷く冷たい口調で問われた。
不味い、また何か誤解される、と咄嗟に私は『違うわ』と嘘を吐いてしまった。明らかに疑わしい声で相槌を重ねてくる水姫に、私は親戚の家に行くのだ、と具体性のある内容を付け足した。
(あぁ、こうして嘘って取り返しがつかなくなるのね…。水姫相手に嘘を吐くなんて、普段ならありえないのに。…全部、葉月のせいだわ)
義務教育課程において、同じ道徳の授業を受けたとは思えない真宵の顔を思い出し、眉間に皺を寄せる。脳裏に浮かび上がってきた顔が、人懐っこい笑みだったのも、また腹が立った。
ふと、視界の端から誰かの視線を感じて、私はそちらを横目で見やった。
真宵がコソコソしているのかと思っていたが、そこには私と同じくらいの年の見知らぬ女性が二人いて、こちらを向いてひそひそ話をしているところだった。
彼女らは私と目が合うや否や、すっと視線を逸らしながら、引き続き秘密の話に花を咲かせているようだった。
控えめに言っても不愉快な行為だが、私はというと、怒るでもなく無関心に戻るでもなく、ただ、そわそわと指を揉み始めるのだ。
外に出るとこれが嫌だった。学校であれば堂々と、開き直って日陰者、変わり者としての自分を受け入れることができるのだが、外界ではそうはいかない。
まず、服装。流行のファッションなんかとは地球と木星ほどの隔たりもある私は、自分の容姿以上に、この服装に自信がなかった。
もしかすると、帽子が変なのかもしれない。キャスケットなど、みんなは被らないのだろうか。
所なさげに帽子を外す。しかしながら、それで彼女らが興味を失うというようなことはなく、むしろ、より無遠慮に顔を向けて視線をやるようになった。
(もう、何なのかしら…。帽子じゃないなら…、もしかして、コート?スプリングコートを着るにはもう暑いのかしら)
これも脱いだほうがいいだろうか、と悩んでいると、急に誰かが私の肩を後ろから思い切り叩いた。
あまりに遠慮のない叩き方だったので、「きゃっ!?」と大きな声と共に飛び上がってしまう。
「ごめん、ごめん、お待たせ、莉亜」
振り向けば、そこにはパーカーを羽織り、丈の短い黒のスカートを履いた真宵が立っていた。
心臓が止まるかと思った。駅口のある正面から来ると思っていたのに、まさか背後から声をかけられるとは。いや、というか、急に後ろから肩を叩かないでほしい。変質者かと勘違いするではないか。
しかし、ほんの少しだけ自分が安心していたのも事実で、この喧騒の中、自分を見つけて声をかけてくれた真宵の姿に、私は明確な安堵を覚えていた。
「葉月、急に声をかけないで。…驚いてしまったわ」
「えへへ、ごめん、ごめん」
「というか葉月、駅口から来るんじゃなかった?」
「んー…、いやぁ」と歯切れ悪く頭をかいた葉月は、私が返答を得るまで逃がすつもりがないことを悟ると、開き直ったようないたずらっぽい笑みで言った。
「ちょっと、写真撮ってたの」
「写真…?」と訝しがる私に、真宵は満面の笑みで頷いた。「うん!」
無邪気な童女のような雰囲気に、何となく毒気が抜かれたような気分になってしまい、私は苦笑しながら、「それで、何の写真を撮っていたの?」と尋ねた。
すると、彼女はまたいたずらな笑みを浮かべて、「見たい?」と聞き返して来た。秘密の宝物をチラ見せしようとする子どものようで、どことなく愛らしい。
むしろ、見せたくて仕方がないのだろう、と判断した私は、内心で、しょうがないな、とぼやきつつ、「ええ、遅刻してでも撮りたかった写真なのでしょう?見せてほしいわ」と首を縦に振った。
「意地悪だなぁ」と返しながら隣に並んでくる真宵の携帯を覗き込むと、目を丸くするような写真が画面に表示されていた。
帽子の縁からはみ出た黒髪を片手で抑え、不安げな瞳で正面を見据える女の写真。写真が次へと移動する度に、女の表情は不安の色を強くなり、帽子を外して俯きがちになっていく。
その写真を一通り見て、私は体が熱くなるのを感じた。羞恥とも怒りとも言えない感情が頭に駆け上がって来て、意図せず大きな声が出てしまう。
「ちょっと!これ私の写真じゃない!」
「うん。そだねー」
「そだねー…じゃなくて、もう!勝手に撮らないでよ!」
「え、許可を貰ったら撮らせてくれるの?」
「駄目に決まってるでしょ!」
「ほら、やっぱりそうじゃん」
ふてぶてしくも唇を尖らせた真宵は、私のボルテージが高まるのを見て取ると、声が大きい、目立ってしまっているよ、と笑って見せた。
確かに、真宵が言った通り衆目を集めている。
自分で思っていた以上に大きな声が出てしまっていたようだ。納得はいかないが、仕方がない、大人しくするとしよう。
大きなため息を吐いて、正面に向き直る。すると、またあの少女たちと目が合った。彼女らは先ほどより無遠慮にこちらを真っすぐ見据えると、「やっぱり…」と何かを話し合っていた。
私はようやく合点がいったため、内心大きく頷きながら、真宵の腕を掴んで引き寄せ、その甘い香りのただ中に顔を突っ込んで言った。
「葉月が変なことをしているから、あの人たちに妙な目で見られていたのよ。恥ずかしかったんだから…!」
「えぇ?本当に私のせい?」
当たり前だ、と脇を小突く。
おそらく、ずっと私の後ろでカメラを構えていたのだ。そのせいで、知らず知らずのうちに被写体である私にまで注目が集まってしまった。小学生じゃあるまいし…、と思われていたに違いない。
私が惚け顔の真宵に向けて、「どう考えたってそうでしょう」と恨みがましい口調で告げたところ、彼女は突拍子もない行動に出た。
「じゃあ、本人たちに確認してみればいいじゃん!」
「え?あ、ちょっと…!」
真宵は私が制止する声など気にも留めず、一目散に件の女子二人の元へと駆け寄って行った。
「ねぇ、ちょっといいかな?」と唐突に声をかけてきた真宵に、当然だが、二人の少女は驚いた素振りを見せた。だが、やはり真宵はそれでも止まらず、「ずっとこっち見てたけど、何か用?莉亜が気にしてるんだけど」と言った。
可愛らしく上体を折って小首を傾げる姿にこのうえないあざとさを感じる一方で、私は真宵の羞恥の欠片もない発言内容を耳にして、慌てて飛び出さざるを得なくなってしまう。
「は、葉月!ちょっとやめて…」
どう考えたって、これでは私も変人の仲間入りは避けられない。知らない人に見つめられて困っています、などと自信過剰もいいところではないか。
バチリ、と少女たちと視線が交差する。その瞬間、体が熱くなり、背筋には冷や汗が浮いた。自分の意思ではどうしようもないくらい顔が火照り、耳まで赤くなっているのが自分でも分かった。
小動物が捕食者から逃げるみたいにして、素早く帽子で顔の下半分を隠し、日陰を求めて真宵の後ろに隠れる。身長差が十センチ以上あるため、体を折り曲げなくてはならなかったが、相手の視線にさらされるくらいなら、そのほうがマシだった。
そんな道化じみた動きをしている私に、少女たちは顔を見合わせた。それから、真宵のほうを警戒の眼差しで見やると、「あの、写真撮られてたんで…」でと聞き取りづらい声で答えた。
「ほら、やっぱりそうじゃない…!葉月の馬鹿」恨み言をすぐに目の前の真宵にぶつける。彼女は首だけで振り返り、「あはは、ごめん、ごめん」と罪悪の欠片も我が身にはないと言わんばかりに笑った。
すると、そんな二人のやり取りが微笑ましく見えたのか、少しだけ緊張が解けた様子で片方の少女が私を覗き込みながら尋ねた。
「あの、もしかして…」
自分に話しかけているのだ、と感じた私は、最低限の礼儀を払うために渋々と小さな壁から身を離した。真正面に立つと、少女はまじまじとこちらを爪先から額まで隅々と観察するような目で見てきた。
勘弁してくれ、と内心で呟く。学校だったら、じろじろ見ないでもらえますか、の一言ぐらいはいけるのだが、どうにも初対面の相手にそれは無理だ。
もしかすると、文句の一つでも言われるのではないかと不安がっていた私に、彼女は目を輝かせながら告げる。
「やっぱり、モデルさんとかですか?」
「え?」一瞬、その発言の意味が分からなくて、思考がショートする。「も、モデル、ですか?」
「あ、あれ?違いましたか?じゃあ、アイドルとか…?」
「アイドルって…」
段々と言葉の意味を理解することができた私は、次は、この人は一体、どういう狙いでそんなことを言うのだろうと不審感を抱いた。
自分がモデルではないことぐらい、聞かなくても分かる。アイドルなんてもってのほかだ。どう考えたって、せいぜい路傍に咲く花程度にしかなれない私に、ああいう太陽みたいな存在を被せるのはおかしい。
私は、妙な話が始まるのではないか、あるいは、何かからかわれるのではないか、と身を固くし、不信の感情を目に宿し始めたのだが、割り込むようにして会話に入ってきた真宵のせいで、その不安も塵みたいに容易く払われてしまう。
「そそ!莉亜ね、モデルなの!」ぐっと腕を絡め取られて、勢いのまま真宵に抱きつく形になってしまう。「ただし!私の専属のね」
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