表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
籠の外のカナリア  作者: null
二章 風を待つカナリア
7/28

風を待つカナリア.2

ブックマーク、評価をつけて頂いている方々、本当にありがとうございます。


引き続き、お楽しみ頂けると幸いです。

 桜も満開の時期を過ぎているというのに、少し花冷えする暮れのことだった。


 その日、私は葉月真宵に呼び出しを受けていた。待ち合わせ場所は美術室。嫌でもあの日の記憶が呼び覚まされて、奇妙な気持ちになる。


 もちろん初めは、真宵の言う通りにするつもりなどさらさらなかった。しかし、水姫のことや、キスのことを持ち出されると、どうにも旗色が悪くなった。


 水姫や周囲に秘密を知られるくらいなら、二人だけの時間を確保してやったほうがマシだ。


 当然、何か邪な要求をされるようであれば、全力で拒絶するし、真宵が脅してきたとしても、知らぬ存ぜぬを突き通すまでである。


 出来るだけ穏便に、というのが、日陰者の私の信条の一つだ。


 ただし、例外はある。こちらの平穏が脅かされるときは、強引な手段も辞さない。


 人もまばらになりつつある旧校舎内を、人目に気をつけて慎重に歩く。例の噂を聞いた以上、あまり表立って真宵に会いに行きたくなかった。


 まだ最終下校時刻には時間がある。実際、美術室の中にはまだ何人か生徒がいた。その中の一人が、片手を挙げてこちらに駆け寄って来た。


「やっほぉ、遅かったじゃん、莉亜」

「…来ただけマシと思ってください」


 へへ、といたずらっぽく笑った葉月真宵は、こちらに注目している他の美術部部員たちに向かい、芝居がかったふうに手を広げて見せた。


「皆さん、彼女こそが私の新作、『散り桜』のモデルとなった、風待莉亜さんです!」


 おぉ、という声が拍手と共に広がる。そこには、明らかに称賛よりも呆れやからかいのほうが多く含まれていた。


 すぐに、あの絵のことだとピンときた。その瞬間、眉がへの字に曲がる。


「『散り桜』って…」じろり、と真宵を睨みつける。「え?あ、あはは、ごめん、ごめん」


「あんまりだわ、なんて名前をつけているの」と独り言のように吐き捨てると、笑っていた他の部員たちも急に真面目な顔つきに戻った。


 真宵はそうして、ムッとした表情で美術室の窓から外を眺めた。


 換気のためなのか、大きな窓のほとんどが開けてある。アクリル絵の具の独特な臭いや少女特有の甘い香りが、風を求めるように外へ流れ出ていく。


 晩春の香りだ。長袖を着て日向にいれば、汗が浮かんでくる季節である。


 季節の水底に私の気持ちが澱のように沈んでも、時間だけは、こんこんと流れる水のように留まることを知らない。


 ふっと、何もかもが馬鹿らしくなった。


 考えても仕方がないことが、世の中にはたくさんあるのだ…。


 ふと、センチメンタルになっていた私の横顔を見つめてくる真宵に気が付く。首だけ動かして彼女を見やると、白い頬がほんのりと紅潮していた。


「…何ですか」

「えぇ?んー…、ふふ、やっぱり、綺麗だなぁって」

「もう、またからかって…。その手には乗らないわ」


 照れ隠しで真宵を睨む。彼女の熱っぽい視線から、決して嘘ではないことが嫌でも伝わってきていた。


 ややあって、真宵が手招きをしてから私を別室に呼んだ。準備室なのだろうが、鬱屈とした感じでかび臭かった。どことなく危険な気がして、扉のレールの上あたりで足を止める。


「あの」意図せずして、声が小さくなった。「ん、何?」

「…妙な真似をしたら、人を呼びますから」


 私としては、真剣な気持ちで口にした言葉だった。脅し、と言い換えても問題ないかもしれない。


 しかしながら、真宵はそれを聞くと、にんまりとした鬱陶しい笑みを浮かべ、準備室の机に顔を上げた状態で突っ伏した。


「何ですか、そのだらしのない顔は」

「えぇ?へへへ…」

「まさか、冗談だと思っているのかしら。だとしたら、お生憎様。私は本気よ」


 そこで私は、自分の口調が段々と、普段の言葉遣いに戻ってしまっていることに気が付き、慌てて視線を背けた。


 素の自分に近くなる、というのは、恐ろしいことだ。だって、外と内側、オンとオフの境界線が曖昧になってしまっているということだから。


 もっと簡単に言うと、自制が効かなくなるということだ。


 すると、勝手に反省を始めた私に向けて、真宵がもごもごと言った。聞こえづらいのは、口元を制服の袖口に添えているからだ。


「んーん、違うよ。なんか、よっぽど忘れられないんだなぁ、って思っただけ」

「忘れられない?」何も考えずに聞き返すと、真宵が嬉しそうに答えた。「うん。ほら、キスのこと」

「な、っ…」


 図星を突かれて、硬直する。そんな中で、顔の皮膚だけが、せっせと火起こしを行っていた。


 雲の隙間から覗く満月のように光り輝く、真宵の両目。小動物みたいな瞳をした水姫とは違い、妖しさと艶やかさを放っている。


 そんな瞳に真っ直ぐ見つめられると、嫌でも変な汗が出て、心臓の鼓動もまた速くなる。


「ば、馬鹿にしないで!私は衝撃的だったの!そう、当然でしょ?あんなことするの初めてだったのよ?なのに、こっちの了承も得ずに…!」

「へへ、いぇい、莉亜の初めてゲット」


 こちらの激情など気にも留めていない真宵の発言に、とうとう堪忍袋の緒がぷつり、と切れる。


「いい加減にして、葉月!それ以上、ふざけるなら、私、帰るから!」


 さすがの真宵もこれには参ったらしく、慌てた様子で謝罪を繰り返し、私が落ち着くまでは大人しくしていた。


 狂人じみて見える時も多いが、こうしてこちらの喜怒哀楽に敏感に反応するあたり、人の感情に無関心であるわけではなさそうだ。


 つまり、意図してこちらを怒らせたり、からかったりしているのだ。


 やがて、私の怒声を聞いた美術部員が心配して、準備室まで二人の様子を見に来た。


 周囲に人がいたことまで忘れてしまっていた自分の迂闊さを呪いつつ、「何でもないわ」と適当に追い払い、扉を閉めた。


 ぴたり、と自らの手で閉ざされた扉を見て、退路が断たれたことを思い知る。自分で閉めた手前、もう一度開けるのも、何だか恥ずかしい。


 覚悟を決めて、真宵のほうに体を向ける。彼女は、こちらの顔色を窺うような目つきで私の瞳を捉えると、恐る恐る尋ねた。


「えっとー…、莉亜、もう、怒ってない?」

「怒っているに決まっているでしょう」


 どうして一瞬で許されたと勘違いしたのか、甚だ疑問である。


「うえぇ、短気は損気だよ、莉亜ぁ」蛙が潰されたような声で、真宵が唸る。「それで葉月が大人しくなるなら、得だと思うけれど」

「はぁ、本当、毒舌だなぁ、莉亜って」

「事実よ、事実」しゅんとしてしまった真宵を見て、本当は少しだけ、良心の呵責に苛まれていた。「…それで、何の用なんですか」


 早いこと本題に入ろう。真宵のペースに乗せられていては、自分の素が露呈してしまいそうだ。


 それの何が悪いかは自分でも分からないが、少なくとも、それに対して自分が拒絶的であることは間違いない。


 真宵はだらしなく机につけていた上体を起こすと、途端に真面目腐った面持ちになって、咳払いを一度した。


 急に凛とした顔立ちに変貌した真宵に、ほんの少しだけドキリとする。その鼓動の意味だって、私にはよく分からなかった。


「莉亜、お願いがあるの」

「…何ですか」

「ねぇ、聞いてくれる?」

「そんなの、聞いてみなくては答えかねます」

「それじゃあ、駄目だよ。今ここで、聞くって約束して」

「ちょっと、その物言いは横暴です。大体、貴方がお願いしてくることなんて、どうせロクでもないことなんですから、その要求は飲めません」


「ぶぅ」と子豚のような声を発して、不服さをアピールした真宵は、ややあって、大きなため息を吐くと、頬杖をついた。


「いいんだよ、私は別に。ジョーカーを切っても」

「な、何ですか、ジョーカーって…」

「何?誤魔化せてないって、莉亜も分かってるでしょ?」


 真宵は薄ら笑いを浮かべて言葉を続けたのだが、その邪悪さと言ったら、同世代では類を見ないものだった。


「莉亜が、日乃水姫に対して恋愛感情を持ってるってこと」

今回は短い内容になっておりますので、また明日も更新します。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ