前村大炊ノ介教貫(まえむらおおいのすけのりつら)(3)
教貫は憔悴していた。それは公務に追われるだけでなく、女に恋い焦がれる気持ちからでもあった。
「ご主人様。」
自宅の文机に頬杖をつく教貫に長太郎は声を掛けた。
彼は鷹揚にそれに振り向いた。
「話がつきました。」
「話し・・・」
教貫は疲れ切った声を出した。
「以前話しました伊東玄白でございます。」
「何のことじゃ。」
「武芸者の・・」
「ああその事か・・で、どうなった。」
長太郎には教貫の声が乗り気でないように聞こえた。
だが、気を取り直し、
「お会いになるそうです。」
「何時。」
「明後日正午に。」
「よきように取りはからえ。」
そう言って教貫は元の姿に戻った。
それでも、教貫は長太郎を先に、伊東玄白が逗留しているという寺院を訪れた。
その本堂で彼を迎えた武芸者は白髪に白髭の好々爺に見えた。
本当に腕は立つのか・・・教綱は疑問を感じた。
「長太郎、お手合わせを願え。」
教貫は後ろに座る従者に声を掛けた。
「貴方様では・・・」
好々爺は教貫を見た。
「儂の従者、斉藤長太郎は槍の使い手でござる。こやつを相手に貴殿の腕を見せてはくれまいか。」
教貫に促され長太郎は立ち上がった。
「それでは我が弟子を・・」
だが玄白が立ち上がることはなかった。
寺の庭が手合わせの場所となった。そこに玄白の弟子十数人が集まった。
何の某と名乗って、木剣を手に稽古用の槍を持った長太郎に打ちかかる。が、彼はそれを鮮やかに捌き、次々と打ち負かしていった。
「おやおや・・剣戟の音がすると思っていたら・・」
一人の若者がそこに現れた。
何者・・教貫は言った。
「鬼木元治と申します。
以前、大津の寺院に泊まったおり、この者の知る辺という女に推挙されました。
腕は立つという触れ込みで・・・
実際、私の弟子達は全てこの者に敗れました。
それ以来食客として同道しております。」
「お手合わせ中でしたか。」
紹介された若者は薄い唇を歪めて笑った。
「あの槍の使い手に皆負けた。」
「私がお相手いたしましょうか。」
肯く玄白を背に、若者は庭に降り、転がっていた木刀を手にした。
片手に木刀を持ち、ゆらりと若者は歩を進めた。その姿に構えはなく、木刀を持った手はだらりと下がっている。
だが槍の名手、斉藤長太郎を以てしてもその姿に隙は感じられなかった。
気を込めてかけ声を放つ、それにも若者は眉一つ動かさない。
裸足の足の指を使いじりじりと間を詰める。
それでも若者は剣を構えようとしない。
嘗めているのか・・長太郎は槍を突き出した。
だがその穂先は、ゆらりとした躰の動きに躱された。
次には突くと見せかけ槍を回した。
それは若者が片手に持った木剣に軽く弾かれた。
おのれ・・・長太郎は気を込めなおした。
その瞬間、若者の影が動き、彼の首根に木剣が突きつけられていた。
見事・・・教貫が呻った。
「私の腕など玄白様には遠く及びませぬ。」
若者はそう言って膝をついた。
「負けたな・・長太郎。」
「強うございました。
玄白殿の弟子達もなかなかの腕ではございましたが、最後の相手、鬼木元治とは隔絶の腕前でございました。」
話す長太郎をよそ目に、教貫は人混みに目を凝らしていた。
またあの女が・・・・