112・庭師
最近、リルーはジーンさんの息子ジュードの子守りをしている。
スミスさん夫婦が忙しい上に八ヶ月の幼児は目が離せないからな。
【かーわーいー】
メロメロである。
「そうか?」
すまん、僕には人間の赤子は煩いだけだ。
たまに生気は貰ってるけどね。
さすがに一気に四十名も増えると領主館は慌ただしい。
しかし公爵家にすれば全員が使用人である。
好きにさせてはいるが、もてなす気はない。
仕事に関しては、それぞれの責任者の指示に従うこと。
それが基本。
「兵士はソルキート隊長に、文官はジーン、その他は全てスミスに訊いてくれ」
僕は、朝食に集まった本邸からの使用人たちに伝えておく。
遊びたいものは自分で町に出てもらう。
こちらでは特に指導しない。
「魔獣には気を付けろ。 公爵家で保護しているものと、危険なものがいる。
危ない場所には行くな。 特に夜は一人で外には出るな。
それを守らなければ死んでも知らん」
使用人たちは呆気に取られていた。
脅威となる対象が違うだけで、こんな注意は王都でも同じだろうに。
僕はいつまでもそっちに構っていられない。
相変わらず、公爵領の問題は山積みなのである。
落ち着いた頃を見計らって出掛ける準備をしていた。
「国境柵の視察に行くぞ」
最低限の人数で行くと言ったら、スミスさんとソルキート隊長がついて来た。
春から工事が本格化して、何度か資材を追加しながら続いている。
「ご苦労様」
工事関係者の護衛として領兵と猟師が同行していた。
「イーブリス様」
今日はタモンさんがいた。
「今はお忙しいんじゃないですかい?」
「まあね。 こっちはもうそろそろ終わる?」
無駄口を叩きながら工事を見守る。
お祖父様から十分な予算を貰えたので、壊れた箇所だけでなく、全体的に強化させる予定だ。
お蔭で半年近く経ってもまだ終わっていない。
国境は直線ではなく、山肌をうねる様に続いているからな。
「魔獣被害は?」
「今のところはありやせん」
暇過ぎて狩りをしているくらいだと笑っていた。
「でも、逆にそれが不気味ですな」
タモンさんが急に声をひそめた。
相変わらず、隣国の森からは濃い瘴気が感じ取れる。
それなのに森に危険な魔獣の姿が見当たらない。
「ですが、以前のように突然出ちゃ堪りませんや」
タモンさんはかなり警戒しているようだ。
「それに魔石狩りの連中、アレ、なんとかなりませんかね」
「あー、アレなあ」
他領から魔石目当てに魔獣を狩りにやって来る騎士や、傭兵たちがいる。
範囲は結界で囲っているし、狩り場には人数制限を掛けて許可制にしていた。
しかしながら、魔獣狩りをしに来るのは元々気性の荒い者が多い。
狩り場での獲物の奪い合いならまだかわいいもので、柵や結界を壊そうとするものもいる。
そんなことで壊れるヤワなものは使っていないがな。
タモンさんたちにすれば魔獣よりよっぽどタチが悪い。
「ソルキート隊長も注意したり、捕縛したりしてくれますけど」
実際に物理的な被害は無いため、すぐ釈放になり、あまり反省はみられない。
壊したら即、地下牢に放り込んでやるのに。
国境柵の工事は秋までの予定だ。
「公爵家騎士団に来てもらうか」
威圧して黙らせればいい。
「常駐は出来ないでしょ?。 ソルキート隊長でさえ毎日は無理なんですから」
今でも領兵はちゃんと狩り場の巡回はやっている。
ああいう連中は領兵の居ない時を見計らって来るから、結局は後手後手になるだろう。
うーむ。
僕は柵の仕上がり具合を見る。
男爵領に近い国境門から始めたが、途中から工事関係者は被害が多かった北の山に移動させた。
魔石狩りの連中が柵を直すと魔獣が来なくなると、邪魔をするようになってしまったのだ。
なので、狩り場付近は、まだ仮柵の状態で残している。
アーキスの放鳥場を囮にして、ある程度の魔獣を呼び寄せ、一定時間、仮柵を開いて狩り場に誘導するようにした。
これで文句はないと思うが、あまり酷いようなら狩り場の閉鎖も考えるかな。
「閉鎖ですか?、それはそれでちょっとー」
自分たちの楽しみが減るって?。
はあ、人間は我が儘だな。
昼食の時間になり、持って来たパンと果物を工事関係者に配る。
焚火で肉と野菜を鉄串に刺したものを焼く。
軽い酒を渡して、あとはタモンさんたちに任せた。
山の中なので、今日は僕たちは歩きである。
アーキスの放鳥場まで来ると何人かが見学しているのが見えた。
「あれは王都から来た使用人たちか」
「そのようです」
ソルキート隊長が答える。
温泉施設に来た観光客にしては身なりがおとなしい。
辺境地までわざわざ温泉に入りに来るのは金持ちか貴族が多いのだ。
そういうのは派手な見かけですぐ分かる。
若い女性がポツリと一人、他の者たちと離れて柵に寄りかかっていた。
通り道なので黙って前を横切るわけにもいかず、
「おや、お一人ですか?」
と、スミスさんが軽く声を掛けて会釈する。
「あっ、きゃっ、すみません!、気付きませんでした」
女性は飛び退いて僕たちを見る。
「いや、突然驚かせて失礼した」
僕は片手を上げ、笑顔を向ける。
彼女は僕が領主代理だと気付いたのだろう。 正式な礼を取った。
「文官のオリビアと申します。 こ、このような機会を与えていただきまして、ありがとうございます」
カチカチになってぎごちない礼だが、真面目さは伝わってくる。
「あっれー?、イーブリス様も女性に声掛けるんすね!」
アーキスが大声で割り込んできた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
アーキスは、今回、王都から公爵家本邸の文官が大勢来ると聞いて期待していた。
「きっと都会に疲れた美人とか、訳ありの可愛い令嬢とか。
なあ、楽しみだよな!」
いつものタモンの酒場で飲んでいる。
「あー?。 そんな訳ありと付き合いたかねぇよ」
自分も本邸から辺境地に移って来た領主館の庭師の青年は呟く。
この二人は年齢も近く、案外気が合う。
「そう言うなよ。 少しぐらい夢見たっていいじゃないか!」
アーキスは相棒のダイヤーウルフのグルカに最近番が出来て焦っていた。
「グルカにさえ恋人が出来たっていうのに、俺たちはさー」
「俺をサラッと混ぜるな。 こっちは別に焦ってない」
庭師の青年は邪魔臭そうに酔っ払いの相手をしていた。
「そういえば、お前の名前、聞いてないな。 なー、教えてくれよー」
「……ミトラ」
青年の産まれた町の名前である。
その町には同じミトラという名前がたくさん居た。
老人も子供も、男も女もだ。
だからミトラは自分の名前があまり好きではなかった。
「ミトか、良い名前じゃねーか」
アーキスは赤くなった目をトロリとさせてミトラを見る。
「しっかし、お前さー、顔もそこそこ良いし、背も高い。
庭師にしとくのは勿体ねえっ」
ツマミの豆を口に放り込みながら、そんなことを言う。
「お前が王都から来た時は町の若い女たちの噂の的だったぞ」
「へえ、それは知らなかった」
ミトラはバリバリと豆を咀嚼する。
「よおし、ミト。 賭けようぜ。 どっちが先に嫁をもらうか!」
「そんなの、いつになるか分からないじゃないか」
アーキスの言葉にミトラは鼻で笑う。
「お前、女に興味ないのか?」
ミトラは苦笑する。
「そういうわけじゃないさ」
ミトラは女性に対して良い思い出がないだけである。
ミトラは成人してすぐに公爵家本邸の庭師の親方に預けられた。
寝起きも仕事先も、公爵邸内である。
気になる女性も同じ使用人だった。
世話をした薔薇を公爵の孫である少年が気に入ってくれたことをきっかけに、ミトラは自分の仕事に自信を持った。
その薔薇を気になる女性に贈ろうと決意する。
「何言ってんの、庭師には無理だよ」
相談した同僚に笑われたのである。
それからミトラは女性を好きになりそうになると、あの日の笑い声が聞こえてくるのだった。