陸奥の修行僧、紅蓮坊、(2)
「ところであなた方の姓は。」
「俺は陸奥の修行僧、紅蓮坊。」
「姓・・と聞かれているんだよ。」
「姓などない。
紅蓮坊は紅蓮坊だ。」
彼は少し悲しげな眼をした。
「どうしたんだ。」
巴がその眼に気付いた。
「俺は永享九年に生まれたらしい。」
らしい・・・不思議そうに巴が尋ねる。
「らしいとしか言えん。
俺には父親も母親も居らん・・・
だから解らん。」
それからは巴は黙って紅蓮坊の話しを聞くしかなかった。
「俺が生まれた翌年、大きな戦乱があった。」
「永享の乱か・・・」
源三が言葉を挟んだ。
「永享の乱と言えば関東・・そなたは関東の生まれですか。」
「何処の何というのかは知らんが、俺の二親はそれで死に、俺は戦乱の中に取り残されたらしい。」
「らしい・・ばかりですな。」
「俺は赤子だった・・・何も憶えては居らぬ。
全ては俺を拾った野盗共から聞いた話しだ。」
「野盗ずれが何故そなたを。」
「拾った時、俺は良い着物を着せられていたらしい。
それで奴等は身代金を取れるとでも思ったのだろうよ。」
「関東生まれのそなたが、何故陸奥に。」
「五歳の時、野盗共から逃げた。
しかし逃げたはよかったが、その日から食うにも困った。
俺は農家から盗んだ鉈を使って竹槍や弓矢、罠を作り鳥獣を狩り、畑の作物を盗んで飢えを凌いだ。」
「五歳でか。」
「全て野盗共がするのを見て憶えた・・たまにはその手伝いもしたしな。」
「あんた、まさかそんな物を使って人は殺してないだろうね。」
久々に巴が声を上げた。
「怪我をさせた事はあったが、殺しはしていない。」
その答えを聞いて、巴はほっとしたように胸を撫で下ろした。
「子供を殴りでもしたのか。」
巴に源三の声が続いた。
「いいや、子供ではない。」
「では・・・」
「身体は小さかったが、れっきとした大人だよ。」
「五歳の童がか。」
「その時には俺は六歳になっていた。」
五歳も六歳も変わるまい・・童は童・・・巴は心の内でそう思った。
「相手は五尺足らずの小男。」
「とは言ってもそなたより大きかろう。」
「俺の身体はその頃にはもう四尺五寸を越えていたと思う。
その男と大してかわりは無かった。」
「とは言っても相手は大人・・・」
「俺は野盗の中で育ち、彼奴等を相手に角力をとったり、力比べをしたりしていた。
だから、大人までとはいかずとも、それなりの力はあった。
その力で相手の腹を打った。
相手はその場で悶絶したよ。
その隙に鶏と野菜を盗んだ。
・・・そんな生活が二年程進んだある日、一人の和尚様が俺が棲む山の近くを通った。
何を哀れに思ったのか、その和尚様は俺の棲み家に来、衣、食、住を与える代わりに得度を受けよといった。
俺は辛うじて小さな下帯はしていたが、他の衣服は猪の皮を頭からすっぽりと被り、草鞋はぼろぼろに擦り切れ殆ど裸足と同じだった。
その俺に衣食住・・・俺は得度とは何かも解らず頷いた。」
「その和尚様は・・・」
「奥州、利府、天承寺の托鉢坊主だった。
俺は何も考えず、その坊主に伸び放題だった俺の頭を預けた・・・綺麗に剃られたよ。」
紅蓮坊は今でも剃髪の頭をつるりとなで上げた。
「明日からは私が剃ってあげるよ。
そうしないと、あんたはいつも血だらけだからね。」
巴は軽く笑った。
「俺の身体は大きかった。」
紅蓮坊はその言葉を意に介せず話を続けた。
「その寺には十五までは居たが、その年に追い出された。」
「あんたの事だから何かやったんだろう。」
「俺は悪さをした覚えは無い。
只、寺を訪れる者達を追い出したりはしたがな・・・何しろ俺の身体は大きかった。その頃にはもう身の丈は六尺を遥かに超えていた。
その身体で俺は野盗を叩き伏せた。」
野盗・・・源三が訊き返す。
「寺には色んな者達がやって来た。
その中には素性の判らない者や、野盗ずれも混じっていた。
俺は野盗共の中に居たから眼を見ればそれらが判った。
そしてある日、寺の境内でもめ事を起こした。
どう見ても野盗の手下・・俺はその男の胸ぐらを掴んだ。」
いきなりかい・・・巴が口を挟んだ。
ああそうだ・・紅蓮坊は悪びれずに答え、話しを続けた。
「俺はそいつを投げ飛ばした。
するとそいつは懐に隠し持っていた短刀を抜いた。
甘言ですり寄り、言う事をきかなければ刃物で脅す。俺はこういう奴等が我慢ならなかった。
俺は手近にあった托鉢坊の六尺杖を手に取った・・・
後にも先にも人を殺したのはこれっきりだよ。」
殺したのかい・・・巴が溜息をついた。
「ああ・・・」
紅蓮坊は頷いた。
「だが、俺には後悔は無い。」
そしてそう言い切った。
「その頃には俺の体躯は六尺を越え、今弁慶と呼ばれていた。
俺はそれに有頂天だったのかも知れない。
だが、人一人を殴り殺した夜、寺の宿坊に俺は呼ばれ、破門を言い渡された。
それから俺は南に下り、蔵王山に登った。
そこには修行僧がたくさんいた。
俺もその中に混じり、修行を続けた。
俺は皆と同じように蔵王権現を信奉し、毎日山に登り修行を続けた。」
「それは修行僧ではなく修験道だよ。」
巴が口を挟んだ。
それに関わりなく紅蓮坊は続けた。
「そんな中の長老が俺に名を呉れた。
天承坊凱西・・と言う名だった。
その名をもらい、俺はここでも有頂天になった。
ある時、霊山に登る鎖が切れた。
それには五人の男達がぶら下がっていた。
俺はその鎖を掴み、身体に巻き付けて五人の男達を引き上げた。
男達は俺に感謝し、俺は自分に人にはない力がある事を知った。
それからの俺は道の修行を怠り、武ばかりを練った。
それを長老は嫌った。
そこを追放されたのは十七の時だった。
それでも俺は山に籠もり続けて身体を鍛え、武を練った。
たまには峰の岩に座り、心も練ったがな。」
そこまで話して、紅蓮坊は豪快に笑った。
「そこからの修行は一人でか。」
源三の越えに紅蓮坊が答える。
「まあ、手助けしてくれる者もいたがな。」
「それは誰だ。」
「言わない。」
その事だけには紅蓮坊は固く口を閉じ、ちらっと巴の顔を見た。
「言えば馬鹿という奴が居るからな。」
紅蓮坊はそう言って、大きく笑った。
「まあとにかく修行は続けた。だが、喰う物も無く、二年程して托鉢のため麓の里に下りた。
その時には俺の身体は七尺近くになり、天正寺で貰った僧服は小さくなっていた。」
「見物だったろうね。
あんたのその身体で窮屈な僧服を着ていたのは・・・」
巴はその姿を思い描いてか、声を上げて笑った。
「この身体だ、里に下りた俺には誰も近付いては来なかった。
それどころか鬼と恐れられ、経を読んでも誰も銭一つ呉れなかった。」
そりゃそうだろうね・・・巴がまた笑い、紅蓮坊はそれを睨みながら話を続けた。
「その時、本当の鬼が現れた。
俺はその鬼を伐ち伏せた。
それからは里の者達は俺に親切になり、俺の名を聞いた。」
「何と名乗ったんだい。」
「野盗と居た頃には大きい割りには敏捷だったから大猿と呼ばれ、天承寺では人中に珍しい程大きかったから大珍と呼ばれた。
俺はそんな名は名乗りたくはなかった。」
それで・・・巴が促した。
「その時には俺は修験道は捨てていたが、その長老に貰った名を名乗った。」
「天承坊凱西かい。」
「天承坊は捨てた。
只の凱西だ。」
「それからその里に住み着いたのかい。」
「いいや、俺は山に帰った。
山に帰って自分を見つめ直した。」
「修行は続けながら、修験道は捨てたと言ったが何故・・・」
源三が口を挟んだ。
「彼等の行動は全て自分を高める事だけだった。
だが、俺はそれだけでは飽き足らなかった。
なぜ、自分等が持つ力を以て人を助けないのか・・・
どんな理由があったとせよ、俺は野盗に助けられて育ち、その後はあの和尚様に拾われた。
俺は世に恩返しがしたかった。
特にあの里で鬼を伐ってからそう思うようになった。
俺は蔵王権現を捨てて再び仏に帰依し、仏様の姿を彫った。
だから俺は修験者ではなく、修行僧だ。
それから俺は煩悩の数、百八体の仏像を彫り、その暁には人中に出で人を助けると心に誓った。
人を助け、魔を討つ・・それが俺の心に火をつけた。
その炎は紅蓮のように燃え上がった。
それで自分の名を紅蓮坊と変えた。」
「立派な僧侶だよあんたは・・・だが何故京に出てきたんだい。」
「百八体の仏を彫り終わり、俺はそれ等全てを燃やして山を下りた。
そこから人助けをしながら、俺が拾われた下総を目指した。
その途中で高札を見た・・・あの御前試合の奴だよ。
人助けをするには腕がいる。
俺の腕はどこまで通用するのか、それが知りたかった。
それで俺は京まで上った。
それが鬼退治とは思わなかったが、それでも人の役には立つ。」
「まあ、私も同じ・・使われる身だけどね・・・」
巴は溜め息混じりに言った。
「ところでお前の姓は。」
紅蓮坊は巴に話を振った。
「言いたくないよ。」
「俺にこれだけ話させておいてお前の話はなしか。」
紅蓮坊は巴に詰め寄った。
「あんたが今弁慶と呼ばれたのなら、わたしは巴・・弁慶の主人義経に伐たれた、木曾義仲の愛妾の名・・・それだけで充分だろう。」
巴は明るく笑ってみせた。
何のことだ・・・紅蓮坊の声が大きくなる。
「まあ良いではありませんか。
言いたくないと言っているのだから。」
源三もまた笑い飛ばし、紅蓮坊は不満そうに舌を鳴らした。
その頃には飯を食べ終えた遼河とかえでは他愛なく眠っていた。




