星降る瞳.2
鍵をかけたのは、この運命を逃さぬため。
唇を奪ったのも、この運命に楔を打ち込むため。
まさに、青天の霹靂のような言葉だった。
(ちょっと、話が違うじゃないっ…!)
横目で真宵を睨みつけるも、彼女はやけに真面目腐った顔つきで、何ごともなかったかのように否定の言葉を口にした。
「いや、普通の友だち」
大した役者だと思った。もしかすると、こうなることを予期して、準備していたのかもしれない。
しかし、その母もまた優れた人間だった。
「ごまかさなくていいわ。…そう。莉亜さん、こんな変な子のどこが良かったの?」
ふわりと微笑むその様子は、先ほどまでとは打って変わって親しげだった。その瞬間的な切り替えの早さについていけず、私は口ごもってしまう。
「お母さん、莉亜、困ってるじゃん」
「…そうね、急に聞かれても困るわね」苦笑した彼女は軽く謝罪をすると片手をこちらに差し出し、自らの名を葉月彩と名乗った。「彩さん、と気軽に呼んでもらって構わないわ。私も、そちらのほうが呼ばれ慣れているし」
「は、はぁ…そうなんですね」
差し出された片手に応じないのは、マナーがなっていないと思われそうだ。こんな習慣は自分にはないが、おそるおそる握り返す。
握手を終えた横では、真宵があまり面白くなさそうな顔をしてこちらを見ていた。
「この人、色んなところを飛び回ってるから、自分が何人かも分からなくなってるんだよ。許してあげて」
なるほど、画家ともなればそういう生活にもなるのだろうか…。
彩はゆっくりしていくように告げると、腰を上げて背を向けた。すでに、その背中から、開幕当初の動揺は微塵も感じられない。
不意に、彩が立ち止まった。それから振り返ると、また私のほうを無言で見つめた。
その得も言われぬ感情が込められた瞳に、無意識のうちに私の口が動く。
「…あの、そんなに似ているんですか?」
私の声にハッと我に返った彩は、美しい微笑を浮かべると、こくり、と頷いた。
「…ええ、彼女には二度と会えないと思っていたから…莉亜さんのおかげで、とても懐かしい気持ちになれたわ。ありがとう」
去り際に残された言葉に、似ているだけの相手でも、そんな気持ちになれるものだろうか、と不思議に思う。
彩が部屋を出て、取り残された私たちは、互いに顔を見合わせると小首を傾げたが、すぐに真宵の部屋に移動しようということになった。
真宵の部屋へと向かう道中、人が三人くらい通れそうな廊下で私は口を開いた。
「…不思議な方だったわね、彩さん」
「うへぇ、やめてよ、『彩さん』なんて」
どうやら、あまり親子仲はよくないようだ。そのため私は、それにしても、と話題を変えた。
「貴方のこの行き当たりばったりの性格、なんとかならないのかしら」
「え?あ、あはは、まぁ、なんとかなったじゃん?」
「もう、反省して。こっちは心臓がきゅぅ、って鳴ったわよ」
両手を胸に当てて、締め付けられるというジェスチャーをして見せるも、真宵は反省するどころか、目をキラキラとさせて、「え、今の『きゅっ』ってやつ、可愛い!もう一回やってぇ」などとねだる有様だった。
絶対にしないわ、と反省の影もない真宵を冷たくあしらっていると、突き当りの部屋に到着する。
扉には掛札があって、『真宵の部屋』と英語で書かれていた。その下には、『勝手に入るな』とも。
真宵も思春期の少女らしいところがあるのだな、と伝えると、こうでもしなければ本当に勝手に入り続ける、と彩に対して苦言を洩らしていた。
それから私は真宵の私室へと通された。そして、中の装いを見て思わずぎょっとした。
床から天井ほどの高さまである本棚、アンティークのレコードプレーヤー、イーゼル、三人掛けのソファ、ビロードのカーテン…極めつけは、天蓋付きのダブルベッド。
以前、私の家に来たとき、天蓋付きのダブルベッドで眠ってそうだと私のことを口にしていたが、まさか本人がそうやって眠っていたとは…。
言葉を失くして佇んでいると、真宵がソファに座るよう促してきた。断る理由もないので、おそるおそるではあるが腰をかける。本革、というやつなのだろうか。
「…貴方のほうがお姫様じゃない」
ようやく皮肉の一つを絞り出す。しかし、真宵は気にもしていない様子で、ティーポットで紅茶の準備をしていた。
「お金持ちの家に生まれただけ。私はそれを享受しているだけだから、すごくも偉くもないね」
「まぁ、そうかもしれないけれど…」
真宵は紅茶を白磁器のティーカップに注ぐと、こほん、と咳払いをした。
「莉愛、見て欲しいものがあるんだ」
「なに、まだあるの?もう、お腹いっぱいだわ」
「えへへ、まだお茶菓子も出してないよ」
お茶菓子はいらない、とため息交じりで伝えるが、真宵はすでに用意していたらしく、バターの香りが香るクッキーを皿の上に並べた。
ハイソサエティな家庭に生まれていると知ってしまえば、不思議と真宵の指先の動きまで洗練されたものに見えてしまうから不思議である。
普段は一つの世界を描き出すために振るわれている指先が、静かに、クッキーを摘まむ。ゆっくりと持ち上げられたクッキーは、そのまま私の唇の前に運ばれた。
「あーん」腑抜けた顔で、真宵が言う。母親に見せる顔とは随分と違う。
何も考えずに言う通りに口を開け、クッキーを頬張ろうとした瞬間に、パッと目の前からクッキーが消えた。代わりに気持ちの良い音を立てて真宵が口を動かし、咀嚼していた。
「あはは、引っ掛かった!」
空気を食んだ私は、じっとりと恨みがましい目で真宵を睨み、「うっとうしい…」とぼやく。
真宵は上機嫌な様子だ。よっぽど今日という日を楽しみにしていたらしい。
もう一つため息を吐き、今度は自分の手でクッキーを手に取り、紅茶と合わせて舌鼓を打つ。
繊細な味の違いなど分からないが、美味しいことは間違いない。紅茶からは林檎の香りがしたので、アップルティーか何かなのだろう。
しばし、それらを楽しんだ後、私のほうから本題に戻った。
「それで、何を見ればいいのかしら」
「あ、そうだね!ちょっと待ってて」
真宵は弾かれるように立ち上がると、部屋から出て行った。そうして、五分ほど経った後に白い布に覆われた長方形の包みと一緒に戻ってきた。
「それは何なの?」
「まあまあ、ちょっとこっちで説明させてよ」
そう言うと、なぜか真宵は荷物を持ってベッドのほうへと移動し、腰を下ろした。それから、ちょい、ちょい、とこちらに手招きしてみせる。
「…どうして、ベッドなの」訝しがる様子を隠さず問うと、心外そうに真宵は肩を竦めた。「もぅ、何もしないってば!付き合い始めてからも自重してるでしょ、ちゃんと!」
「それはそうだけれど…貴方には前科があるのよ、前科が」
小言を垂れながらも立ち上がり、真宵の隣に腰かける。想像以上に沈み込んだマットに、上体がふらつきそうになる。
「えへへ、何だかんだ言いながら、そばに来てくれる莉愛が好きだよ」
ストレートな愛情表現に、胸がきゅっとなる。先ほどとは違って、悪くない息苦しさだ。
ただ、ここでたじろいでいては相手の思うつぼだ。私はそう考え、できる限りなんでもなさそうな口調で応じる。
「それはどうも。私も、そうして真っ直ぐに気持ちを口にできる貴方のこと、好きよ」
「えっ…!」
瞬時に真宵の顔が赤く染まる。見事なクロスカウンターが炸裂したようだ。
「そ、そっかぁ…いやぁ、困るなぁ、もぅ…照れさせてやろうと思ったのに、上手に返されちゃった」
「ご愁傷様」
「でも、莉愛だって顔赤いよ?」
「…分かってるわよ」
そうだ、カウンターの代償に自爆してしまっていることも分かっている。なぜなら、顔が酷く熱いからだ。
「いいから、早く説明して」気を取り直し、再び本題に戻る。「おっけー、心して聞いてね」
私の催促を受けて、真宵は佇まいを直した。
真剣な顔つきになった真宵は、かなり凛とした様相を呈するようになる。彼女の母親を見て改めて思ったが、声質が幼く、普段へらへらしているから分かりにくいだけで、真宵の顔立ちは間違いなく綺麗系の美人タイプだ。
「聞きたがってたでしょ、私が莉亜を好きになった理由」
「え、ええ…その話とそれが何か関係あるのね?」
「そういうこと」
布に手をかけた真宵は、一度私のほうを見てからゆっくり頷くと、するりと布を取り払った。
布の下から現れたのは、一枚の絵画だった。それを認識した私は、初め、一体これのどこが私と関係があるのかと疑ったが、すぐに真宵の意図を察することができた。
「この絵…」
「うん。言いたいことは分かるよ。とっても莉亜に似てるよね」
「どういうこと?この間に描いた絵とは別物よね、いつの間に描いたの?」
また人の許可もなく勝手なことをしたのだと思った私は、自然と真宵を責めるような口調になっていたのだが、彼女は私の考えを素早く否定した。
「違う、違う。これは私が描いたものじゃないの。お母さんが昔に描いたものなの」
そう言うと、真宵は芸術家を志している身で普通科の学校に通うことになった経緯を語りだした。
母の口車に乗せられ、普通科の学校に通い始めてから一年ほどが経った。
芸術や絵を描くことを介さずに友人を作ることは思っていた以上に難しく、結局、私の居場所は美術室以外にはあてがわれなかった。
それで良いと思っていた。技術という面では私に遠く及ばない仲間たちではあったものの、馬は合った。美術以外の話だって頻繁にやっていたから、ある意味、経験を積むことはできている…そう、自分に言い聞かせて日々を過ごしていた。
そんなある日、私が他のメンバーたちと共に桜の木を題材に絵を描こうと校舎裏に向かっているときのことだった。
黒髪を振り乱し、地面を見つめたまま校舎裏から駆けてくる少女の姿に、私の瞳は釘付けになった。
美しい黒髪、真珠のような涙、人目を引くスタイルの良さ。
互いに互いを避けることなく――いや、向こうは気づいていなかったのだろう――、私たちはぶつかった。
それは、今考えれば、切り離された林檎が大地に吸い寄せられるみたいなものだったのかもしれない。
「ごめんなさい…っ」
鳥のハミングを彷彿とさせるほどに美しい声だった。
一瞬だけ見えた涙に濡れた横顔に、また意識の全てを奪われる。
(お、お母さんの絵のモデルに、そっくり、いやいや、瓜二つどころじゃないよっ…!)
物心ついたときから、心奪われてやまなかった存在が、今、流星のごとく目の前を通り過ぎていく。
引き止めたい、と思ったが時すでに遅し。少女はもう校舎の中に飛び込んで行った。
「真宵、大丈夫?」と心配してくれる部員の声も聞こえず、少女の残影を瞳で追っていると、困惑した様子で仲間たちが続けた。
「今の、風待さんだよね?」
「うん。だけど…泣いてたね」
「どうしたんだろ」
風待、という単語が今の少女の名前だと気づくのに時間はいらなかった。
「か、風待!?今の女の子の名前だよね、ね!?」
「え、うん…」
「下の名前は!?」
「た、たしか莉亜だけど…え、こわっ、なに、真宵。そんなに強くぶつかられたの?ってか、同じ学年なのに知らないの?」
そんなことはどうでもいい。いや、強くぶつかられたのは間違いではない。
あまりに鮮烈だった。運命が、私の目を覚まさせるためにトラックばりの勢いでぶつかってきたのだ。
私はその後から、遮二無二なって風待莉亜について調べ始めた。
そうして、ストーカーも真っ青になるほどのリサーチ力を発揮したところ、あまり面白くない真実が次々に明らかになってきた。
まず、風待莉亜のことを深く知る人物はほとんどいないこと。彼女は無口を極めたような人物で、たったひとりの例外を除いて友人も作ろうとはせず、海の底でたゆたうように学校生活を送っていた。
優れた容姿を持ち、テストの結果も良く、運動もできた彼女のファンは少なからず存在しているようだったが、莉亜が他者との分厚い壁を頑なに維持したため、孤立していた。
ファンたちの間では、美しい一匹狼の平穏を脅かすのはタブーとされているらしく、抜け駆けしてまで彼女に話しかける勇気のある者はいない様子だった。
最も面白くなかったのは、そのひとりの例外についてである。
風待莉亜を観察しているうちに、すぐに彼女がその例外――日乃水姫のことを恋愛的な意味で好きであることが分かった。同時に、時期的な問題で、あの日彼女が泣いていた理由も分かった。
日乃水姫は、どこまでも鈍感な女だった。
あの美しい少女が、自分にだけ相好を崩し、美しく調律された声音を震わせているというのに、一切、何も気が付かない。
風が吹いているのに、回らない風車みたいなものだ。
こんなにも不甲斐ないことが、不信心なことがあっていいのか、と私はあっという間に日乃水姫のことが嫌いになった。
塵屑の中から、やっと見つけた黒曜の宝物。
絶対に、この手に入れたいと思った。
私なら幸せにできる、とも思った。
何をどう話しかければいいのか、部員に相談しつつも、抑えきれない想いをキャンバスに叩きつけた。それで描き上げた作品には、『散り桜』と名付け、少しでも早く彼女が日乃水姫を忘れられるよう祈りを込めた。
そして、それが完成した日の夕刻、奇跡が起こった。風待莉亜が自分のほうから私の領域にやって来たのだ。
いや、奇跡なんて言葉は使いたくない。私はそれを『運命』と称することにした。
このチャンスを逸するわけには、絶対にいかなかった。
鍵をかけたのは、この運命を逃さぬため。
唇を奪ったのも、この運命に楔を打ち込むため。
この人なら、好きになれると思った。
だって、私は出会う前から風待莉亜に恋をしていたようなものだったのだから。
ご覧下さり、ありがとうございます。
次回は金曜日、22時となります。




