131・土地
「そういうことですか」
さっきまで黙っていたスミスさんが口を開く。
「申し訳ありませんが」と言って、アーリー以外を部屋から追い出した。
ついでに執務室のリナマーナに、彼らを来客用の部屋へ連れて行くように頼む。
「男ですから、兵舎に放り込んできます!」
お、すっかり逞しくなって。
僕はただそれを無表情で眺めている。
指示を終えたスミスさんが戻って来て、盗聴除けの魔道具を起動させた。
「まったく、何を考えているのかと思ったら」
と、ため息を吐く。
「イーブリス様、そのままで結構ですから本邸に扉を繋いで下さい」
スミスさんはトントンと床を鳴らす仕草をした。
「ああ、すまない。 もう闇の精霊も僕の身体に取り込んだから」
体内に取り込んだ精霊たち。
僕自身が精霊の『器』だから、その全ての精霊の力を意識すれば使える。
僕は、それが分かってしまった。
片手を上げ「開け」と思うだけで黒い扉が現れる。
スミスさんがそれを開くと、そこにはお祖父様が居た。
「え?」
僕が驚いたことに満足してスミスさんが微笑む。
お祖父様が僕の部屋に入って来てソファに座った。
その隣に執事長が立ち、僕とアーリーはスミスさんに促され、その向かい側に座らされる。
「他の者たちに仕事を割り振ることは大切ですし、自分も仕事が楽になって助かったんですが」
スミスさんはそう言いながら、準備していたお茶を淹れていく。
「神託などと言い出すとは思いませんでした」
僕の前に置くときだけ、カップがガチャと音を立てた。
スミスさんはずっと傍で僕を見ていたけど、精霊の言葉が分かったはずはない。
「だって、本当だから」
「相手は精霊、自然から生まれる者です。 神じゃありませんよね」
スミスさんの言葉は僕を追い詰めようとしている。
「神なんていない、とイーブリス様自身が仰ってました」
嫌なこと覚えてるな。
「神だって言ったほうがありがたい気がするでしょ」
公爵家の孫が籍を放棄するのだ。
それくらいの威厳は必要だろう。
「えっ、嘘なの?!」
アーリーが目を丸くする。
「イーブリス。 では公爵家や私が嫌になって離れたい訳ではないのだな」
お祖父様の言葉に、僕は目を逸らす。
「僕は公爵家に相応しい『器』ではないので」
「それはどういう意味だ?」
お祖父様に睨まれると、どうにもやり難い。
「イーブリス様が話されないなら私が代わりに」
スミスさんが何か言い出す前に手を上げて止める。
お祖父様やアーリーに曖昧な話は聞かせたくない。
「気持ちの良い話ではないですよ」
まずは断っておく。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
キルス神殿は古来より精霊信仰の土地であり、王族は加護を受け、美貌と長命を賜り続けた。
しかし、段々と信仰は薄れ、醜さに呆れた精霊たちは逃げ出した。
元々繋がっていた南の孤島の洞窟に。
「キルスから南の孤島に繋がっていたのは、その未開地にも精霊信仰の祠が存在していたから。
僕はシェイプシフターとして生まれる前、孤島の洞窟の中で、精霊たちが移動するための『器』として育てられていた」
ただ、それだけだった。
精霊の祠は探せば他にもあるのではないかと思う。
「僕は新たな祠を探さねばならない。 精霊の『器』として」
シェイプシフターとして生まれた時、僕の身体には、もう既に何体かの精霊が入り込んでいた。
だから魔法も無意識のまま使えた。
異世界人の記憶まで取り込んでいたのは、精霊が移動先として異世界も候補として考え、研究していたのではないかと思う。
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「僕は、ただの『器』です。 精霊の魔力を移動させるための」
「そうかな?」
お祖父様が真っ直ぐに僕を見ている。
「確かに精霊の魔力を取り込むには『器』が必要だろう。
だが、新たな土地を探すには?。
その『器』を移動させるにはどうする。
『器』だけでは動けないぞ」
ピリッと空気が張り詰めた。
「それは」
俯き、両手を握り込んだ僕をアーリーが抱き締める。
「リブ、その役目が僕だったんだね」
精霊が必要としたのは『器』だけじゃない。
シェイプシフターとなった『器』が移動するには、生き物に擬態することが必要だった。
そのために精霊は赤子を生かした。
「なのに、リブは勝手にどこかに行く気だったの?」
半泣きのアーリーが笑う。
「僕を精霊から守るため?」
アーリーにはキルス王族の血が流れている。
精霊に目を付けられると、キルス王族のように長命などと要らない加護を貰ってしまう可能性がある。
「リブ、僕も仲間に入れてよ。 僕も精霊の棲む土地を探すから一緒に行こう」
「アーリー、それは出来ない」
アーリーは公爵家の跡取りなのだから。
お祖父様がため息を吐く。
「忘れておるようだが、私たちは同じ罪を背負い、お互いに不自由な生活をしようと決めた。
あれから何一つ変わってはおらんぞ、イーブリス」
「お祖父様」
僕はお祖父様の顔を見られない。
「そんなの、探す必要などありませんよ」
スミスさんが突然、そんなことを言い出す。
「作ればいいんですよ、精霊の祠を」
僕もアーリーもポカンとした。
「イーブリス様は、今は精霊の声が聞こえるのでしょう?。
じゃあ、希望を聞いて作れますよ、たぶん」
スミスさんはキルス神殿も、孤島の洞窟も、特別な場所ではないと言う。
「魔力が必要ならイーブリス様がいます。
瘴気が必要なら、今まで通りシェイプシフターの紋章で集めます」
幸いにもここは自然溢れる辺境地。
精霊が好きそうな場所は必ずあると言う。
「イーブリス様が決めた場所を保護区として、立ち入り禁止にしてしまえばいいんです」
公爵家の名を使えば、居るかどうか分からない神より、人々は恐れ敬うはずだ。
「この領地では、イーブリス様は優しいけど機嫌を損ねると怖いって言われてますからね」
「あはっ、あははは」
僕が笑い出すと、アーリーも笑い出す。
「本当にそうだね、あははは」
お祖父様と執事長は顔を見合わせて頷いた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
イーブリスとアーリーの成人の儀式の準備が進んでいた、ある日。
「大旦那様、大変です、これを見て下さい!」
休憩室で休んでいた公爵に、文官のカートが前置きもなく書類を渡した。
「静かに」
顔を顰めていた公爵は文書を読むうちに顔色が変わる。
イーブリスからの『離籍願い』だ。
「すぐにスミスに確認しろ。 それと、誰にも漏らさぬようにな」
しかし、翌日には精鋭騎士付きでアーリーの姿が消えた。
誰かが漏らしたというより、アーリーがイーブリスの情報に異常に敏感だということだ。
「アーリーがそちらに向かった」
スミス宛に通信文を送ると、
「六日目にイーブリス様の部屋で待機していて下さい」
と、返事が来た。
公爵は六日目の午後、執事長と共に本邸のイーブリスの部屋で待機する。
夕方、部屋に魔力反応が現れた。
「ほう、こういう風に現れるのだな」
公爵は部屋の隅に出現した黒い扉をまじまじと眺めた。
執事長と二人でその扉の前に立つと、ゆっくりと開き、驚いた顔のイーブリスとアーリーがいた。
スミスがいやらしそうな顔で笑っていたのは見なかったことにする。
話し合いの結果、イーブリスは離籍の話を撤回した。
アーリーもすぐに王都に戻ると約束したが、
「僕もこれ、通ってみたい」
と言い出した。
護衛たちもいるので、勝手に扉で戻る訳にはいかない。
試しに扉の出入りを繰り返し、身体に影響はないと分かると、翌朝には馬で王都に戻ることに納得した。
「いや、それはあまりにも護衛たちがかわいそうです」
休養も必要だとイーブリスが主張し、アーリーと護衛たちは二、三日、南の歓楽街で休んだ後、王都への帰路についた。
後日、護衛たちから歓楽街の話を聞いた本邸の者たちからは辺境地への移動希望が殺到したとか。