132・話題
僕が忘れていたことがある。
キルス神殿から秘密の文書が来ていた。
つまり巫女からだ。
謝礼をと言い出したので、報酬として「神聖な建物をつくる技師と作業員の派遣」をお願いする。
キルスには精霊の祠を造る技術があるそうだ。
場所はこれから探すけどな。
公爵領には未だに教会が無い。
王宮には、神聖国であるキルスの王族からの贈り物として小さな祠を提案されたことにした。
こっちの国の教会のような住民の籍を管理するところではなく、ただ単に観光名所みたいなものだと説明し、何とか国から許可を取る。
うちの国の教会は、普段から祈る場所ではない。
登録や許可が必要なときだけ祈りと称した儀式が行われて、謝礼として金が動く。
教会側も公爵家が多額の寄付をしているから機嫌を取り、煩いことは言わないのだ。
キルスから下調べのため、巫女と陛下がいつもの側近の青年とやって来た。
一応僕には精霊が好みそうな場所に心当たりがあったので案内する。
東の農地には貯水池の役割をする湖があった。
「ふわあ、すごく綺麗!」
巫女も気に入ったようだ。
「領境にあるので、お互いに開発出来ずに放置されていたのです」
案内してくれたのは隣領から来ているボンだ。
湖は公爵領とブリュッスン男爵領の境にあり、対岸は他領なので勝手に建物を建てるなどの開発をすると景観がどうの水質が魚がと、お互いに苦情が出る。
そのため長い間、誰も手を出さなかったらしい。
今は男爵も僕のやることに口は出さないだろう。
あれから男爵夫人も領地に居座っているそうだし。
「土地自体はかなり古いですが、一度も氾濫や地質が変わったという話はないですよ」
手付かずの自然、美しい景観。
「精霊は何か仰ってますか?」
巫女は恐る恐る僕に訊いてくる。
「うーん」
水に手を入れても、ただ冷たく、いつも通り湖の底まで透き通っている。
「特に反応はないな。 嫌がっている感じもしない」
そう言いながら、何かに引かれて足が勝手に動く。
「あ、ここは」
木々に隠れていたが、少し小高くなった場所に石が何個か並んでいる場所に出た。
「石碑ですか?」
分からない。 ただの岩のようでもあり、何か意味ありげなモノにも見える。
「もしかしたら古い遺跡かも知れません」
そう言って巫女はそれを紙に書き写して持ち帰った。
後日、それを見たキルスの神官たちが建材っぽいものまで運んでやって来る。
「おい、いったいなんだ?」
責任者らしい神官が僕に頭を下げる。
「キルス陛下の命で参りました」
そんなに床に頭を擦り付けなくてもいいのに。
「巫女様のご師匠と聞いております」
あー、その設定ってことは、バレてるのか。
僕はキルスの神殿の底ではやらかした。
神殿で起きた事件は、こっちの国の王宮には内緒である。
しかし、キルス神殿への正式な要請は王宮を通してやり取りしなければならなかった。
少し時間が掛かってしまい、その間に巫女が神官に師匠の正体が僕だとバラしたらしい。
だけどハッキリと言葉にはせず、 有耶無耶のままにしておく。
彼らが言うには、石碑は古い祭壇だという。
精霊信仰の土地柄らしいので、間違いなく祀られていたのは神ではない。
ちょうど良い、ということで、この場所に小さな『精霊の祠』をお願いする。
「お任せください」
「うん、任せるけど、くれぐれも大きなものにしないで下さい」
隣領とのいざこざは困るのでね。
勝手に華美にしないように、ボンに監督を頼む。
「えー、俺はこれから忙しくなるんですけど」
そうだった。 これから農繁期に入るな。
「リナマーナに頼んでみては?。
あの子も成人したらキルスに行くんだし、神官さんたちと仲良くなるのもいいんじゃないですか?」
「そうか、訊いてみるよ」
キルスの神官と技師及び作業員たちは、ボンの村にある農作業者用の集合集宅に滞在してもらうことになった。
東の村は建物はあるけど人が少ない。
農繁期だけ、人が溢れるんだ。
「これから作業すれば秋までには終わると思います」
技師の話では農繁期までには終わりそうだという。
いやいや、それじゃあ困る。
「小さくていいんで、初夏までに終わらせて下さい」
僕が成人すると領主が変わるので、作業が一時中断することになるかも知れない。
そう伝えると、慌てて頷いてくれた。
中断すると再開するにも時間が掛かるから、それは作業員たちだって嫌だろうしな。
リナマーナは姉のミーセリナの出産が近いので、ボンの家に住み込み、手伝う予定だそうだ。
いつの間に子供?。 聞いてないよ、ボン。
リナマーナには領主館の仕事は辞めて、こっちに専念してもらうことにした。
その合間に、祠の作業を見回って報告してくれるようにお願いしておく。
「だけど成人したら、いつでも領地に帰っていいよ」
キルスへ行くための準備も必要だろうし。
「姉と赤子の世話がひと段落したら、そうします」
うん、是非、そうしてくれ。
僕もこれから忙しいので構っていられないからな。
春になると魔獣狩りがやって来る。
温泉施設も評判が良いので、王都からわざわざ湯治に来る客まで出る始末。
湯治はそもそも療養のためなので、長期間滞在する。
そんな金持ちの客が周りの町にも出掛け、領都で買い物、南の町で賭博や観劇と、お金を落としてくれるのだ。
それは良いんだが。
「イーブリス様、また移民の申請が」
「はあ、またか」
最近、他領の商人や隠居した金持ちなどから移住願いが増えた。
住民が増えると食糧が必要になり、仕事が増えて労働者が集まり、治安が不安定になる。
忙しい。
「イーブリス様は元々転地療養に来られた方ですから、表に出る必要はないですよ」
スミスさんは当たり前のように事務室に仕事を振っていく。
温泉施設でも東の農村でも、地元の子供たちが成長し、文官や領兵として働き始めている。
南の町だけは完全に独立採算。
僕の小遣いを注ぎ込んでハニーさんに任せた。
「イーブリス様が落ち込んで引き篭もったのも無駄にはなりませんでしたね」
それ、嫌味だよな、スミスさん。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
本邸から成人の儀式に関する予定表が来た。
婚姻の儀式や叙爵などやることが多くあり、文官たちも忙しい。
前倒しで処理出来るものから片付けている。
新しい紋章やら領地の正式名称の登録変更、そのお披露目も必要だ。
また、それを貴族報に載せる準備もあった。
一度公開すると修正が難しいため、念入りに何度も確認された。
本邸での新領主お披露目の茶会や宴会。
公爵家主催だけでなく、他家の招待にも顔を出さねばならない。
予定表を見ただけでイーブリスはうんざりしていた。
「体調不良により欠席出来るものは?」
スミスにも疲れが見え始めている。
「すでに選別いたしました。 同席されますヴィオラ様にもお渡ししてございます」
既にイーブリスに逃げ場は無かった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
夏が近付いた。
イーブリスは王都の本邸でアーリーと共に成人の儀式をすることになっているため、前後の一ヶ月ほど領地にはいない。
その日、北の公爵領の各所に文書が貼り出される。
『告知』
「なんだ?」
猟師頭のタモンが、広場の掲示板を見上げる。
貼り付けていたソルキートが誇らし気に答えた。
「見ての通りだ。 イーブリス様が成人されるゆえ、領主代理から正式にご領主となられる」
ラヴィーズン公爵領からイーブリス領に。
その告知だ。
そして、もう一つ、公布される。
『今年から領主の誕生祭を行う。
これから一ヶ月の間、全ての領民は一人に一つずつ贈り物を購入、または製作。
それを一番大切な者に贈ること』
「へ?、なんだ、これ」
ソルキートもタモンも首を傾げた。
「分からん」
特に罰則もないので、祭りの話題くらいで終わるのだろう。
誰もがそう思っていた。