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籠の外のカナリア  作者: null
三章 宵の口

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宵の口.4

知っているのはまともじゃないということだけで、

何がどう好きなのか、

何を思って生きているのか、

そういったことは何も知らない。

「描くぅ?」と怪訝そうに首を傾げた真宵は、私の言葉の意味にすぐにぴんと来ると、「…本気なの?」と呟いた。

「ええ、そうよ!貴方がそうしたいって言ったんでしょう!さっさとしなさい、ほら!」


 半分は自暴自棄、そしてもう半分は甘えたい一心で私は真宵に命じる。


 自分自身、情けのないことだとは思った。水姫にはできなかったことを、今私は真宵に求めていた。


 渦を巻いたままの感情で真宵に触れ、メチャクチャな言い分で私という人間に関わってもらおうとしている。


 先日、二度と顔を出すなと言っておきながら…。酷く勝手だということは分かっていた。ただ、真宵がそんな自分でも受け入れてくれるという根拠のない確信もあった。


 案の定、真宵はまたため息を吐くと、イーゼルを自分の椅子のそばに立てて、私に座る場所を指示した。


 ドカッ、と背もたれつきの木椅子に飛び込むように腰を下ろす。椅子が苦しそうな悲鳴を上げたが、今は自分のほうが苦しいと開き直る。


「…で、また日乃水姫?」


 カチャカチャと絵を描くための道具を準備しながら、真宵がそう尋ねる。何もかも見透かしているようで気に入らなかった。


「だから言ったじゃん…。アイツは異性愛者なんだから、期待するだけ馬鹿を見るんだって」


 そうだ、期待したぶんだけ馬鹿を見た。真宵の忠告はおろか、自分自身が発した警告も無視した結果がそれだ。


 だが、だから反省して次から気をつけよう…とはならない。


 正直、今回はこたえた。


 勢いで分水嶺を飛び越えてしまったのだ。覚悟を決めてそれを成したとでは、大きく違う。


 もう、水姫は私を受け入れてくれはしないだろう。愛する者としては言わずもがな、親友としても。


 それを考えると、また涙が溢れてきてしまった。


 嗚咽を漏らさないよう歯を食いしばり、八つ当たりのつもりで真宵を睨みつけていると、彼女はなぜだかほんの少し頬を赤らめて顔を逸らした。


「…私には分からないなぁ…、こんな綺麗な子をどうして…」


 真宵の言う『綺麗な子』が誰のことを示しているのかが分からないほど、私は愚かではない。だからこそ、胸が騒いだ。わけの分からない感情に毒され、快不快の違いも煩雑になった状態で真宵の言葉を待つ。


「…はぁ、何でもない。ねぇ、莉亜。話くらいなら聞いてあげるけど――」

「――今、そんな話したくないわ」一歩踏み込まれかけて、つい反射的に否定の言葉を口にする。


 本当は聞いてもらえれば楽になるかもしれないのだが…。


「…さっさと描きなさい、葉月」

「…りょーかい、お姫様」


 お姫様、なんてワード、馬鹿にしているとしか思えなかった。だが、真宵はそれからしばらくの間、真剣そのものの表情で私とキャンバスの上に視線を交互に走らせるばかりだった。


 いつになく真剣で鋭く、それでいて、澱みない純な視線に思わず息を飲む。


 それは、心奪われる風景をたまたま目にしたときの衝撃と似ていた。


 橋の上で眺める、大きな夕日。


 歩道橋から見下ろす、数多の光。


 洗面台の鏡に映る、銀色の輝き。


 それらは常に、私の瞳に魅惑的に映っていた。特に、学校にもろくに行けていなかった時代は。


 くらくらした。


 砂糖菓子みたいな真宵の声も、花のような匂いも、ここには届かないのに。




 私が目を覚ました頃には、美術準備室の窓から夕焼けが差し込むほどの時間になっていた。


 朱色の光が、浮いている埃の一粒、一粒を示した。普段は見えないものだからこそ、それが見えたときの印象は強く感じるものだ。


 ぼうっとした頭が、ゆっくりと時間をかけて現実世界にログインを試みようとしているとき、不意に、私の目元から頬にかけて、すぅっと冷たい指先が走った。


 指の持ち主が、「あ」と声を上げたことで、私の意識は一気に覚醒する。


 視線の先には、白刃みたいにきらめいている白メッシュ、そして、苦笑いを浮かべてこちらを上から覗き込んでいる真宵の顔があった。


「おはよう、莉亜」


 腕と頬には、柔らかく温かい人肌の感触。自分が膝枕をされているのだと気づくのにたいして時間はかからなかった。


 真宵の言葉には反応せず、むくり、と体を起こす。木椅子を三脚横に並べてベッドを作り、その上で私を眠らせていたようだ。一脚は、自分がモデルになっているときに座っていたものだろう。


 私はすぐには振り向けなかった。なぜなら、振り向けば、真宵が私を揶揄するような顔をしていると思ったからだ。


「莉亜?どうしたの、調子悪い?」


 悪いか悪くないかで言えば、悪いに決まっている。メンタル面は当然、涙を流しすぎて頭も痛い。


 真宵が何度も私の名前を呼ぶものだから、振り向かざるを得なくなる。馬鹿にされることを覚悟して、私は真宵に向き直った。


「…うん、顔色は良いね。さっきよりかは、だけど」


 意外なことに、真宵は真面目な…というか、穏やかな顔をしていた。


 彼女はごほん、と一度仰々しい咳払いをすると、「君には二つの道があります」と指を日本立てて、私の前に突き出した。


「一つ、辛いと思ったこと、苦しいと思ったことを正直に私に話す。そして、もう一つは――…」


 ほんの少しだけ、真宵の眉毛が垂れた。キリッ、とした顔立ちではあるので、よく目立った。


「…黙ってここを出て、まぁ…莉亜が言ったようにお互いに関わらないようにする」


 さぁ、どっちがいい、と半笑いで真宵が首を傾げるも、彼女が発した『関わらない』という言葉のほうが気になって仕方がなかった。


 真宵とも関わらない…そうなれば、私と言葉を交わす人間なんて本当にいなくなる。


 想像できなかった。


 私はもう、人といることに慣れてしまっている。


 一度その温みを知ってしまった以上、二度と戻ることはできない。少なくとも、平然とは。


 そうなれば、私の返事は決まっていた。


「…水姫と話したの、今日」

「話してくれるんだね、莉亜」

「…いいから、黙って聞きなさい」

「おっけー」


 真宵はそう返事すると、私に身を寄せた。普段なら鬱陶しい、と突き放すところだが、今はこのほうが良かった。この位置ならば、彼女の顔を見ずに話せる。


 私は、さっき水姫と話した件を率直に真宵へと伝えた。


 彼女は驚くほど静かに話を聞いていた。一切遮らず、相槌も打たず、ただ頷きだけを繰り返す。


 話が終わると、不思議と体と心が軽くなった。柵の隙間に爪先をねじ込んだ日とは、明らかに違う軽やかさだった。


 ややあって、深く真宵が息を吐いた。ずっと、呼吸を止めていたみたいに。


「最初に言っておくけど、私はこの件で日乃水姫が悪いとは言わないよ」

「…」


「彼女は恋人の助言を受けて、友だちとの関係修復を行おうとした。その中で、多少はエゴイスティックな発言もあったみたいだけど、それも可愛いで済む程度のもの。『私の気持ちが分からないでしょう』と言ってぶっ叩いた莉亜に比べたら、ね」


「…葉月のくせに、正論ばっかり言わないでよ…」

「そう、分かってるじゃん」


 真宵はぽんと跳ね上がるように椅子から体を離すと、くるり、と何度か回転してみせた。


 翻るスカートのラインが、今日は美しく感じられた。白刃のようなメッシュもだ。


「今のは、私が『異性愛者』だった場合の話!で、こっからが…」


 すっ、と真宵の顔つきが変わった。穏やかで大人びた表情に早変わりする。まるで仮面を付け替えるようだと、上の空で思った。


「…私が『同性愛者』の場合」

「それは、どういう…」


 口ごもっている間に、真宵は私の体を抱きしめた。今までみたいに、逃さないよう閉じ込めるみたいな抱きしめ方ではない。明らかな慈愛と優しさを帯びた形だった。


「辛かったね、莉亜…。どうして、私たちの気持ちは伝えることさえも困難なんだろうね…」


 髪の隙間をなぞる、真宵の指先。勝手に触るな、とも思わないくらい心地良い。


「ずっと、閉じ込めてた気持ちなんだもんね。口にするのにもとんでもない勇気が必要だったはずだよ」

「…」

「今は、その勇気だけでも自分で認めてあげて、褒めてあげて?莉亜の行動は、それだけの価値が絶対あったはずなんだから」


 思いもよらない優しさに、私は言葉を失った。


 たしかに、立場上、真宵は偽りのない共感を示せる可能性が高いだろう。だが、彼女の破天荒な性格からして、とてもではないがこういう上手な慰めができるタイプとは期待していなかったのだ。


「話してくれてありがとう、莉亜。嬉しいよ」


 ふわっ、と真宵が破顔する。こんな顔ができるなんて、今日この日まではとても想像できなかった。


 直接心をくすぐられるような、撫でられるようなこそばゆい気持ちを感じて、私はわざと口を尖らせ、反抗的な態度を取った。


「今日はやけにまともで、優しいじゃない。葉月らしくもない」

「だって、そのために私のところに来てくれたんじゃないの?私はぁ…勝手にそう考えたけど、思い上がりだった?」

「な、なにそれ。私が甘えに来たと思っているの?」

「うん。あ、もしかして、本当にモデルになりにきてくれたの?」

「そんなわけないじゃない!」体を離しながら、大きな声でそう告げる。

「あはは、そうでしょ?だったら、甘やかしてもらいに来た以外ないもんね」

「うっ…」


 事実ではあるものの、甘える、という言葉が恥ずかしくて、私は素直に受け止めることはできなかった。ただ、それは真宵にとってどうでもいいことらしく、彼女はまた私を抱きしめた。


「別にいいじゃん、甘えることぐらい!私だって、いつも莉亜に甘えてたし…それに、日乃水姫だって、そうしてたと思うよ。とにかく、普通のこと」

「…そういう、ものかしら」

「そうそう!――どう?落ち着いた?」


 急に柔らかい声を出した真宵を見上げれば、その頬に朱色の黄昏が差し掛かっていた。


 ここで嘘を吐くのは、人間としてフェアではない。私はさすがに素直に頷いた。


「そっか、良かった」


 安堵するような囁きは、すでに校舎がしんとするような静寂に包まれていることを教えてくれた。時計を見れば、最終下校時刻はとっくに過ぎていた。迷いに確認したところ、また特待生としての特権で居残りしているらしかった。


「あ、そうだ」


 真宵はゆっくりと私から離れ、イーゼルのほうへと向かった。唐突になくなった柔らかさと温かみに不満を感じてしまったことが自分でも屈辱だった。


「莉亜、こっちに来て。莉亜の絵、描けたから」

「え…い、嫌よ」

「いいから、ほら!」


 戻ってきた真宵に腕を絡めて連れられて、私はキャンバスの前に立った。


 本当は見たくもなかった。だって、また泣いているところをモデルにされたのだから。


 だからどうせ、むくれた面で涙を流す間抜けな女が描き出されているに違いない、と考えていたのだ。


 だが、実際は違った。


 そこには、頬の上に涙の筋を残したまま静かに眠りこける、私の姿があった。


 とても安らかだと思った。


 意識のないときの私の顔は、こんなにも穏やかで…自分で言うのもなんだが、綺麗なのだと。


「どう?妥協して書いたわりに上手く描けたでしょ?」

「だ、妥協?」

「そうだよ。私言ったよね、今度莉亜を描くときは、『私の望んだ構図で、私と目が合った状態で』って」

「あぁ、そういえば…」


 てっきり、私をモデルにするなら何でもいいのかと思っていたが、言われてみれば、彼女は何か希望を出していた気がする。


「でもまぁ、やっぱりモデルが良いと期待より綺麗に描けるもんだ。納得はできないけど、妥協はできるかな…」


 ぶつぶつと真面目な顔つきで独り言みたいに呟いた真宵は、また仮面を付け替えるみたいに表情を入れ替えると、今度は締まりのない様子で言った。


「話は変わりますが、風待莉亜さん」

「な、なに。急に、気持ち悪い」


 真宵は軽やかな足取りで窓の前まで移動すると、両手を揃えて頬に当てて、くるりと振り向き言った。


「どうですか、やっぱり同類同士のほうが色々と都合が良いと思いませんか?」

「色々と…?」

「いや、ね?ほら、何かあったときは思いやれるし、だからぁ…」

「分かりづらいわ。葉月、もっとはっきり言ったらどうなの」

「だからぁ…恋人は私にしとかないかってこと」

「…はぁ?それとこれとは別でしょう?」


 弱っているところにつけ込むようなタイミングだったため、顔を歪めて真宵を睨みつける。


 さっきので少しは見直したと思ったのだが…。


「莉亜ぁ、頼むよぅ!もう日乃水姫はどうしようもないって分かったでしょ?んー…そうだ、分かった。お試しでもいいから、付き合おう!ね?ね、お願いだからさぁ…!」

「水姫のことは頷けるけれど…どうしてそんなに必死なのよ…」

「…弱ってる今なら、押せばなんとかなるかもって思ってる」

「うわ、最低ッ…!」

「あ、待って、本気だよ、私!浮気はしないし、嘘吐かない。意外と優しくて律儀だし、絵も上手い。明るい一面と皮肉屋なとこ両方あって二度美味しくてお得だし、えと、それから――」


 絵が上手い、という点以外はどれも疑わしいものだったが、同じように、絶対それが嘘だと断言できるだけものも、今の私の中にはない。


 私は…葉月真宵のことをほとんど知らない。


 知っているのはまともじゃないということだけで、何がどう好きなのか、何を思って生きているのか、そういったことは何も知らない。


 ただ…今日という記念すべき落日に、私の心が彼女によって救われたことも事実だ。


「…分かったわよ」


 嘘か真かも分からない言葉を連綿と続けていた真宵が、ぴたり、と動きを止めた。


「『お試し』でいいんでしょう?」

「え、嘘?ほんと?やった――」


「ただし、条件があるわ」


 私はそうやって真宵の歓喜の叫びを遮ると、指を三本立てて、彼女の呆けた眼前に突きつけるのだった。

三章はこちらで終了です。


莉亜と真宵の関係が一つ変わりましたが、彼女らが仲を深めるのはこれからなので、

よろしければ、見守って上げてください。

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