133・叙爵
偽装馬車が出て十日後に、僕は自分で闇の扉を開く。
偽装馬車が本邸の玄関にちょうど到着したところのようだ。
「お帰りなさいませ」
本邸の僕の部屋で執事長が待機していた。
「まずは、新しいお部屋にご案内いたします」
今回から僕は夫婦用の部屋を与えられる。
ヴィーは婚姻の儀式の後、身一つでこちらに移って来る予定だ。
今までの部屋からだいぶ離れ、本邸の端といってもいい。
「大奥様が療養でお使いだった部屋を改装いたしました」
なんとなく女性が好みそうな内装だと思ったら、そういうことか。
寛ぐための広い居間、主寝室に夫人用寝室と衣裳部屋。
夫用の執務室と衣装部屋。
寝室にはそれぞれに浴室など必要な設備付きで、執事と侍女の部屋が併設されていた。
勿論、簡易厨房も近くにある。
これだけ館の中心から離れていると、運んでる間に冷めてしまうからな。
本邸の一部ではあるが、規模としては小さな館の一軒分はありそうだ。
「領地からの移動用の扉を執務室に仮設置いたしました」
僕専用の執務室に案内され、執事長が仮の扉を開ける。
中は黒い壁紙で、そこに領地の僕の寝室と繋がる扉を設置させられ固定した。
つまり、扉は二重になる。
間違って誰かが開いても向こう側は見えないようになっているのだ。
一人では広すぎる居間は落ち着かないので、執務室でお茶を飲む。
スミスさんは新しい寝室で就寝の準備中だ。
「執事長が淹れてくれるお茶も久しぶりですね」
「さようでございますな、イーブリス様も大きくなられました」
お祖父様と同年代だろうから、六十代かな。
まだまだ引退の歳ではない。
アーリーも安心して任せられる。
スミスさんに呼ばれて主寝室に入ると、ほのかに薔薇の香りがした。
「朝になれば分かりますが、薔薇園に一番近いお部屋になります。
窓からシーザーたちの小屋もご覧になれますよ」
え、薔薇園に近いってダイヤーウルフの鼻は大丈夫なの?。
バカになったりしない?。
「大丈夫なようですよ。 シーザーが魔力で妻子を包んでおりましたから」
それは大丈夫とは言わないと思う。
「シーザーは薔薇の香りが落ち着くそうです」
そうか、僕のせいか。
熊の干し肉でも差し入れしよう。
僕の分家としての紋章が決まる。
鮮やかなローズ色の大輪の薔薇が一本。
下に描かれた短剣は、公爵家の「狼に短剣」の紋章から分かれた分家の印。
貴族報に僕の似顔絵と共に載せて広報される。
この似顔絵、実はアーリーなのは秘密だ。
さて、到着してから三日目、儀式当日。
今日は公爵家本邸で午前中に教会から神官が来て成人の儀式が始まり、そのまま婚姻の儀式に移る。
衣装はアーリーが白を基調に金の装飾なので、僕は銀を基調に白の装飾である。
一目で判るようにしてもらっていた。
僕とアーリーは、玄関でヴィーとその一家を出迎えた。
気合いを入れて磨かれたヴィーはすっかり大人っぽい。
「ヴィオラ、とても綺麗だ。 本日はよろしく」
「はい、こちらこそ、よろしくお願い申し上げます」
型通りの挨拶をして腕を組み、ゾロゾロと庭の神殿に向かった。
午前の儀式は恙なく終わり、神官は多額の寄付と書類を抱えてホクホク顔で帰って行った。
午後は食事を含めた立食パーティーで若者が多い。
初めて会う同年代の親戚やアーリーの学校関係の友人たちと交流する。
成人といってもまだ酒の量は多く出されない。
夜に備えて控えめである。
庭で演奏していた楽師の音が止み、来客を告げた。
「本日はおめでとう。 王宮からの遣いとして参った」
国王の弟殿下である。
聞いてない。
お祖父様をチラリと見ると、あちらでも予想外だったようだ。
「すまぬな。 ダヴィーズが来る予定だったのだが、内容が叙爵であるからな。
まだ若い王太子では不足だろうと、わしが申し出た」
髭の王弟殿下は国王よりガッシリとした体型で、王国軍を率いる将軍である。
「どうしてもイーブリス殿に一度会ってみたくてな」
おーっと、いくら今日は主役とはいえ、あまり注目されたくないのでやめて欲しい。
眼光鋭い方である。 怖い。
叙爵の儀式は本来なら王宮で行われる。
今回は僕の病弱設定と、叙爵が国王からではなく公爵家から分家として与えるものだから例外だ。
王宮としては認めるだけなので宰相辺りの要人で良かったはずなのに。
公爵家の広間に高級な絨毯が敷かれ、玉座並みの椅子がドンと置かれていた。
王弟殿下が椅子に座り、僕とヴィーがその前に跪く。
殿下が立ち上がり、勅命文書を紐解く。
「では、国王陛下より賜った言葉を、代理としてわしが申し渡す。
ラヴィーズン公爵家イーブリス、其方を『辺境伯位』とする」
「え?」
会場内が騒つく。
「それは何かのお間違えではないかな。
私はイーブリスの爵位は『伯爵位』とお願いしていたはずだ」
僕もそう聞いていた。
『伯爵位』でもかなり待遇は良い。
それなのに、公爵に次ぐ地位で侯爵と同位である『辺境伯位』は異例であり、あまりにも優遇され過ぎだ。
「だからわしが来たのだ、ラヴィーズン」
お祖父様の息子と国王陛下と王弟殿下は幼馴染である。
「あの辺境地を其方に押し付けたのは王宮だ」
どうやら、あの領地は王族からの無茶振りだったらしい。
国軍の負担を減らし、魔獣の討伐、辺境地の防衛をさせるためだ。
「その上、農地や保養施設など十分な開発も報告に上がっている」
あー、王太子が視察に来たもんな。 だけど、どんな報告したらこんなことになるのか。
「あとは、イーブリスには国に対して、いや、王族に対して忠誠を誓ってもらいたい」
なるほど。
国王陛下にあれだけのことをしたから、王都には置きたくない。
しかし王太子が煩いから爵位で辺境地に縛るということか。
僕は顔を上げた。
「ありがたく拝命いたします。 ダヴィーズ殿下に永遠の友情と忠誠を誓いましょう」
「うむ。 陛下もお喜びになるであろう」
書類の作り直しで、うちの文官たちは絶叫してるだろうけどな。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
公爵は冷や汗をかいていた。
イーブリスを分家にするため、公爵家が保有する爵位のうち、伯爵位を与えることにしていた。
妻となるヴィオラ嬢が伯爵家なので、それより格下には出来ないため、そこに落ち着いたのである。
しかし、予想外のことが起きた。
王弟が叙爵の儀式に現れ、さらに国王からはイーブリスに辺境伯位を与えられたのだ。
異例中の異例である。
(成人したての分家に高過ぎる爵位を賜るなど)
しかし、国軍の将軍である王弟が直接来たことで、辺境地の防衛が目的であるのは明白だった。
(つまりは魔獣討伐の強化であるな)
国軍が動けない今、公爵家騎士団はかなり力をつけている。
それを分散させる狙いもあるのだろう。
こうなると、もう一つの件が心配になってくる。
「では、新たな分家となるイーブリス殿の名前だが」
「え、名前ですか?」
イーブリスが不思議そうに顔を上げた。
文官たちにも緘口令を敷き、誰からも漏れないようにしていた件である。
王弟は頷き、重々しく告げた。
「ラヴィーズン公爵家イーブリス、本日この時より、リブジュール辺境伯と名乗るように」
「は、はい、ありがたき幸せ……」
低く頭を下げた孫を公爵は優しい顔で見ていた。
「イブリス」は悪魔という意味である。
それを名付けたのは孤島に一人しか居なかった祈祷師の老婆だったそうだ。
「悪魔のように魔力が高い子供、ということで付けたらしいですが」
黒服の調査員はそう言って苦笑いした。
魔物であるシェイプシフターにとって、それはどういうものだったのか。
公爵家に来た最初の日、「イブリス」と呼ぶと声は返らなかった。
無表情でも、それが気に入らないのだということは公爵でも分かったのである。
「リブジュール」
今度は返事が返るだろう。
彼はほんの少し笑っていた。