109・魅了
お祖父様は、僕との打ち合わせ後、スミスさんを下げた。
部屋には僕とお祖父様と執事長が残っている。
今度はお祖父様から話があるということか。
「イーブリス。 キルス国との話し合い、ご苦労だった」
「いえ、いつも私の我が儘でご迷惑をお掛けします」
お祖父様の口元が歪み、どこでそんな言葉を覚えたと言いたそうだった。
領主代理なんて長くやってると嫌でも覚えるんですよ。
王都と違ってお祖父様に頼れないからね。
「まあよい。 少しお前に話しておかなければならないと思ってな」
何だろう?。
お祖父様と執事長がちょっと目線を合わせた気がした。
「アーリーの母親のことだ」
ドクンッと胸が鳴った気がする。
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何年か前、王宮で一人の女性が処刑された。
「『魅了』という魔法を使ったという罪でな」
元娼婦だったその女性に入れ込んだ王族の一人が、秘密裡に彼女を王宮に囲っていた。
彼女を使用人と偽って王宮に住まわせ、側妃と同様の扱いだったという。
「彼女はとても美しく、他の男が思いを寄せたというだけで嫉妬で罪をでっち上げたという噂もある」
思い通りにならないなら殺してでも自分だけのモノにする、狂気でしかない。
しかし彼女には娘がいたのである。
その娘は王族との血の繋がりはなかったため娼館に預けられていた。
「魔力は遺伝する。 その娘にも『魅了』の魔法が使える可能性があった」
宰相だったお祖父様はその娘を哀れに思い、せめて検査を受けさせるよう進言する。
検査結果などどうとでも誤魔化し、逃すことが出来ると考えていたのだ。
だが、母親の死後、誰かが逃したらしく娘の行方が分からなくなってしまう。
当時の王族は子供たちの耳に醜聞が入ることを恐れ、早く片を付けようとしていた。
「子供を捕らえて処刑するなど、許容出来ない」
そのため、お祖父様は裏の力を使ってでも保護しようとするが見つけることが出来なかった。
数年後に、成長したその娘の情報が入ってきたのは偶然なのか。
当時の王子が懇意にしていた娼館の娘の一人だった。
「しかし、一歩遅かった」
ある青年と駆け落ちしてしまったのである。
「連れ出したのは私の息子だ」
お祖父様の目が厳しく悲しい。
「一人息子というだけで知らぬうちに要らぬ期待を掛けてしまっていたようでな」
結婚を否定され、彼女が処刑されると思い込んで一緒に姿を消したのである。
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僕はアーリーの両親の話は、ある程度知っていた。
「問題はその処刑された母親なのだが」
お祖父様は少し緊張した声になった。
「この館の敷地内に埋葬されている」
僕は今度こそ本当にドクンという心臓の音を聞いた。
「まさか、薔薇園……」
静かにお祖父様が頷く。
「何故?」
王族ではないから王宮の墓所は無理だとしても、一般の墓所に埋葬されるのが普通だ。
もしくは犯罪者が一纏めにされた墓所が教会にあったはずである。
「うむ。 それだけ王宮は彼女を恐れたのだ」
『魅了』が使えるということは高い魔力を持つ者、もしくは人間ではない『悪魔』である。
「死してなお、王族に対して影響を与えると思われたんですね」
「そうだ」
お祖父様は大きくため息を吐く。
公爵家本邸には十分な敷地と魔力結界があった。
しかし、どうしてそこまで恐れたのだろう。
「『キルスの落とし子』という言葉がある」
お祖父様が話し出す。
「え、キルス?」
「神がキルス国を見放した話は子供たちでも知っていると思うが」
教訓として教会から広められているからな。
「キルスから他国に渡った王族の血を引く者は、今でも民の中で暮らしている」
それを裏では『キルスの落とし子』というらしい。
「キルス王族の血を引く者は総じて美しく、魔力が高い。 しかも日陰で育つため『悪魔』に魅入られ易い」
何もしていないのに、どうして自分はこんなに不幸なのか。
世間を恨み、王族を憎み、『悪魔』に取り込まれる。
「そして『魅了』の能力を得た、と」
僕は納得して頷く。
「そういうことだ」
お祖父様も頷いた。
アーリーの『魅了』は無自覚で弱い。
確かにアーリーの母親の母親、祖母に当たる者が『キルスの落とし子』なのだろう。
疑われただけで、本当に『魅了』を使っていたかどうかは怪しい。
だって王宮には魔力阻害の結界があるんだから。
「シェイプシフターのお前なら、そういう者に対してどうする」
あー、やっと本題かな。
この国では『魅了』の能力がある、というだけで罪になる。
だけど判別する魔道具は王宮にしかないし、その判別をする魔術師も王宮にしかいない。
自分の目で確かめられない、そんなものを誰が信じるというのか。
ただ恐れるだけだ。
「僕にも相手を見ただけで『魅了』の持ち主かどうかなんて判りませんよ」
アーリーのように生体情報を完全に貰えるなら別だ。
僕がアーリーの体調を把握出来るからこそ、どう対応すれば良いかが分かる。
アーリーの場合は魔力とは関係なく、生気のように漏れ出ていた。
公爵邸内ならば魔力阻害があるので、滅多に影響はない。
だが、アーリーは学校に行く予定だった。
僕はイヤーカフを作り、外に出た時にアーリーから溢れる『魅了』を魔物に吸収させることにした。
今のところ、影響は少ないと思う。
しかし、これはアーリーだからであって、一般的ではない。
お祖父様は『魅了』を疑われた者を救いたいのだろうと思う。
「疑っている相手の不安な気持ちを取り除けば良いのでしょうか?」
それならば、例えば教会で、例えば魔道具で、鑑定したということにすればどうだろう。
『魅了』がないという鑑定書でも発行してもらえば良いと思うんだけどな。
「しかし、今の教会は腐敗が酷い。 信用出来ないどころか多額の寄付を集られるだけだと思うが」
お祖父様はそこまで分かってるんだ。
それが世間的な意見なのだとしたら、効果はないね。
「それじゃあ、魔道具も同じですかね。 高いお金を払っても偽物だと疑われる」
結局、不安は拭い切れないままになってしまう。
「目に見える効果が必要だということじゃな」
目に見えない『魅了』を目に見えるように消せとおっしゃる。
無茶苦茶だな。
「僕なら、そうですねー」
お祖父様の前で行儀悪く脚を組み、深く椅子に腰掛ける。
指を顎に当て小首を傾げた。
「温泉施設に『解呪の湯』でも作りましょうか」
「『解呪』?」
お祖父様も執事長も首を傾げる。
まさしく『魅了』の能力は呪いの産物だろう。
本来なら『浄化』と言いたいところだけど、僕には無理だ。
「少し時間を下さい」
きちんとしたものが必要だろう。
「では、今夜は帰りますが、誕生日の贈り物は期待していますよ」
僕はそう言って部屋を出る。
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イーブリスが部屋を出た。
「大旦那様」
執事長は黙り込んでいる公爵に声を掛ける。
「アーリー様のお祖母様も『キルス』の関係者なのは伏せておきますか?」
執事長は話し続ける。
「奥様のご実家の侯爵家が何代も前にキルス王族を身内に入れていたことは、ご本人様も知らないことでございましたし」
その頃はまだ『落とし子』とは言われず、歓迎されていたのだろう。
しかし、後になって教会からも話が広まったため、家の歴史からも削除されている。
「彼女には『魅了』などなかった」
公爵は腹ただしげに古い友人を睨む。
「ごく普通の令嬢だった。 身体が弱く、婚期は遅れたが心優しい娘であった」
それなのに。
経路は不明だが、元から病気がちで、ようやく第一子を出産したばかりの彼女の耳に入ってしまったのである。
実家の真実を知った彼女は体調を崩し、病を得て命を落とした。
「この国は今でも『キルスの落とし子』に苦しめられている」
公爵はそう言って目を閉じた。