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籠の外のカナリア  作者: null
一章 禁断の果実

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禁断の果実.3

早速評価等をして下さっている方々、ありがとうございます!


少しずつ三者を絡めた話が進んでいきますので、お付き合い頂けると幸いです。

「ありえないわ…」


 自分でも驚いてしまうほどの声量で独り言が漏れる。とっさに周囲を見渡し、誰も聞いていないか確認するも、遅刻寸前の時間になった下駄箱周辺には、人の気配は一切ない。


 不用意な言葉が漏れないように、きゅっと唇をつぐむも、そのせいで昨日の夕暮れの出来事が思い出されてしまって、思わず頬が熱くなる。


 ふわりと香った、砂糖菓子みたいな甘い匂い。


 昔、五感の中で最も記憶に残るのは、嗅覚だということをどこかで聞いたが、実際にそのとおりなのだと思い知らされた気がする。


 きらり、と水の中で翻る魚の腹のような白い前髪。それを揺らしながら唇を離し、満足そうな、でもどこか気恥ずかしそうな表情で微笑んだ葉月真宵。


 昨日は、罵声を添えて彼女の体を突き飛ばしたまま帰宅したわけだが、一日経っても、どうにも気持ちの整理が追いつかない。


 ろくな睡眠も取れず、結局、隣家の鶏が朝を告げるまで、一睡も出来なかった。それからうたた寝したせいで、水姫が迎えに来たことにも気付かず、遅刻寸前まで眠りこけてしまっていた。


 ため息を吐きながら教室に向かう。すると、教室の扉を開けた直後、私の席に見慣れた人影が座り込んでいるのが見えた。


(水姫だ)


 私はつい、顔をしかめてしまった。


 寝坊した旨を告げるメッセージは、すでに水姫へ携帯アプリにて送信している。しかし、メッセージの確認は行われていたものの、返事はなされていなかった。


(絶対に機嫌が悪い。背中から放たれるオーラがそれを証明しているもの)


 驚かさないように、足音を立てて近寄る。自分の席だというのに遠慮しているみたいに横に立った。


「おはよう、水姫」じろり、と彼女の小動物みたいな瞳がこちらを捉える。「ごめんなさい、今朝は寝坊してしまったの」

「…おはよ」


 返事はしてくれたが、どいてくれそうにはない。


「怒ってる…わよね?」

「別に、怒ってないし」


 ムスッと唇を尖らせた水姫はそう口にすると、腕を組んで視線を黒板のほうへやった。クラスメイトの何人かが、自分たちのやり取りを気にしているのが分かる。


 どうやら、かえって怒らせてしまったらしい。問いかけの仕方が悪かったのだろう、と悔やむ。


 とは言え、いつまでもこうして私の席を占領されるのは困る。予鈴はすでに鳴っているので、もうじき本鈴と共に担当の教師がやってくる頃合いなのだ。


「えっと、座れないのだけれど…」


 仕方がなく、水姫に声をかける。だが、相変わらずどいてくれる気配はない。ただ、ようやくこちらは向いてくれた。


 くりくりした瞳に、逡巡の影がよぎる。何か言おうと迷っているのがありありと分かった。


「そっちこそさ、怒ってるんじゃないの?」

「え?何に?」

「そりゃぁ、ほら、昨日はさぁ――」


 そこまで口にしたところで、担任が本鈴を入場曲にして教室に入って来た。さすがにこの中で会話の続行は難しいためか、水姫は、「また、一限前に話そ」と呟きを残していった。


 自分の席へと戻っていく、水姫の背中を見つめながら席に着く。


 ぼんやりと頭に浮かび上がった、水姫の不貞腐れたような幼い顔に、思わず口元が綻ぶ。


 先程はピンと来ず、『何に?』と答えてしまったが、今なら彼女の意図が分かる。


(水姫も、昨日のことを気にしてくれていたんだ)


 そう考えるだけで、胸がじぃんと熱を帯びる。ただ、その分だけ、後から来る虚しさも大きく、暗いということを学んでいた私は、すぐに俯くこととなった。


(馬鹿みたい。水姫の根底にあるのは、幼馴染としての友愛にすぎないのに)


 無駄な期待や喜びで胸を膨らませるぐらいなら、最初から穴だらけのほうが良い。


 悲劇のヒロインぶって、萎れた風船みたいにくたびれた達観を望んでいることは、重々承知だ。


 やがて、中身のないホームルームが終わると、すぐに水姫が寄ってきた。小走りする姿に、また性懲りもなく嬉しくなる。


「で、どうなの」

「怒ってなんていないわ」


 笑顔で応じると、水姫はますます疑わしそうな目つきになった。


「だったら、何で今日は一緒に学校行ってくれなかったの?」

「だから、それは…」

「遅刻なんて、今まで一度もしたことないくせに」

「…ちょっと、疲れてたのよ。色々あって」

「色々?」と普段の調子で水姫が聞き返してくる。


 いつもの流れに戻す良い機会だとも思ったが、詳細を伝えることは出来そうにもなかったため、曖昧に微笑んで誤魔化した。


「なぁんか、怪しいな…」


 そうして、じーっと恨めしそうに睨みつけていた水姫だったが、そのうち思い直したのか、消えそうな声と、不安そうな表情で、「本当に、私のせいじゃないんだね?」と問いかけた。


 全く関係ないかと言うと、そうではない気がするのだが、一先ずは水姫からの追及を避け、ご機嫌を取るために首を縦に振りつつ、適当な相槌を返した。


「そっかぁ」と明るい顔で口を開いた水姫は、何の前触れもなく、その小さな手で私の手を取った。

「み、水姫ったら…」


 水姫の高めの体温を感じて、満ち足りたような心地になった。


 たとえ、この三十六度ほどの熱に、特別な意味などないと分かっていても。


 ふと、私たちの様子を見守っていたクラスメイトたちが、くすくす、と生暖かい笑い声を上げているのが聞こえてきた。


 それで、ここが教室のど真ん中だということを思い出し、恥ずかしいからやめてほしい、と言いかけたところで、さらに水姫が言葉を重ねた。


「本当はね?ずっと気になってた。ヒロと付き合ってから…莉亜が、とっても遠くに行ったような気がして…。まぁ、そういうものなのかもしれないけど」


 俯きがちに告げられた言葉に、一気に温もりが奪い取られるような感覚を覚えた。


 失われていく体温を取り戻そうと、ほんの少しだけ右手に力を入れるが、タイミング悪く、水姫が手を解いた。


 すうっと冷えていく、私の白い手。


 夢が醒めたみたいだった。


 誰にも見られない角度で、ぎゅっと、思い切り拳を握る。


(私が遠くに行ったんじゃない。貴方が、勝手に私を置いて行ったのよ)


 もうすっかり安心した様子の水姫を見据えていると、落胆やら、苛立ちやらといった感情に苛まれた。逆恨みじみた想いに我ながら嫌気が差す。


 不意に、離れたところから自分の名前を呼ぶ声が聞こえた。


「莉亜、いるー?」


 間延びしたような、あるいは、馬鹿にしたような声音。


 嫌な直感が働き、声のするほうへと弾かれるように体の向きを変えた。


「あ、いたいた!おはよ、莉亜!」


 教室の入り口から、ズケズケとこちらに近付いて来たのは、葉月真宵だった。


 相変わらず、白メッシュが浮きまくっている。周囲から注がれる好奇の視線など、まるで感じられていないかのようだ。


 最悪だ、と顔をしかめて真宵の顔を睨んでいると、もう一度、水姫が私の手を握った。


「葉月さんじゃん。…何、仲良いの?」


 折角、機嫌を取り戻していたのに、また水姫は不審がるような顔つきに戻っていた。


 ただ、水姫が怪訝に思うのもおかしくはなかった。なぜなら、私の人生において、水姫以外に私のことを下の名前で呼ぶ者はいなかったからだ。


 真宵を追い返すために何か良い口実はないかと時計に視線をやるも、まだ五分程度なら余裕がありそうだった。


「いいえ、昨日初めて話しただけよ」


 馴れ馴れしくも手を振りながら近付いて来る真宵の顔には、昨日のことを申し訳なく思う気持ちは見られない。


 一体、どういう神経をしているのか、と呆れている私の前に、真宵は体を斜めにして立った。


「おはよ、昨日ぶり」

「…何の用ですか」

「うわ、つれないなぁ。嫌われたみたいで、なんかショック」


 真宵は、言葉とは裏腹に嬉しそうな表情を崩さなかった。


「むしろ、嫌われないと思ったんですか」


 冷ややかな口調と眼差しで言ってのけるも、やはり、暖簾に腕押しだ。


 反省するどころか、含みのあるにやけ面を浮かべて、下から覗き込むように見上げながら、「えぇ?何で?」と言ってのけた。


「何でって…」私はそこで言葉に詰まった。真宵の視線が水姫と繋いだ手に注がれたからである。


 思わず、反射的に手を振りほどいた。


 後になって考えると、これがマズかったのだろうが、このときの私には、そんなことにまで気を配る余裕はなかったのだ。


 しまった。ただでさえ、嫌な疑いを抱かれているのに迂闊だった。


「ねぇ、何の話してるの」背後から、不機嫌さを隠そうとしない水姫の声が聞こえてくる。

「え、いえ、その、別に…」


 言えるわけがない。だって、どう説明するというのだ。


 貴方に振られたショックで泣いていたところを見られたの、と馬鹿正直に話す?


 それとも、油断していたら、突然キスされたって?


 馬鹿馬鹿しい。どちらを説明しても、私の行き場がなくなるに決まっている。


 選びようもなく、私は口をつぐんだ。もちろん、納得のいっていない水姫は追及をやめなかった。


「何それ、私に言えないような話なの?」

「たいしたことじゃないだけよ」

「じゃあ、言って」

「…それは、無理」

「ほらぁ!やっぱり隠し事だ!私に言えないことなんでしょ」


 珍しくしつこい。いつもなら唇を尖らせて、『もういい!』と自分の席に戻るところなのだが、今日は食い下がってくる。


 すると、何も答えようとしない私を見かねてか、それとも、単純に話をややこしくしたいのか、真宵が一歩前に出て代わりに答えた。


 ちょうど、私と真宵と水姫で、二等辺三角形を作るみたいなポジショニングだ。


「そそ、日乃さんには言えないことだよ」

「ちょ、貴方ね…」


 挑発するみたいな物言いに慌てて口を挟むも、猪突猛進の勢いで、「どういう意味」と言葉の意味を問い返した水姫に、それ以上、何も言えなくなる。


「気にしなくていいよぉ、私たちの問題だし。ね?莉亜」不意に話題を振られて、ドキリとする。「…何それ、っていうか、何で莉亜のこと、莉亜って呼んでるの」


「へ?莉亜のことを莉亜って呼んで、何が悪いの?」

「り、莉亜は急に馴れ馴れしくされるの、嫌いなの!」


「へぇ」真宵が意味ありげな微笑を描いた。黒曜石の瞳が、こちらを射抜く。「でも、莉亜が問題ないって言ったよ?」

「え?」そんなこと言ってないのだが、と目を丸くする私に、水姫が今にも噛みつきそうな勢いで問う。「は?どういうこと」


「い、言ってないわ!私、そんなこと」


 自分勝手な解釈を行った真宵に言葉の撤回を求めようとするも、すでに彼女は踵を返し、自分の教室へと戻ろうとしていた。


「…なんて勝手なの」


 ぼそりと呟いた言葉が聞こえたのか、くるりと真宵が振り向いた。


 その拍子に、スカートの裾が傘のように広がった。それだけを見ていると、ハイソサエティの振る舞いのように見えるから不思議だ。


 真宵は、眉間に皺を寄せている二人に向けて大きく手を振った。そんな大げさな動きが必要な距離とは思えない。


「昼休み、一緒にご飯食べよ!莉亜」


 一方的にそう告げると、真宵はこちらの返事も聞かないまま、扉の向こうへと消えた。そのうち、どこか冷ややかな眼差しだけを残して、水姫も自分の席へと戻るのだった。

土日は連続で更新しますので、中身が気になった方は明日もご覧になって頂けると嬉しいです。

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