129・師匠
馬車がキルス国の神殿に近付く。
僕はスミスさんにフードのついた大きめのローブを着せられた。
他の者たちから見えるのは口元と指先だけだ。
スミスさんも同じものを着ているが、あっちはちゃんと体型に合っている。
巫女に付き添う従者二人組という感じか。
「巫女殿、僕をあなたの弟子だと紹介してくれ」
背丈から見れば大人ではないのは分かるだろう。
神殿の地下は普通は入れない。
巫女の関係者、つまり神職でなくてはならないのだ。
「分かりました」
酷い顔色をしていた巫女殿も昨晩はちゃんと眠れたようで、少し顔色がまともになってきたな。
僕は馬車の揺れに身を任せながら今回のことを考える。
何故、瘴気が溢れた森に魔獣がいなかったのか。
おそらくだが、最初は瘴気を目当てに近寄ってきた魔獣たちも、あまりの瘴気の濃さに逃げ出したのだろう。
あのまま森にいたら魔物の出現に巻き込まれるからな。
そんなことを考えていたら、神殿に到着した。
神官に案内され、神殿の中を早足で歩く。
僕の身体はまだ瘴気不足なので神殿には近寄りたくなかったが仕方がない。
あの混沌の闇はヤバかった。
きっとあれだけでは済まない。
この国の大元、神殿の底をなんとかしなくちゃ、また混沌が生まれてしまう。
しかも、今、僕の前を歩いている巫女に魔力を感じない。
どうやら僕の雷光は魔物や瘴気だけでなく、人間の中に居た悪魔までぶっ飛ばしてしまったようなんだ。
だから今、彼女はただの『赤毛の少女』でしかない。
取り憑いていた悪魔が抜けても生きているなら、彼女はこれから普通に歳を重ねていけるのだろうか。
あの古の悪魔はどこに行ってしまったのかな。
ただの人間の巫女に、精霊の声を聞くことは出来るんだろうか。
「階段です、ご注意下さい」
スミスさんが後ろから声を掛けて来た。
僕は黙って頷き、階段を下りる。
長い長い下り階段。
時折り、瓦礫を抱えた一団とすれ違う。
まだ修繕工事をしているようだ。
カツンと床に着く。
「巫女殿!」
キルス陛下の心配そうな声がする。
僕はなるべく顔を上げず、陛下を見ないようにしていた。
「そちらは?」
側近の青年の声がする。
彼もまた悪魔の影響が無くても生きている。
僕はなんとなくホッとして、少し息を吐く。
「わ、私の、で、し、しし、師匠です!」
なんでそこで引っ掛かる。
古の悪魔がいなくなって、巫女は本当にただの少女になったな。
まあいい。 これから何をするにしても弟子だと巫女に迷惑がが掛かるが、師匠ならこっちに責任がくるだろう。
何かあったら、すまん。
僕とスミスさんはキルス陛下の前で深々と礼を取る。
「放浪の旅をしておられた師匠が私を訪ねていらしたのです。
神殿の話をしたら是非、見学したいと」
うん、その設定はちゃんと覚えていたようだ。
僕とスミスさんはなるべく声を出さない。
顔も見せない。
バレると国同士の問題になりかねないのでお祖父様に叱られる。
黙って静かに僕たちを見ていたキルス陛下は、
「分かった。 巫女殿の師匠なら自由に見ていただいて構わない」
と、頷いた。
「ありがとうございます、陛下」
巫女の言葉に合わせ、僕たちも真似をして感謝の礼を取る。
側近の青年が僕たちの前を歩き、奥へと案内した。
階段を下りた時点から誰でもその異様さに気付く。
吹き抜けになった天井から降り注ぐ光の中に、人の頭程度の異様な黒い塊がほんの少しだけ浮いていた。
その場所には誰も近付けないよう、兵士が何人も立っている。
「人払いを」
小さく巫女殿に頼む。
すぐに巫女殿は陛下に伝えるが、首を横に振られた。
勝手にしろ。 死人が出ても僕たちには関係ない。
兵士が動かないので、巫女が僕を塊の傍へ連れてってくれる。
ああ、これは僕が生まれる前の混沌の闇に近い。
ならば精霊もどこかにいるな。
「これより先、何があっても保障しかねる。
今から起きることを死ぬまで決して口外しない者だけ残れ。
己の命が大事な者は、すぐに立ち去ったほうが良いぞ」
おー、スミスさんが何だか大袈裟な口上を述べている。
確かに邪魔されたら、僕が殺しかねないけど。
「巫女殿も離れてくれ」
魔力のない、ただの少女には危険だ。
キルス陛下に彼女を連れて離れてもらう。
僕は塊の前に片膝をついて座り込む。
僕の後ろにスミスさんが立って、他の者たちからの視線を遮った。
コンコンと二回床を軽く叩く。
何故か、目の前の塊からニュルンと触手が伸びて来た。
「お前は何してるの、こんなとこで」
闇の精霊は、僕の雷に驚いて逃げて来たらしい。
そういえばここは精霊たちが元居た場所だったな。
「そうか。 驚かせてすまなかった」
微笑んでやると、闇の精霊も落ち着いたようだ。
「ねえ、僕をその中に入れてくれない?」
頷く気配がして、闇が足元に広がる。
キルスの者たちはギョッとして後ろに下り、スミスさんは僕を追って闇に飛び込んだ。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
何かいる。
ブツブツと声がする。
「お前は、異世界から来た霊か」
黒い、人の頭だけのモノがギョロリと目を動かす。
「ぐがが」
口が無いので言葉にはならず、ただ音がする。
闇の精霊が何を思ったのか、突然、それをクルンと包み込んだ。
【あの時の生意気な子供か!。 何しに来た】
驚いた。 精霊が通訳してくれてる。
「お前こそ、まだ存在しているとは思わなかったよ。
ちょうどいい、聞きたいことがある」
スミスさんも僕の隣りにしゃがみ込んで、興味深そうにそれを見ていた。
「お前の世界では、忠誠だの好感だのを数字で表しているのか?。
それがいっぱいになると、どうなるんだ?」
意識しないと見ることは出来ないが、僕のシェイプシフターの能力の中にその数字がある。
訳が分からないモノは好きじゃない。
他のことで忙しいから忘れていたけど。
「ががが」
【あー、ゲームの世界なのかあ。 経験値がたまると進化して強くなるんだよ。
他人と関わって好感度が上がると忠誠度に代わって、それが最大になると家来が増えてって、王様にでも悪の親玉でも、何にでも成れる】
なるほど、自分に従う相手の信頼を数字で表す文化があるのか。
「そんなもの要らないがな」
「がっ、ぐわ」
【ばかやろ!。
それを目安にして誰と付き合うか選んで、王になって国を手に入れて、いずれは神にだってなれるかも知れないんだぞ】
「煩い」
数字が見えただけで何が分かる。
集まる者の思想や種族によって、担ぎ上げられるこっちの立場が決まるなら、魔獣なら獣王、人間なら国王で、悪魔なら魔王ってことか。
信頼を得る相手によって変わるから、媚を売る相手を変えろっていうんだろ。
そんなもので未来が決まるなんて冗談じゃない。
僕は闇の精霊ごと、その頭を踏み潰した。
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しかし、闇の精霊が通訳してくれるなんて知らなかったな。
僕はスミスさんを連れて、一旦闇から出る。
「イーブリスさま!」
こらっ、名前を呼ぶんじゃない、ダメ巫女。
シッと指を口元に当て、まだ近寄るなと片手で合図する。
改めて混沌の闇に向き合う。
塊から離れ、僕の側に戻っていた闇の精霊に頼んでみた。
「あれを飲み込んでよ」
ニュルンと伸びた闇の触手がブワリと広がって、パクリと塊を飲み込む。
大成功。 僕は笑いを堪えるのに必死だった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
巫女は必死に人払いを頼んだ。
しかし、キルス王は二人を怪しみ首を横に振る。
だけどイーブリスは魔物なので何が起きるか分からない。
闇の中に二人の姿が消えた。
息を呑んでいる間に、一瞬でまた闇から戻って来る。
「イーブリスさま!」
まだ来るなと合図され、巫女たちは足を止めた。
そして、さらに信じられない光景を見る。
ローブの少年の指示で、暗い影から伸びた闇が塊を飲み込んでしまったのだ。