136・受難
僕が王都に滞在するのも、あと七日ほどである。
カートさんに対する罰は、アーリーの卒業後の事業の手伝いだ。
「あの、それは公爵家文官としては当たり前でして」
「カートはさ、お祖父様の傍に居たがるでしょ」
僕の指摘にカートさんは目を逸らす。
この人は王宮仕えの頃から、宰相だったお祖父様が大好きなんだよな。
お祖父様相手と僕たち相手では仕事の仕方が違う。
それではアーリーが動き出した時に都合が悪い。
「新しい事業だから準備が重要なんだ。
その一歩がリリアン嬢の説得になる」
「はい、それは分かりますが」
アーリーをやる気にさせるには、ある意味、一番重要。
「それをカートに任せる」
アーリーたちはまだ学生だ。
卒業する冬までにリリアン嬢を説得し、アーリーの事業に参加させる必要があった。
翌日から、婚姻のため学校を休んでいたヴィーが再び登校する。
その馬車にカートさんが同乗することになった。
まずはリリーに顔を知ってもらい、慣れるためだ。
「よろしくお願い致します、リリアン様」
「え、ええ」
ヴィーはクスクス笑っているが、カートさんは冷や汗ものだ。
自分の任務の成否でアーリーの事業が決まるのだからな。
僕のほうは調査員を総動員して探していた者と、ようやく連絡が取れた。
僕は、その男を王都の郊外にある公爵家出資の娼館に呼び出している。
「坊ちゃん、いや辺境伯様。 お久しぶりでございます」
すっかり中年になった人買いの男だ。
「十二年ぶりだね、おにいさん。 懐かしいよ」
お互いに苦笑で挨拶を交わす。
僕とアーリーを買い取り、公爵家に売り渡した男だ。
孤児を拾って教会関係の施設に預け、教育して、貴族や裕福な家に養子に出す機関。
聞くだけなら真っ当な組織に思われるが、金が仲介するので、ほぼ真っ黒だ。
「お蔭で僕もアーリーも無事に成人した」
礼は言わないが。
「何の御用でしょうか。 ワシはもう、あの商売からは手を引いておりますし」
確かに、この男は僕たちを引き渡した金で引退し、姿を眩ませている間に他の商売を始めている。
しかし、その商売はあまり上手くいっていなかった。
僕がキルス陛下との約束で、孤児たちがいる教会施設を調べていたら引っ掛かってきたのだ。
間違いなく、この男はまた人身売買を始めている。
そして、その伝手は公爵家の雇った調査員たちよりも闇が深い。
「ふむ。 こちらの事情で手を貸して欲しかったが。 そうか、無理か」
男の目の色が変わる。
「いえいえ、公爵閣下や辺境伯様のご依頼とあれば」
金が要るのだ、この男は。
スミスさんが男の前に書類を置く。
「探して欲しい者の条件だ。 これに合うなら年齢は問わない」
人身売買は基本的に孤児だが、親から買ったり拐ってきたりした子供もいる。
しかし、子供はいつまでも子供ではない。
「成長した者でもよい、と?」
男は商売人の目で僕を見る。
「条件に合うならな」
『キルスの落とし子』は容姿と高い魔力が特徴だ。
それと、悪魔化により『魅了』を持っている可能性がある。
「最終的な判断は僕がする。 お前は条件に合う者を見つけて連れて来るだけでいい」
引渡し場所はこの娼館だ。
施設での教育はいらないから、すぐに引き渡すように頼む。
男に契約書を見せて紹介料を確認させ、署名させた。
「仲間に協力してもらうのは構わないが、条件はなるべく口外するな。
連れて来る前に自分の目で判断し、話をして決めるようにしろ」
そして僕に都合の悪いことがあれば、男は地の果てまで追われる身になる。
ヘコヘコと頭を下げ、支度金を受け取ると男は出て行く。
それをスミスさんは厳しい目で見ていた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
公爵家の馬車にはカートとアーリー、辺境伯夫人であるヴィオラ、そしてヴィオラの双子の妹であるリリアンが乗っていた。
「あなた、何しに来たの?」
リリアンのカートに対する質問は当たり前である。
「は、はは。 実はリリアン様と親しくなりたいと思いまして」
はあ?、という顔をしたのはリリアンだけではない。
「カートもリリーを狙ってるの!?」
アーリーが詰め寄る。
カートは文官だが、実家は侯爵家で次男である。
十歳以上年齢は離れているが、リリアンの伯爵家に婿入りするには条件は合う。
「いえいえ、とんでもございません!」
アーリーの誤解を解かないと仕事にならない。
カートは慌てて首を横に振り、
「リブジュール様からリリアン嬢を説得するように言われまして」
と、口に出してしまう。
「馬鹿みたい」
学校に到着した馬車が停まる。
アーリーがスルリと先に降りてリリアンに手を差し出す。
いつもの光景だ。
カートはそれを見て、目を瞬く。
「あのお、リリアン嬢はアーリー様とお付き合いされていないのですよね?」
カートは降りてヴィオラに手を貸す。
「うふふ、あれでただの幼馴染なのよ」
ヴィオラは笑って頷く。
そう言わないとリリアンが納得しないらしい。
「でも、あれはどうみても相思相愛……」
カートが悩み出す。
ヴィオラはカートから荷物を受け取り、御者や護衛の騎士に礼を取る。
「ありがとう、また夕方お願いしますね」
「はい、奥様」
リブジュール辺境伯夫人であるヴィオラを低頭して見送る。
しかし、リリアン嬢は気にもせずアーリーに軽く手を振って校舎に向かった。
「これは難しそうだ」
カートは呟いた。
本邸に戻る馬車の中で考える。
(アーリー様の説得は簡単だ。 リリアン様が乗り気だと言えば全力で事業を請け負って下さる)
問題はリリアンだ。
カートは馬車の行く先を変更して、ロジヴィ伯爵家に向かう。
「リリアン様に公爵家との共同事業に参加していただきたく、お願いに上がりました」
まずは親や周りを固める。
「まあまあ、侯爵家の方?。 あらあら、リリアンですの?。
勿論、私が責任を持って説得いたしますわ!」
母親は乗り気のようだ。
父親は王都内の役所に勤務しているというので、連絡を取り、時間を見計らって職場を訪ねた。
「お話は分かりますが」
こちらは渋い顔をされた。
「何か問題がございますか?」
公爵家の跡取りの事業への参加である。
普通なら伯爵家の令嬢にはまたとない機会だ。
普通なら引退した高位貴族や、王族の子供が名を乗せるための事業である。
「私共には荷が重いと申しますか」
常識的な伯爵は、娘たちのお蔭で最近、大役ばかりで困っていた。
「王太子の宴や、辺境伯の儀式まで。
どうも伯爵家には身に余るお話ばかりです」
文官である伯爵自身が職場で上司にまで遠慮される始末。
「何とかなりませんか、カート様」
逆に相談されて、カートは頭を抱えた。
二日後、カートが公爵家の執務室で仕事をしていると、
「カート、君の実家から縁談が来ているそうだ」
突然、公爵に言われてカートは驚いた。
「え?、相手はどなたですか」
「……ロジヴィ伯爵家、とあるが」
カートはひっくり返った。
(なんてこと!、アーリー様に殺される)
カートは慌てて否定し、ロジヴィ伯爵家にはお詫びの手紙を書き、実家には間違いだと撤回するよう伝えた。
「何故、こんなことに」
カートは廊下を早足でリブジュールの元に向かう。
辺境伯用の執務室で領地に戻る準備をしているリブジュールに、カートは書類を突き付けた。
「これで文句はないはずです!」
あんな手を使うのは、この方しかいない。
「リリアン嬢は自由気ままに見えますが、家族をことのほか大切にされています。
公爵家の事業に参加させるなら、父親を参加させて、ご令嬢にはお手伝いをしていただけばよろしいかと!」
カートはリブジュールの目がいやらしく歪むのを見た。
「上出来だ。 ありがとう」
後日、ロジヴィ伯爵は勤めていた役所を辞めて、公爵傘下の事業の責任者となる。
リリアンは父親に説得され、在学中から事業に参加することになった。