夜叉の棲む山(2)
多加村から千ヶ峰まで、途中まではよいがそれから先は急な登りになる。
紅蓮坊は荷車を牽く牛の緒を太い木に巻き付けた。
「かえで・・歩けるか。」
紅蓮坊は女童の頭を撫で、
彼女はうんと大きく答えた。
それも徐々に怪しくなり、紅蓮坊は大きな背中をかえでに向けた。
鬱蒼とした森の中、徐々に辺りが暗くなってきた。
「和尚様、ここらで一度休んでは如何でしょうか。」
かえでだけで無く、息を切らした晴海に雉が助けの声を掛けた。
「もう暫く行くと私の庵があります。
そこまでの辛抱を・・」
その横から源三が声を掛けた。
「そこまで参ろう・・野営は好かぬ。」
晴海は重い足を進めた。
尚も歩き続け、とっぷりと日が暮れた頃、源三の庵に一行は着いた。
「中で寝るのは儂と儂を護る雉、それにこの庵の持ち主、源三だけだ・・他の者は外で寝よ。」
言い残して晴海は庵の中に入っていった。
春とは言え、山の上。外はまだ冷えた。
「火を熾しましょう。」
巴は男達に薪となる物を集めるように頼んだ。
暫くして男達は薪となる物を集めてきた。
庵の中からは温かそうな鍋の匂いがこぼれてくる。
おなかすいた・・・かえでがその匂いに誘われそっと洩らした。
我慢、我慢・・・遼河はその頭をそっと撫でた。
「火は熾きていますか。」
庵の中から雉が隠れるようにして出てきた。
「猪鍋だそうです。
晴海様の目を盗んで持って参りました。」
彼の手には幾つかの握り飯も握られていた。
あわやひえを主体とする握り飯はぼろぼろと崩れた。
おいしい・・・それでもかえではそれを頬張った。
温かい鍋と握り飯、兵衛も含めた五人はそれを貪った。
声は上げませぬように・・・そうとだけ言って雉は闇の中に消えた。
「子供が先だぞ。」
紅蓮坊は静かに言った。
解っている・・とばかりに四人の大人は頷いた。
だが、子供二人の手元を見ているのはそう言う紅蓮坊の眼だった。
「彼奴は・・・」
「言うな紅蓮。」
巴は紅蓮坊が言わんとする事を押し止めた。
そこにわんわんと犬の鳴き声がした。
げんた・・・かえでは立ち上がった。
「げんたもきたのね。」
かえでは子犬を抱き上げた。
ほらこれをやれ・・・紅蓮坊は自分が口にしていた骨付き肉をかえでに渡した。
あんたは・・・巴が紅蓮坊を見た。
「俺は腹を空かした経験なんぞ幾度もある・・たかがこれしき・・・」
紅蓮坊は大いに笑った。
「外がちとうるさいようだな。」
その声を聞き咎めた晴海が言った。
その声に雉は苦い顔をした。
「腹の虫を笑いで誤魔化しているのでしょう。」
源三はちらっと雉に目配せをし、
「叱ってきましょうか。」
と雉は頭を下げた。
「構わぬ・・
だが儂は雑炊なと欲しい。」
晴海は雉を促した。
「穀物と言えば粟や稗しかありませんが。」
「それで構わぬ。」
晴海は尊大に言った。
だが出来上がった雑炊は晴海の意には召さなかったらしく、すぐに箸を置いた。
外の者どもにやれ・・・晴海は雉に顎をしゃくった。
穀物が入った鍋が外の者達の前に運ばれてきた。
「晴海様の進物でございます。」
雉は五人に頭を下げ、そっと三個の鶏の卵を差し出した。
おおーっと紅蓮坊が喊声を上げた。
その声が庵の中まで響いた。
「うるさい・・静かにさせろ。」
晴海は外にいる雉に大声を浴びせて送り出した。
翌朝早くに巴達は起こされた。
昨晩遅くまで騒いでいた遼河は眠い目を擦り、かえでは紅蓮坊の背でまだ眠っていた。
「今日は鬼退治だ。
ぬかるなよ。」
晴海が大声を上げ、かえではその声に目覚めた。
千ヶ峰に登る。
その七合目あたりに鬼がいる・・と源三は言った。
その前から、そろそろそろそろ力の弱い鬼が出現しだした。
現れたのは赤鬼や青鬼・・
「儂を護れ。」
晴海が大声を発し、雉と兵衛がその前後を固めた。
先頭を行くのは源三。その両手には二本の小太刀が握られていた。
その両脇を固めるのが紅蓮坊と巴。その後ろには遼河とその剣を持つかえでが続いた。
かえでの脇ではげんたが鬼に向け吠えていた。
戦闘は当然のごとく前から始まった。
源三が鬼を斃し、巴と紅蓮坊がそれを助けた。
「前にも言ったが、首を落とすか頭を潰すか・・・それしか方法は無い。」
源三の大声が響き、それに従って紅蓮坊は鬼から奪った金棒で鬼の頭を潰し、巴は薙刀で鬼の首を斬った。
血の緒を引きながらかえでの目の前に鬼の首が飛んでくる。
「見るな、かえで。」
遼河はそう声を掛けながら、群がる鬼に二本の刃を向けた。
「りょうが、このかたなはまだいいの・・・」
かえでは遼河の刀を支えながら、か細い声を上げた。
「まだ大丈夫だ。」
そう言いながら遼河はまた一匹の鬼を斃した。
「くびをとらなきゃだめなんでしょう。」
後ろからかえでの声が聞こえた。
斃した挙げ句に一つ一つの首を落とす。その煩わしさに遼河の剣先は鈍った。
「りょうが・・がんばって・・・」
かえでの声に遼河は二本の剣を握り直した。
兵衛には剣は軽く握れと教わった。
それを実践するように剣の柄を掌ではなく、指先に神経を行き渡らせ軽く握った。
指先にチリチリと痺れのようなものを感じた。
ここで剣を落としては・・そう思いながらも遼河は剣を振った。
自分に刃を向けていた鬼が自分の前に倒れた。
遼河の剣は間違いなく鬼の腹を断っていた。
鬼の身体はそこから崩れ始めていた。
源三に鬼には再生能力があると聞いていた。
だが、そんなものには関係なく鬼の躰が崩れ去っていく。
遼河は自分の手と、それが握る二本の小太刀を見た。
りょうが、りょうが・・・後ろからはかえでの声だけが聞こえた。
巴は鬼の薙刀を持って奮戦していた。
真ん中では源三が鬼の相手をし、その向こうでは紅蓮坊が闘っていた。
巴は瞬時、紅蓮坊と眼を合わせた。
うおおお・・・
その瞬間、紅蓮坊は雄叫びを上げ、鬼を一匹地面に叩きつけた。
ぐしゃっと音がして鬼の頭が潰れた。
「遼河、かえでに見せるな。」
その体勢のまま紅蓮坊は叫んだ。
紅蓮坊は数匹の鬼の頭を叩き割った。
源三は鬼の首を落とし、巴もそれに倣った。
そんな中、遼河だけは自分の手をじっと見ていた。
鬼の頭を潰しては居ない・・ましてや鬼の首など落としてはいない。
なのに自分の前の鬼は崩れ去り消滅していった。
巴と紅蓮坊、それに後ろで闘う兵衛に対し自分は・・・
それでも自分の前で鬼は消滅していっていた。
「俺の力なのか・・・」
遼河は後ろで自分の名を呼ぶかえでの姿をちらっと見た。
「戦いの場で外に気を取られるな。」
かえでを見る遼河の後ろで、源三に斬られた鬼が倒れ伏す音が聞こえ、遼河は我に返った。
一刻と少し、そこに現れた鬼達は斃し尽くした。
現れたのは赤鬼と青鬼を中心に、数多くの邪鬼共だった。
晴海の一行はそれらを相手にしなかった。
「雉、先を急ぐぞ。」
晴海は小男に声を掛けた。
「お待ちください・・皆疲れております。
暫しの休息を・・・」
珍しく雉が晴海の言葉に異を唱えた。
「私が休める場を探します。
そこで皆に休息を与えてください。」
雉は懇願する様に言った。
確かに現れた鬼の数は多かった。
それらを晴海の下にやらぬよう全員が死力を尽くして闘った。
「ここから急げば必ず死傷者が出ます。
ここはなにとぞ・・・
夜中の張り番が必要であれば、雉が何とかします。
なにとぞご明察を・・・」
雉は頭を土にすりつけるようにして頼み込んだ。
雉が言う通り、源三、巴、遼河は多くの鬼の相手をし、腕も上がらぬ程疲れ果て、肩で息をしていた。
「あんたは何ともないのかい。」
巴は平然と立っている紅蓮坊に声を掛けた。
何が・・・紅蓮坊は何事もなげに答えた。
兵衛と雉は前の四人が討ち漏らした鬼だけを相手をしており、それ程の疲れはなかった。
「なにとぞお願い申し上げます。」
雉は頭を土にこすりつけた。
雉の懇願もあり、その夜は野営と決まった。
雉は巴達の元に食べ物を持って来た。
「ご苦労でございました。
今宵はこれでも食べてゆっくりと・・・
夜警はわたくしが致しまする。」
そう言って雉は闇の中に消えた。
彼奴なかなか・・・
「あんた何ともないのかい。」
何が・・巴の問いに紅蓮坊は何事もなかったように答えた。
「あんたは疲れとかは知らないのかい。」
「疲れ・・大したことはしていないぞ。」
「あんたはその羽織を着た時、重いと言っていなかったか。」
「前の羽織に比べて重いと言っただけだ。
別に俺の動きを邪魔する程ではなかった。」
はーっと巴は溜息をつき、
遼河、お前は・・と少年を見た。
「疲れました。
慣れないせいか動きを制約されました。」
慣れないせい・・・巴は自分を省みた。
私も同じ・・これを着て動く事になれるしかないか・・・巴は平然と躰を動かす紅蓮坊に眼をやった。
彼奴だけは別だな・・もう一度巴は溜息をつき、食事を終えてかえで遼河に次いで眠りに落ちた。




