鳥籠の枯れ葉令嬢は全力で逃げることにしました
枯れ葉シリーズは、枯れ葉と呼ばれる少女のお話です。
お話は、それぞれ独立した別個のものとなっています。
クリスティラは、自身の身分への警戒心を強く持っていた。
何故ならば、クリスティラの立つ場所は脆弱で不安定なものであったから。その脆い足場をつつく人間は多く、クリスティラから搾取しようとする人間はさらに多かった。
クリスティラは男爵家に生まれ、聖魔法を発現したことによって12歳の時に王国の第三王子の婚約者となった。
クリスティラの父母は下位貴族が王族と婚約を結ぶ危険性を承知していたので反対をしていたが、崖崩れに遭遇して馬車ごと流され遺体すら発見できなかった。
そして、幼なじみである執事の息子のフェルネスにしがみついて泣いているクリスティラを、王家は保護の名前のもと強引に王宮へと連行したのだった。しかも無理矢理に第三王子の婚約者として、婚約もしくは婚姻を結んでいる間は王家の命令でのみ魔法を使えるという魔法契約書に署名までさせたのである。
それほどに聖魔法は貴重であった。
治癒魔法、浄化魔法、解呪魔法、この三大魔法を所有している者は王国でもクリスティラと神殿の大神官のみだったのである。
だからこそ王家はクリスティラを取り込もうとしていたのであるが。
クリスティラの両親は、王家に娘が囲いこまれる前に隣国に逃亡しようとしていた。領地のない法服貴族であったので、男爵位を返上して屋敷を売り払っていたのだ。が、両親の死後、その財産がどこにもなかったのである。
つまり後見人のいない1文無しな12歳のクリスティラを、露骨に利用しようとした魔法契約であり。
懐柔を図り、洗脳までは無理としても支配下に置きたい王家がクリスティラを確実に確保するための第三王子との婚約であった。
しかし王家はクリスティラを大切にしつつ、侮ってもいた。男爵家の娘、と。それはクリスティラの婚約者である第三王子を筆頭に、際立って顕著に現れていた。
第三王子はクリスティラを下位貴族と嘲る高圧的な態度で、語りかける口調でもなく伝える口調でもなく、常にクリスティラに命令をした。クリスティラが拒絶すると暴力をふるうこともあった。さすがにそれは護衛たちが止めたが。
さて、ここで問題となったのがクリスティラの性格であった。
王家はクリスティラに、高位貴族や諸外国の貴族ならび王族に治癒魔法をかけさせて、高額の治療費を受け取っていた。それにクリスティラの存在は、公式な場面での強力な外交のカードとなっていた。
そんなある日、隣国の王族の治療をしようとした時、クリスティラが泣き出したのだ。
「お腹がすいて治癒魔法ができません……」
驚いた隣国の王族が理由を聴くと、
「食事に虫や砂が入っていて食べられないのです。それに、カビたパンや腐ったスープしか貰えないのです」
と、さらにクリスティラはしくしくと泣いた。
その場にはクリスティラに魔法を使わせるために王国の国王も同席していたのだが、隣国の王族に詰問されて青くなった。
クリスティラが、男爵令嬢ゆえに貶められていることは把握していた。女官は伯爵家以上の家柄の者ばかりである。クリスティラに仕えることに不満を持っていた女官たちが、クリスティラを侮蔑するのも仕方ないと放置していたが、クリスティラが傷つけられることは容認できなかった。
クリスティラは王家の大事な駒であるのだから。
すぐさま虐げられていたクリスティラの待遇は改善された。が、クリスティラが王宮で冷遇されていたことは諸外国にしれ渡り、王国は言い訳に奔走することとなったのだった。
またある日は、パーティーで、第三王子の乱雑なエスコートにわざと膝の力を抜いて人々の前で転んでみせた。さも第三王子の乱暴さが原因であるかのように。
「申し訳ありません。殿下の歩く速度が速すぎて足が縺れてしまいました。お許し下さいませ、どうか、いつもみたいに打たないで下さい」
必死に謝罪するクリスティラに対して、第三王子は目をつり上げて怒りの表情をしている。その姿が、いつもみたいに打たないで、と訴えるクリスティラの言葉に真実味を与えた。
醜聞である。
王家は再び噂の揉み消しに奔走することとなったのだった。
と、このように王家の評判を落とす言動をクリスティラは幾つもおこなった。作為などありません、幼い故に素直に感情が出るのです、というように装って。
しかし、全てクリスティラの意図的な行動であった。
やられたら報復を、がクリスティラのモットーなのである。耐えて忍ぶだけならば、相手や周囲はクリスティラを軽くみて、優越感のままに加虐を加速させる可能性が高かった。報復はクリスティラにとって、ナメられないための身を守る手段でもあったのだ。
そうして4年、16歳となったクリスティラは貴族たちに『枯れ葉』と呼ばれるようになっていた。
以前、第三王子が茶会の席で、
「華のように美しい令嬢たちに交じって、茶色い枯れ葉がいるな」
とクリスティラを嘲笑したのが切っ掛けだった。
高位貴族と王族は金髪碧眼が多い。逆に、下位貴族と庶民は茶髪や黒髪など濃い色の者がほとんどを占める。
金髪銀髪の高位貴族の令嬢たちの茶会で、茶目茶髪のクリスティラは悪い意味で目立ってしまっていたのだ。
王家にとって大切な駒であり道具であるが、やはりクリスティラの立場は男爵令嬢というだけで、暗々のうちに見下されるものであった。王家はワザとクリスティラに同情的であったり親身になる者を側に配置しなかった。クリスティラが心を傾けることを危惧したのだ。
王家にとってクリスティラは相談相手も頼る者もなく孤立して、孤独な操り人形である方が都合がよかったのである。
クリスティラ的には、反吐が出る、であるが。
そんなクリスティラと高慢な王族らしい王族の第三王子との仲は最悪で、第三王子は婚約者の存在などないように浮気三昧だった。
クリスティラも第三王子と関わると罵詈雑言を浴びせられるので、距離をおいていた。だが、国王はありありと不仲な第三王子とクリスティラの婚儀を、当人たちの意思を無視して決定していた。
クリスティラは空を見上げた。
鱗のように、太陽を浴びて黄金色に煌めく雲が連なり長く伸びていた。まるで巨大な竜のようだ。
空の下では、王宮の使用人たちが今夜の夜会のために忙しく働きまわっている。王太子と隣国の姫君との婚儀を祝う大規模な夜会で、国内の貴族たちはもちろん、国外からの招待客も多かった。
しかし、そんな慌ただしさと無縁の者もいる。
王宮の庭園で、可憐な令嬢と愛を語らいあう第三王子のように。
陽光が輝き、花が香り、蝶が飛ぶ、美しい花園で第三王子は婚約者ではない金髪の令嬢を愛しげに抱きしめていた。王家にふさわしい麗しい容姿をした公爵家の令嬢であった。
庭園での堂々とした浮気に眉をひそめる者も多数いたが、クリスティラはひっそりと口角を上げていた。今回の浮気相手の令嬢に第三王子は溺れていて、市井で流行りの〈真実の愛〉だと宣っていることを知っていたからだ。
このまま第三王子には取り返しのつかない水底まで溺れていって欲しい、と書庫の窓から第三王子を眺めて願うクリスティラだった。どうやら第三王子と同レベルの愚かな友人たちも王子と令嬢の恋を煽っているらしく、もしかしたら、と。
「クリスティラ様」
警備の黒髪の兵士に呼ばれてクリスティラは振り向いた。
「そろそろ夜会の準備を、と侍女たちが探しておりました」
「はい、部屋に戻ります」
王家は大きな夜会や茶会では、重要な外交カードであるクリスティラを見せびらかすために必ず出席させていた。見せ物のような扱いにクリスティラは、重い溜め息を吐くのであった。
シャンデリアが光を溢す。
昼間の太陽とは異なる人工的な眩しい輝きの下、贅を尽くした衣装の男女が上品にざわめき、優雅な足取りで舞踏会を楽しむ。
そんな優美な雰囲気を切り裂いたのはクリスティラを指さし、
「クリスティラ、おまえのような見栄えの悪く家柄も低い女とは婚約を破棄する!」
という第三王子の怒鳴り声であった。
即座にクリスティラは大喜びで声を返した。
「承知いたしました!」
第三王子とクリスティラの身体が淡く光る。魔法契約が解除されたのである。魔法契約は個人と個人が結ぶ契約であり、この場合、第三王子とクリスティラの契約であった。
国王が大慌てで王座から立ちあがった。
「では、おまえをわたしの妾としてやるから有りがたく新たな魔法契約を受け」
と第三王子が傲然と胸を張り命令をする途中でクリスティラが、
「は? 愚かすぎ、結ぶわけないでしょうが。ーーその場所で止まれ【停止】」
片手を高く上げて魔法を発動させる。
王国は一夫一妻制度である。妾を持つ者もいるが、公的には認められていない存在だった。
第三王子が愛しの公爵令嬢と正式に結婚するためには、クリスティラとの婚約を解消または破棄する必要があった。
クリスティラには帰る家もなく頼る者もいない。聖魔法の治療代は全て王家に入るため金銭も所有していない。
助け手などいないクリスティラは王家から離れる手段はない、と第三王子は甘く考えていた。婚約や結婚ではなく妾として新たな魔法契約を結びなおせば、という軽率な思惑で安易に魔法契約を解除したのであるが。
クリスティラは、4年前の大人に囲まれて怯える子どもではなくなっていた。魔法の実力も4年前と天と地ほどの差があった。
聖魔法の勉強の名のもと王宮の書庫に入り浸り、長年の間に埃のかぶった、魔法の適性者や魔力量の関係で誰も読む者が現れなかった秘伝書を読破していたのである。王家に利用されることを防ぐために黙っているが、実は禁術すら使えるようになっていた。
広い舞踏会場の、王族たちも貴族たちも使用人たちも警備の騎士たちも、全ての人々がピタリと動作を止めた。等身大の人形の林の如く、木々のように動かない。
「ありがとうございます、尊大で上から目線の第三王子殿下。短慮な殿下の愚行のおかげで私は自由になれましたわ」
嗤いながらクリスティラが第三王子に頭を下げる。すぐに逃げるべきだ。けれども、第三王子との婚約は辛すぎた。心の中で渦巻く警めが、雪のように白くなり透けていった。
「本当に、猿にも劣る判断力のない馬鹿げた企みですこと。私を軽んじる王家に絞り取られる生活を誰が望むものですか。ご存知ですか? 猿って賢いのですよ、でも、浅慮な殿下は猿以下の知能ですのねぇ。あら、ご自分でバナナの皮すら剥いたことのないプライドだけは高い殿下には難しい内容だったかしら?」
第三王子は憤怒の形相で悔しげに呻く。口を開くことができないのだ。爪の先まで整えられた指が、クリスティラを指さし婚約破棄を告げたままの途中で止まり作り物のようだ。
「自分は侮られると怒るくせに、私のことは平気で虐げてきたのですね」
クリスティラは背筋を伸ばして侮蔑を込めて言った。
「では、永遠にさようなら」
クリスティラはドレスの裾を持って全速力で走り出した。
止める者はいない。
誰ひとりとしてクリスティラを止められる者はなく、大広間から鳥のように逃げていくクリスティラを歯噛みしながら見ているしかなかった。
一方で国外からの招待客たちの目は厳しい。
この4年間、王国は交渉テーブルの切り札としてクリスティラを使い、自国に有利な条件を押しつけてきたのだ。しかしクリスティラは目の前で鳥籠から飛び出した。傲慢な振る舞いのツケを払ってもらわねば、と計算する者も少なくなかった。
カッ、カッ、カッ。
急ぐ靴音が響く。
クリスティラは走った。ドレスが鳥の翼のように広がり、長い髪が蝶の翅のように風に靡く。細い腰を飾るリボントレーンがしなやかに流れた。
禁術である【停止】魔法は20分。20分後、勝負は決まる。
「クリスティラ様!」
黒髪の兵士が暗い庭から走り寄る。
「フェルネス!」
「下級侍女の服です。これに着替えて下さい」
木の陰でクリスティラは素早くドレスを脱ぐ。手でなぎ払うように髪飾りも落とし、侍女服を着た。
クリスティラは、他人の身分証を買って名前を変え、王宮に下級兵士として侵入してきた幼なじみのフェルネスと再会した時。無理矢理に第三王子と結婚させられる前に逃亡する計画をたてていた。
魔法契約は、王族の命令のもと魔法の使用を認める、というものである。
たとえ一生魔法を使えなくなろうとも、と考えていたところに第三王子の婚約破棄宣言である。
チャンス以外の言葉はなかった。
「こちらに下級使用人の出入りする門への近道があります」
月明かりの庭を横切り、他の使用人に不審感を与えない程度の小走りで王宮の裏側へ向かう。本来ならば広大な王宮である、10分や20分走ったところでたどり着けることはないが、抜け道というものはどこにでもあるものだ。フェルネスがしっかりと手を握って、迷路のような道を誘導してくれた。
「下級侍女の身分証です。門番に見せて下さい」
「ええ、フェルネス」
ちょうど交代時間帯だったらしく多くの男女が門に並んでいた。
「どうしよう、20分過ぎたわ。そろそろ騒ぎになってしまうわ」
「大丈夫です。ドレス姿のクリスティラ様を探しているでしょうし場所も離れていますから、こちらに手がまわるのは少し時間がかかると思います」
肩を寄せあい小声でひそひそ話すクリスティラとフェルネスを、周囲は年若い恋人たちと思い微笑ましげに見ていた。
ひんやりとした夜気に頬を撫でられてもクリスティラは緊張でドキドキして耳まで紅潮していたし、フェルネスはなるべくクリスティラの姿を隠すように肩を抱いていた。ピタリとくっつく恋人の完成である。
「おい」
門番の兵士に声をかけられ、クリスティラの心臓が跳ね上がった。肌がピリピリと粟立つ。
「かわいい子だね。恋人かい?」
「はい。追いかけて追いかけて、やっと手に入れたんです」
フェルネスが笑顔で惚気る。身体をこわばらせているクリスティラと違い、フェルネスは図太い。
「おお、ごちそうさま。よし、通りな」
王宮では兵士と侍女の恋人関係は珍しいことではなく、結果として、あやしまれることなくクリスティラとフェルネスは門を通過することができたのだった。
そうして、クリスティラのドレスが暗闇の庭で発見された時には、ふたりは街中に紛れこんでいた。茶髪のクリスティラと黒髪のフェルネスは街ではありきたりの髪色である。右を見ても左を見ても茶髪か黒髪の人々が歩いているのだ。目立つことはなかった。
第三王子と高位貴族たちに『枯れ葉』と蔑視された髪の色は、クリスティラを周りに埋没させて隠してしまったのである。
古着を買い、店で場所を借りて着替え、旅の物資を調え、クリスティラとフェルネスは王都から出る乗り合い馬車の席に座った。
王都の門を馬車が出たところで、忘れ物をした、と馬車から降りてーーーーそこまでが王宮の捜査で判明したが、その後のクリスティラとフェルネスの行方はわからなかった。
「うふふ、フェルに男爵家の財産を隠匿してもらって大正解だったわね」
クリスティラがニコニコと笑う。
「あのままでは、管理してやるとか理由をつけて取り上げられていましたからね。ララに財産を所有させないために」
フェルネスも笑う。ふたりは内々の婚約者だった。優秀なフェルネスを一人娘の婿にと男爵が決めたのだ。公表寸前での、男爵夫妻の訃報だった。
ふたりは隣国の森の中を歩いていた。
ブナやナラなどの広葉樹の根が、走り根となって横に広がり地表に根っこの階段を作り。
木々の間を水のように風が流れ、鳥の声を運ぶ。
木々の葉が重なる隙間からもれる光の滴が木漏れ日となり、フェアリーサークルの如く咲きそめた草花を照らす森の土をクリスティラとフェルネスが踏む。落ち葉を踏み、緑の苔を踏み、固い木の根を踏む感触がブーツに伝わる。
「ねぇ、森の木の香りって心を鎮静化させたり緩和させたりする効果があるんですって。不思議よね」
「そういえば滝も癒しの効果があるとか」
「不思議~、素敵~」
「不思議なものも素敵なものも綺麗なものも、たくさん見て聞いて楽しみましょうね。ララは自由になったのですから。次の国もその次の国も、ふたりで遠くまで行ってみましょう」
「そうよね、自由なのね。私、もう何処へだって行けるのだわ」
嬉しそうにクリスティラが顔をほころばせる。
「王宮では監視するみたいに侍女や兵士が張り付いて、うんざりだった。4年間、私は王宮にほぼ軟禁状態で外には出れなかったもの」
クリスティラはフェルネスに飛びついた。堪らない、とばかりにフェルネスもぎゅっとクリスティラを抱きしめる。フェルネスの青い双眸は、愛しい、愛しい、と叫ぶように熱く輝いていた。手を尽くして心を尽くして、ようやく自分のものになった宝物。
「必ずフェルが助けに来てくれると信じていたわ」
「当然でしょう。ララの執事で騎士で花婿になると約束したのですから」
「ええ、そして私はフェルの可愛いお嫁さんになると約束したのよ」
祝福をするみたいに。
空の奥から見えない手を伸ばすように吹いた風が、木々に咲く白い花々を舞い落とし、クリスティラの髪を花嫁の白いベールのごとく飾った。
読んで下さりありがとうございました。