108・美狼
僕は、精霊に関しては一旦忘れることにした。
動けるようになったら国境柵の修復作業を確認しに行きたい。
「あ、イーブリス様。 もう大丈夫なんで?」
領兵たちのところへ顔を出しに行ったら、アーキスがいた。
「ああ、大丈夫だ。 グルカはどうした?」
若い猟師のアーキスは大の付く魔獣好き。
僕がダイヤーウルフのローズや子供たちを連れているのを羨ましがるので、今後の仕事のこともあるし、相棒にグルカを付けてみた。
「グルカは彼女に夢中みたいで」
まだ若いダイヤーウルフのグルカは番を得て、仲良くやっている。
「あー」
まあ必要な時だけ組ませるか。
そういえば聞いたことなかったな。
「アーキスは恋人いないのか?」
「俺っすか、まだいないです。 魔獣好きな女性がいたら紹介して下さい!」
うん、諦めろ。
ソルキート隊長に国境柵の作業状況を聞き、都合の良い日があれば連れて行って欲しいと頼む。
「分かりました。 天気とか、スミスさんの予定も確認しておきます」
スミスさんは、このところ領民や客が増えているので忙しい。
それでも僕の行くところはどこにでもついて来る。
その上、今は育児もやってるからな。
もっと使用人を増やすべきか。
「次の誕生日祝いはコレでいくか」
本邸から文官を回してもらおうっと。
今年も初夏が近付き、アーリーと僕は十四歳になる。
数日後の夜、本邸に報告とお願いに行く。
精霊の穴を通り、本邸にある自分の部屋に到着。
ウォン
「ん?、シーザー。 珍しいな、お前が出迎えてくれるなんて」
【父上、少しお時間いいですか?】
こいつはダイヤーウルフなのに人間臭い。
ずっと人間の中で暮らしているとこうなるんだな。
「どうした?、子供でも産まれた?」
【……】
当たりらしく、照れたように顔を逸らす。
一緒にダイヤーウルフ用の小屋に向かう。
シーザー用の寝床はお祖父様の部屋の中にあるが、家族用の小屋が庭の隅にあった。
「だけどシーザー、なんで今まで言わなかったんだ?」
歩きながら訊ねる。
僕もキルス国関係で忙しくて本邸との行き来もバタバタと慌ただしくしてたけどさ。
【お祖父様が内緒にしようって】
おおう、シーザーは僕の子だけど、お祖父様にとっても孫になるか。
仲が良いのはいいことだ。
子狼がいる間は母親狼が非常に神経質になる。
ローズも人間に近寄られるのを嫌がっていた。
「こんにちは、入っても大丈夫かい?」
小屋といっても外観は人間が普通に住める大きさの一軒家である。
中はただの板張りに藁や毛布が敷かれているだけだけどね。
クゥーン
良いらしい。 僕はこのダイヤーウルフにとっては群れの頭だからな。
体毛は灰色が多いダイヤーウルフだが、シーザーの番である彼女は薄い茶色の毛色をしていた。
本邸に入って丁寧に世話をされているうちに毛色がだんだん金色がかってきている。
そして、この冬に一体だけ産まれた子狼。
【白に近い金色なんです】
公爵家に多い髪の色である。
だから、お祖父様も僕を驚かせようと内緒にしていたんだな。
【父上、この子もフェンリルに近いのでしょうか】
妹狼のリルーがフェンリルに近いせいで苦労してるのを知ってるから心配になったんだろう。
「いや、大丈夫みたいだよ」
見た目はフェンリルに近いが、魔力自体はダイヤーウルフが多めだ。
「それにこの毛色は公爵家に多い色だから、お祖父様は喜んでると思うよ」
もうすでに子狼は両親と同じメダルを首に掛けていた。
「名前は『フィービー』か、良い名だ」
女の子だから、お祖父様はそこも気に入ってると思う。
ほっこりした気持ちで僕はお祖父様のいる部屋に入った。
「失礼します。 シーザーの娘を見て来ましたよ」
「うむ、そうか」
誇らしそうな顔をしたお祖父様は久しぶりに見る。
僕が心配ばっかり掛けてるせいですね、すみません。
カートさんとスミスさんが書類の交換をしている間、僕はお祖父様と一緒に執事長が淹れたお茶を飲む。
一通りの報告を終え、僕はコホンと咳をする。
顔を見てのお願いは小さい頃以来なので、少し緊張するというか恥ずかしい。
「誕生祝いの件ですが」
「ふむ、何か希望があるということかな」
僕は頷いて、チラッと打ち合わせ中のスミスさんたちを見る。
「領地に文官を分けていただけないかなと」
領地で採用するには人が足りない。
本邸で、ある程度教育済みの文官を分けてもらいたいと思っている。
温泉施設の従業員のように短期間で教育出来るものではないのだ。
「具体的にどうしたいのだ?」
「そちらのお好きなように」
僕に人選は無理ですよ、お祖父様。
「あっ、それならお願いしたいことがあります!」
打ち合わせしてたんじゃないのか、カートさん。
「実は、文官の間でも公爵領に行きたいという者が増えておりまして」
個人で行くには遠過ぎる。
しかし温泉施設や魔獣狩りなんかは気になるということらしい。
「仕事で赴任となると左遷という悪い印象で受け取られますけど、希望者を募って、一定期間お試しで働いてもらうのはどうでしょうか」
気に入って、長期間やっていけそうなら現地で引き続き働いてもらう。
「なるほどの。 武官以外では、なかなか行けない場所ではあるか」
どうやら公爵邸内で「領地に行くのは武官ばかりだ」と不満が上がったらしい。
僕としては、募集しても田舎だし、子供が領主代理だから嫌がられるかなと思っていた。
少しは領地が繁栄し始めたし、行ってみたいと思われたらいいな程度である。
しかも、まだ働くかどうかは決めないで行ってみるだけ、なんてあまりにも優遇過ぎないか。
今度は武官から苦情が出そうだけど。
カートさんがウンウン頷きながら言う。
「大切な家族や恋人がいる者は行きたがらないですしね」
カートさんは侯爵家の次男だそうで、おそらく結婚に関してはそのうち家から指示が来るだろうということだ。
「それまでに好きな人でも出来ればいいが」
お祖父様も気に掛けているようだけど仕事が忙し過ぎて無理みたいだ。
「私のことは気にしないで下さい。 一生、公爵閣下について行きます」
うーん、ちょっとキモイなコイツ。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
シーザーはダイヤーウルフの母ローズと、シェイプシフターである父親イーブリスとの間に産まれた。
三兄妹で自分以外は産まれた北の領地の森に棲んでいる。
【シーザー様は森にお帰りになりたくはございませんか?】
この冬、番になったダイヤーウルフの娘は森の群れから選ばれた。
何体かのダイヤーウルフの娘と試しに付き合ってみたが、この娘が一番王都の本邸に馴染んだのだ。
彼女自身も人間の中で暮らすことを嫌がらなかった。
【私はお前と同じで、他の兄妹たちより自分がこの本邸に相応しいから選ばれたと思っている】
結局のところ、他の弟妹では王都に棲むのは問題があったということだ。
それなら、自分がこの本邸に居ることを誇りたい。
【もし森に戻りたいなら言ってくれ。 父上に頼んでみるから】
まだ若いこの娘狼には辛いこともあるだろう。
シーザーはもう慣れた。
【いいえ、ここは楽しいです】
この娘狼は好奇心旺盛で、初めて本邸に来た頃は毎日走り回っていた。
邸内の使用人たちともすぐに仲良くなって可愛がられる。
そして人間に可愛がられるうちに、その毛並みが美しい金色に近くなっていった。
【森とは環境も食べるものも違うからでしょうか】
最初は戸惑っていたが、皆が褒めるので嬉しくなってしまい、今では気にしていない。
シーザーも彼女の変化に目を見張っていた。
二体で棲むための小屋を与えられ、秋から冬の間はそこで過ごす。
期待されていることは分かっていた。
無事に娘が一体産まれる。
イーブリスの祖父である公爵は喜んでくれたが、シーザーは不安になる。
(美狼過ぎる!)
ただの親バカであった。