106・戯言
僕の目の端に、スミスさんとキルス王と側近の青年の姿が映る。
「あなたたちはどうします?、ここから先は聞いていても分からないと思うけど」
スミスさんは当然のように僕の隣に来た。
僕は悪魔を見る。
「まあよい。 お前さんたちも一緒に聞きなされ」
キルス王と側近の青年も頷く。
悩んだ末に、キルス王は僕から少女を守るような位置に立った。
百年以上前の話。
火炙りにされた少女は死にきれずに悪魔へと進化した。
キルスの神殿の牢で恨みの瘴気を溜め続け、激しく、とても強いキルス王族への憎しみを宿したまま。
「何故、巫女などと偽った。 国を乗っ取るためか」
僕が訊ねると、キルス王は一歩前に出て悪魔を庇う。
「彼女が人間ではないことは分かっていた。 巫女と名乗らせたのは私なのだ」
それまでの愚かな王族により荒廃したキルスの国には神が必要だった。
だから神殿を復活させ、新たな神の遣いとして巫女の存在を公表した。
お蔭で内乱後のキルス国は混乱なく纏まっている。
その悪魔が言った。
「キルスの王族は、以前は歳を取らず、長命であった。
それは代々、神殿に精霊が棲みついていたからじゃ」
「お前の仕業ではないと?」
おいおい、それって暴露してもいいのか。
「人間には、その奇跡が神によるものなのか、精霊の仕業なのか、判別は出来まい」
しかし、悪魔へと変じた少女には分かったのだ。
「キルスの繁栄は神殿の底に棲む精霊が力を貸していたからじゃった」
「精霊?、神殿なら神だろ」
「いや、神などいなかった。 精霊だけじゃ」
しかしその後、愚かな行いで若さも民の信仰も失った。
朽ちた神殿に居た悪魔は若い王族と出会う。
キルス国の現在の様子を知るため、悪魔は少女の姿で青年王族と暮らす。
「この若者を王にする必要が出て来た」
過去の自分と同じ『赤毛の子供』の話を聞き、早急に保護しなければならないと思い詰める。
国内で争っている場合ではない。
「わしの力で周囲の人間の思考から反抗というものを取り除き、命令通りに動かし、国は安定した。
今では国民は何の疑問も持たずに王を受け入れておる」
古の吸血鬼と呼ばれていた悪魔には、人間の心を操ることくらい容易いこと。
しかし、国のすべてを掌握するには年月が掛かかった。
新たな神殿に精霊を呼ぶ儀式は行われたそうだ。
しかし、上手くいかなかった。
古の悪魔は悔しそうに言う。
「当たり前じゃ、神殿の底にはもう精霊の姿はなかったんじゃから」
「いない?」
「僅かに残っておった闇の精霊に聞くと南の小島に繋がっていたとかで、そっちに移住したらしい」
え?。
嘘だろ。 それ、もしかしたら僕が産まれた場所じゃないのか。
それじゃあ、魔力を溜め瘴気を集めて僕を作ろうとしていたのは誰なんだ。
未熟なままシェイプシフターとして生まれた僕に、誰の意識が残っているというのか。
キルス国の王族?。
あの異界の暗闇で見た人間の記憶?。
手掛かりはあの数字の表示だろうか。
しかし、今はそんなことより瘴気である。
陛下の住まいがある東の森から濃い瘴気が漂って来ているが、ただの悪魔にあれだけの瘴気は無理だ。
何かが手助けしているに違いない。
「じゃあ、あの異常な瘴気はなんだ!」
僕は悪魔の胸ぐらを掴もうとした。
それをスミスさんが羽交締めにして止める。
巫女との間に立ったキルス王に僕は叫ぶ。
「あんた、なんで東の領地にいるんだ。 王都に住めばいいだろう」
コイツのせいで森から瘴気が溢れ、公爵領にまで魔獣が流れて来るんだ。
「すまぬ、魔獣の件は我々が考えた。
他国に恩を売って、迫害されている『赤毛』の子供たちを保護しようという作戦だ」
キルス国には魔獣のいる森は東の領地にしかないらしい。
はあ?、それってうちの領を狙ってるとしか思えん。
ちょっと待て。
「つまり、現時点で『赤毛』が見つかっているのはこっちの国だけだからか?」
キルス陛下が目を逸らす。
確かにキルスに比べたら我が国は何倍もある大国だし、『赤毛』の一人や二人、探せば十人くらいはいるだろう。
それを魔獣被害ぐらいで差し出す親がいるか?。
「魔獣被害なんてフェンリル様が出て来たらすぐに終わりだろうに」
陛下は黙ってしまう。
「今はこちらの国の聖獣様は魔獣討伐していないと聞いております」
思わず側近の青年が口を挟む。
「あー、そういうことか」
今の聖獣様は、国外どころか国内の魔獣討伐の依頼でも動かない。
全部、僕のせいだ。
「ではキルス陛下は、この国に『不幸な子供』がいたら引き取ってくれるのか?」
陛下の眉がピクリと動く。
「婚姻なんて関係ないなら、男爵家だからとかリナマーナ嬢である必要もないんだろ?」
「そ、それは」
陛下は巫女と呼んでいる少女を伺う。
「わしなら誰でも構わん。 『赤毛』だから迫害されている、という訳ではないのだろう?」
ようやく現状を把握したらしい。
僕は頷く。
「ああ。 この国では『赤毛』でなくても迫害されている子供は大勢いる」
心当たりがあり過ぎる。
「悪いが人間はここまでだ」
ここから先は本当に悪魔と魔物の駆け引きになるからだ。
僕はまだ、この悪魔に訊きたいことがある。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
キルス王と側近は領主代理の執事と共に、男爵たちの待つ部屋に戻った。
公爵家の執事はテキパキと今夜の宴の指示を出している。
ひと段落したようで、お茶が出された。
キルス王が、地下で聞いた話を何とか飲み込もうと考えをまとめていると、椅子に座ったまま小さくなっていた男爵が声を出した。
「あ、あのお」
他国の王族である。
直接声を掛けるのは躊躇われたようで、側近の青年に向かって話し掛けていた。
「私たちはどうなるのでしょうか」
見るからに男爵は顔を青くしている。
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あの日、キルス王が『赤毛』の子供の話を聞いたのは偶然だった。
隣国の辺境地の町に、女性や子供を拐い売り飛ばす者がいると聞いて、身分を隠して調べに来たのだ。
そういった現状を把握したとしても、目の前で事件でも起こらない限り他国の町で暴れることは出来ない。
騙され、もしくは自らの金のために怪しい町で働く若い女性や子供たちの姿を見ているしかなかった。
その時、たまたま耳に入ったのがブリュッスン男爵の声だった。
「うちの末娘は誰にも似ていない『赤毛』でー」
そばかすが浮いた白い顔も可愛くない、というような内容だった。
それは酒の席で、若い女性たちを相手に気を引こうとする中年の酔っ払い男の戯言。
しかし、それを真に受けた者がいた。
「そんなに『赤毛』が邪魔なら、私が引き取ろう」
「へ?」
男爵も当然、酔っ払いの戯言だと思ったので、
「うちの娘は歴とした貴族の令嬢だ。
どこの誰かも分からない者にやる訳にはいかん」
と、益々、女性たちの前で見栄を張る。
護衛の一人が男爵の耳にコッソリと、
「この方は隣国の王族でいらっしゃいます」
と、囁いた。
王族との繋がりが持てる。
男爵は舞い上がり、契約を交わしてしまったのだ。
こんなことになるとは思わず。
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「確かに私は自分より身分が高い妻に対し、見栄を張っておりました。
それでも娘が成人すれば幸せになれるのだと信じて」
一度受け渡しに失敗し、その後はキルス側の内乱で成人後にという話になった。
「ただの言い訳にしか聞こえませんわ」
キッと父親を見上げた娘。
「リナ」
兄のマールオは妹の態度に驚いた。
今までこんなに自分のことを主張する姿を見たことがない。
「私、行きます。 成人したら」
全員が驚く。
リナマーナにも分かっていた。
貴族の娘の嫁ぎ先は親の都合で決められていく。
それでも。
「王族とのお約束ですもの」
たとえ理不尽な契約だろうと、せめて納得したかったのである。