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籠の外のカナリア  作者: null
一章 禁断の果実
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禁断の果実.2

一先ず、主要人物の登場です。


みなさまの好みになりそうなキャラがいると幸いです。

 忘れ物を手に図書室を後にした頃には、既に辺りは暮色に包まれていた。旧校舎の窓から見える山際も蒼然として、山と空の境界が曖昧で神秘的だった。


 肝心の本を忘れて帰っていた自分に嫌気が差し、思わず、眉間の皺が濃くなる。図書室のある二階フロアから本校舎へと戻る。


 すると、人のいないはずの校舎の一室から、暖色の光が漏れ出しているのが見えた。


 誰か、先生が後片付けでもしているのだろうか、と火に魅せられる蛾の如く、弱々しい光に吸い寄せられる。


 薄茶けた四角い小窓から中を覗くも、はっきりと室内の様子は分からなかった。どうやら照明は点いていないらしい。ただ、部屋の端のほうに黄光を放つ物体があった。おそらくは、ランタンを模した照明だろう。


 不思議と、私はその扉に手をかけていた。


 一度も入ったことのない部屋に理由も無く入るなど、普段だったら絶対にしないことだ。


 今日に限ってそんな行動に出たのは、きっと、朝から続く胸の痛みのせいだろう。


 不機嫌な水姫から向けられる視線は、昔と何も変わっていなかった。


 目を細め、唇を尖らせて、何か言いたげにしながらも、でも何も口にしない。


 何もかも変わったというのに、何も変わっていないのが、やけに胸をざわつかせ、神経を苛立たせた。


 力を込めると、あっさり扉は開いた。立て付けが悪いように見える扉の上には、『美術室』と書かれたプレートが、ぐらぐらと落ち着かない様子で揺れている。


 こちらを見つめる石膏像や、絵画の中の住人たち。そのどれもが不気味だった。そうではないのは、色鮮やかな絵の具で塗られた風景画くらいのものだ。


「美術室、初めて入ったわ…」ぼそりと、独り言を漏らす。


 この学園では、美術は選択科目だ。必修ではないため、縁がなければ最後まで美術室には足を踏み入れずに終わるはずだ。


 ふと、視線がランタン照明のほうへと向いた。逆光で眩しいため、はっきりとは確認できなかったが、照明のそばにはキャンバスと人物画らしきものがある。


 何となく、光のほうに近寄る。深海で生きる者が、光につられて捕食者の胸の中に飛び込むような気分だった。


 だが、そんな考えは、一瞬のうちに吹き飛ばされた。


 私は絵画の前に立ち尽くしていた。


 距離を詰めたことで、この絵が一体何をモデルに描かれたものなのかが容易に理解できた。しかし、どうして作者がこんなものを手掛けたのかは、まるで理解できなかった。


 いつの間にか、じっとりと汗ばんだ掌を握り込む。冷えた汗が気持ち悪くて、行儀が悪いと知りながら、スカートの表面で拭った。


 動揺する心を落ち着かせるために、一つ息を吐いた。鼓動がゆっくりになっていくのが感じられて、今まで心拍数が上がっていたのだと気付かされる。


 私は、さらに一歩絵に近付いた。


 疾走感のある長い黒髪の動き、目元をつたって宙にこぼれる涙の雫。


 悲壮と諦観に滲む、細められた両目。


 そして、何かに苛立つようにつぐまれた桜色の唇。


 間違いない、これは――。


 驚愕に息を吸い込んだ瞬間、不意に、美術室の入り口のほうから女の子の声が聞こえた。


「え、誰?」


 その声に驚きながらも、私は機敏な動きで体の向きを反転させた。


 そこには、私と同じ制服を着た女性が目を丸くして立っていた。


「あ、えっと…すいません、開いていたので、つい…」

「そうなんだぁ、びっくりしたよぉ、もう」


 砂糖菓子のような声から、勝手に下級生のものかと思っていたが、セーラー服に入っているラインの色を見るに、同級生だ。


 身長は私よりも低い。まあ、私がダントツで高いほうなので当然かもしれない。おそらく、水姫より少し高いぐらいだ。目は吊り目で挑戦的な印象を受ける。これも声とのギャップがあった。


 特筆すべきは、その髪型だ。二つのお団子を結い上げているのも目立つが、前髪の左側の一束だけが異様に長く、しかも、白のメッシュがあしらわれているのが異様に映る。


 学園の規則上、メッシュなど許されようもないのではと不思議に思うも、校則を確認したことはないので、正確ではない。


 見知らぬ生徒に急に声をかけられ困惑している私をよそに、少女は驚いたふうにこちらをじっと見据えた。


「あれぇ?君、もしかして、もしかしなくても、風待莉亜?」


 唐突に名前を口にされて、心臓がドキリと跳ねる。


「そ、そうですけど、どうして私の名前を…?」


 一方的に名前を知られている、というのは気持ちの良いものではない。舞台がこんな人気のない一室の薄闇であれば、なおさらだ。


 しかし、少女はこちらの問いかけなど、まるで聞こえていないかのように両手を叩くと、「うっそぉ!本物じゃぁん」と嬉しそうに言った。


「本物?」すぐにピンときて、背後の絵を首だけで振り返る。「本物ってことは、やっぱり、この絵のモデルは私なんですか?」


「お、もう見られてたんだ。そうそう、それ、君。君だよ、風待莉亜」

「どうして、私なんかの絵が…」気味が悪くて、両手で自分の体を抱くようにして立つ。

「んー…、綺麗だったからかなぁ?」


 平然と言ってのける少女に、つい、ムッとして返す。


「自分の知らないところで、自分の絵が描かれているなんて…軽いホラーです。そんなの」

「まぁ、普通はそんなもっか」

「誰なんですか、これを描いたの」


 こんな時間まで美術室にいるのだから、きっと、目の前の少女は美術部員なのだろう。そうでないならば、夕刻の美術室に現れる地縛霊、という線が濃厚になってしまう。


 絵がここにある以上、美術部員が描いたに違いない、と付け足す私に向かって、少女はどこか嬉しそうに口元を綻ばせて答えた。


「私だよ、それ描いたの」

「え、は?貴方が…?」


 まさか、面識がまるでない相手に絵のモデルにされていたなんて。しかも…。


(この場面、絶対にあの日だ)


 水姫とその想い人が、晴れて結ばれた日。


 彼女らにとっては祝福の日で、私にとっては審判の日。


(まさか、見られていたのかしら。私が、水姫たちを見て泣いているところを)


 嫌な予感が沸々と湧いてきて、私は沈黙のベールの向こう側に隠れた。その様子を勘違いしたらしい少女は、開けたままになっていた扉を閉めながら言った。


「えぇ、もしかして、アンタ誰って思ってる…?もう、がっかりするなぁ、運命だと思ったのに」


「運命?」日常では聞き慣れない単語に顔をしかめる。「そう、運命。だって、完成した日の夕方に本物に逢えるなんて、絶対運命だよね」


 嬉しそうに目を輝かせて言ってのける彼女に、軽い目眩を覚える。


(人のことを無断で絵のモデルに使っておいて、悪びれる様子もないなんて…)


 奇妙な気恥ずかしさと不審感を胸に、私は彼女の顔を睨みつけた。すると、好奇心旺盛なのがひと目で分かる二つのオニキスが、何の前触れもなくこちらを捉えた。


「風待莉亜」ぼそり、と先ほどよりもずっと低い声で彼女が呟いた。「やっぱり、実物はずっと綺麗」

「な、何を急に…。からかわないで下さい」

「からかってないよ」カチャン、と鍵が落ちる音が聞こえて、思わず身を固くする。


 どうして鍵を掛けたのかと尋ねる暇もないままに、少女はしなやかで静かな足取りで距離を縮めて来た。


 暖色の光に照らされて、メッシュの入った色めく前髪が、白刃のようにきらめいた。


 薄笑いを浮かべたままの少女に、私の中の何かが全力で警鐘を鳴らしていた。


 カツカツと近寄る彼女から、すっと横にずれて距離を離す。幸い、彼女が何かしてくるのでは、という不安は杞憂に終わった。


「この絵、一ヶ月前くらいから描いてたんだ」夢見心地のような、抑揚のない口調だった。「そ、そうなんですか」


 その言葉に適当な相槌を返すと、少女は首だけをこちらに向けて、ゆっくりと曖昧な笑みを浮かべて言った。


「葉月真宵」

「え?」

「私の名前。ね、ホストみたいでしょ。覚えてよ、運命の相手なんだから」


 ふふ、と風が抜けるような声で笑った真宵は、再び視線を絵へと戻すと、壊れ物を扱うかのような繊細な手付きでキャンバスの中の私の体をなぞった。


 うっとりとした目つきでなされた行為に、自然と頬が熱くなる。


(本人を前にして、あんな真似をするなんて)


 考えすぎかもしれないが、若干、手付きが卑猥な気がした。必要以上にゆったりとした動きだったこともあるだろうが、何よりも、真宵の血色の良い唇から漏れる長息のせいだった。


「ねぇ、風待莉亜」ぼそり、と彼女が呟いた。「…なんですか。というか、フルネームで呼ばないで下さい」


 真宵は口元を歪めて続けた。


「どうして莉亜は、あのとき泣いてたの?」


 恐れていた質問を受けて、ぴくり、と肩が跳ねる。馴れ馴れしく下の名前で呼ばれたことなど、頭に入ってこなかった。


「何のことですか。私、泣いてなんて――」

「悲しかったの?」こちらの言葉など聞こえていないかのように、問いを重ねる真宵。「それとも、ショックだった?」

「だから…っ、私には何のことだかさっぱり――」

「ぶつかったじゃん、あのとき」


 癖なのか、それともわざとなのか、再び真宵は私の言葉を遮った。


 ぶつかった、とあの日の記憶を遡る。そんなに時間をかけずとも、思い当たる節があった。


 確かに、中庭から校舎へ入ろうとしたとき、誰かにぶつかって、涙混じりに謝った気がする。まさか、あれが葉月真宵だと言うのだろうか。


 私が目を白黒させているのを見て、「ほら、やっぱり」と真宵はどこか満足げに微笑んだ。


 人をからかっているような態度に苛立ちを覚え、真宵をじっと睨みつける。彼女は、射殺すような視線にも怯まず、体ごとこちらに向き直った。


「嘘吐きだね、莉亜」

「…馴れ馴れしく、下の名前を口にしないで」


 今更ながらに呼称を指摘するも、真宵はまるで気にしていない様子で鼻を鳴らした。


「それで?何で泣いてたの、莉亜」


 こちらの言うことは聞かないくせに、自分の質問権を手放すつもりは全くないらしい。そんな傲慢な態度にますます腹が立ち、私は体を反転させ、彼女を視界から消した。


「貴方には関係ないでしょ、葉月真宵」意趣返しのつもりで、フルネームで呼んだのだが、むしろ真宵は嬉しそうに、「わぁ、もう名前を覚えてくれたんだ」と言った。


 あの日のことを探られている不快感。そして、水姫が誰かのものになったときの得も言われぬ苦痛を思い出させられて、不愉快さで胸がいっぱいになった。


 耳を塞ぎ、腐食したような思い出が忍び寄って来る足音から逃れたかった。


 だが、そんなことをして余計に真宵の関心を買うのは避けたかった。とにかく追及から逃れるために、その場を後にしたい。


 そう考え、私が退室の旨を口にしかけたときだった。


 ドン、という軽い衝撃と、背中に当たる柔らかな膨らみ、そして、自分の体を閉じ込めるようにして回された両腕。


 一瞬、何が起こったのか分からなかった。だが、間髪入れずに真後ろから聞こえてきた声に、ハッと我に返る。


「ねぇ、理由を当ててあげよっか?」


 真宵に抱きしめられている、と理解した刹那、私は身をよじって彼女から離れようとした。しかしながら、あの細腕のどこにこんな力があるのか、微動だにしない。


「は、離して!」消えていた不安がむくむくと蘇り、声が大きくなる。「変な真似をしたら、人を呼ぶから!」


 脅すつもりで必死に口にした台詞だったが、真宵はそれを聞いても、愉快そうに笑うばかりだった。


 やがて、ようやく力を緩めてくれたかと思うと、真宵はやけにスローで、はっきりとしたイントネーションで話を続けた。


「好きだったんでしょ」

「な、何を…」ドクン、と心臓が跳ねる。


 不意に、彼女の顔を振り向きたい衝動に駆られた。行われた問いの真意を図りたかったのだ。


 ただ、それをしてしまうと、何もかもを見抜かれてしまうような気がした。


 閉ざし続けることを選んだパンドラの箱の蓋が、開かれてしまうような気がしたのだ。


 深く、呼吸をする。その拍子に、締め付けられている胸の周りが少しだけ苦しくなる。


(落ち着け、落ち着くのよ。この質問の意味は、『彼』のことが実は好きだったのではないか、というものだわ。私の涙の意味は、そう解釈するのが自然なはずだもの)


 嘘でも肯定しておくべきかもしれない、という考えが、脳裏を巡った。そうすれば、今後、余計な詮索を受けて、水姫への気持ちがバレることはないと思ったからだ。


 この想いには、誰にも触れてほしくない。


 たとえ、ほんの一欠片であっても。


 こんな錆びた情愛は墓場まで持って行くと、この一ヶ月でようやく決心したのだから。


「んー…ヒロのこと」真宵の口から紡がれた、水姫の彼氏の名前に、ほっと息を吐きかけるも、続く言葉に息が止まった。「それか、日乃水姫のこと」


「…っ!」もう一度、ドクンと心臓が鳴った。


 冗談かどうかなど、考える暇もなかった。


 真宵の手が、私の胸の辺りにぐっと服の上から押し込まれたからだ。


 指先を通して心臓の声を聞くようにした彼女が、嬉しそうに告げる。


「あ、やったぁ、当たりだ!」


 体を渾身の力でねじり、今度こそ、真宵の拘束から身を逃れることに成功する。しかし、そこには一ミリの安堵もなかった。


「ち、違う…っ!」


 向かい合った真宵は、口元に赤い三日月を描いて応じる。


「違わないでしょ、莉亜の嘘吐き」

「だから、違うって言ってるじゃない!」


 からかうように語尾を高くした真宵に、叩きつけるような語調で伝えるも、やはり彼女は、何の罪悪も感じていない様子で薄く笑うばかりだった。


 あまりのことに混乱してしまった私は、イヤイヤするように頭を左右に振って、古ぼけた木目の床を見つめた。


 ぐるぐると後悔と不安、焦燥が回る私のすぐそばから、真宵のうっとりとした響きが聞こえてくる。


「ふふ、やっぱり思ったとおり。莉亜は私の宝物になれる」


 彼女の言葉の意味を問い返すため、顔を上げた。


 刹那、むせ返るような甘い匂いがして、私の唇に柔らかな何かが触れた。


 酷く甘くて、溶けるように熱い。それなのに…、どこか、心の体温すら奪われていくような感覚。


 まるで、禁断の果実みたいだ。


 エデンという楽園から、アダムとイブを追放する、知恵の実。


 己の想いを欺いてでも守り抜こうとした理想郷、それと純な私を汚す、追放の物語。


 伏せられた瞳の上で踊るまつ毛が、とても艶やかに感じられた。


「私、莉亜のことを知りたいの」


 そうして私は、宵の口に片足を突っ込んだ夕暮れ時、まともに使われなくなった旧校舎の一角で、葉月真宵という女と出会った。


 運命の歯車、というものが本当にあるのであれば、確かにそれが動き出した瞬間ではあったのだろう。


 ただ、歯車の軋む音は、酷く暴れ狂う心臓の鼓動にかき消され、私の鼓膜にまで届くことはなかった。

内容に関する感想、もっとこうしたら面白いのでは、といった意見、いつでもお待ちしています!


ブックマーク等で元気になるので、よろしくお願い致します…。


次回は土曜日に更新します。

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