128・予感
丸一日が経つと帯電していた身体は落ち着き、もうピリピリとはしなくなった。
イーブリスは名を呼ばれるとたまに目を開ける。
その僅かの間に、スミスは医者から預かった薬をイーブリスに無理やり飲ませ、着替えさせる。
「何か食べますか?」
ぼんやりとしていて声を発しない。
それでもスミスは話し掛け続ける。
「イーブリス様のお好きなコーンのスープですよ」
目を閉じてしまうと、もう目を開かなくなる気がして、スミスは必死に訴え続けていた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
僕が目を覚ましたのは誰かが名前を呼んでいたからだ。
身体が痺れて声も出せず、スミスさんやローズが僕に触れては慌てて手を放すのがぼんやりと見える。
ああ、僕はまた迷惑かけてるなあ。
そんなことを思いながら瞼が重くて目を閉じた。
呼ばれては目を開け、ぼんやりとした視界の中のスミスさんとローズと、時々巫女を見る。
ビリビリしなくなると着替えさせられ、何か薬を口に入れられた。
飲み込めないでいたら、無理矢理、口移しで流し込まれた。
甘いとか苦いとか味は分からなかったけど、不快だった。
おそらくまだ感覚が戻っていないのだろう。
視界はぼんやりとしていているが、知ってる顔なら何となくわかる。
味や匂いも微かでよく分からない。
触られている感触や音は遠くに感じる。
ここはどこなんだろう。
見慣れない感じだ。
僕は考えることは出来るけど、まるで自分自身を違う自分が見ているような気分だった。
何日、そうしていたのだろう。
少しづつ目が開いている時間が長くなっている気がする。
シェイプシフターである僕は、傷や病気も擬態した身体の生体情報がある限りすぐに復活するんだけど、今は何もしようという気力がない。
ただぼんやりと空を見つめ、されるがままになっていた。
「ひゃああ」
わあわあと廊下から何人かが駆け込んで来た。
そして、最後に白いダイヤーウルフが飛び込んで来る。
【とーさまあああ!】
リルーだった。
拙い!。
浄化だけは勘弁してくれ!。
オンオンと泣きながら治癒を発動するリルー。
気力が戻ったと感じた僕は、すぐに自分の状態を元に戻す。
リルーに浄化される前に。
「ふう、リルー、もういいよ」
【と-さま!】
「イーブリス様?!」
急にわっと声が耳に聞こえ始めて、頭がクラクラする。
「うえっ、ちょっと静かに」
大声やめて。
身体を少し起こしてもらい、キョロキョロと周りを見回す。
やっぱり見覚えが無い場所だ。
「キルス王の東の館ですよ」
スミスさんが教えてくれる。
「なるほどね」と頷いていたら、巫女とリルーがベッドの上に乗った。
「もう大丈夫なのかっ?」
「ああ、もう大丈夫ですよ、巫女殿」
【とーさま、とーさま、リルーと帰りましょ】
「リルー、ありがとう。 でもまだ帰れないと思うよ」
シュンとしたリルーを撫でる。
「ローズもありがとな」
ずっと見えていたと微笑むと、ローズは少し恥ずかしそうにオンと鳴いた。
スミスさんが何度目かのコーンスープを作って持って来たので、美味しくいただく。
「うん、美味い」
味覚が戻って良かった。
僕はベッドの上で少し腕や肩を動かす。
空は夕方になりかけていた。
「ローズ、頼みがある」
どうやら勝手に群れを離れて来てしまったリルーを領地に連れ帰って欲しい。
「僕はこれから神殿に行って仕上げをしなきゃいけない」
【リルーも行く!。 きっと浄化も使える!】
それが困るんだよ。
「いや、もうお父さん出来るから」
【えーーーーーーーーー】
そんなに驚かないで。
「イーブリス様?」
スミスさんが首を傾げた。
いや、本当にやる訳じゃないけど、雷撃は出来たからな。
「助けていただき、ありがとうございます」
巫女殿が床に膝をついて礼を取ると、周りにいた数人が同じように膝をついた。
え?、恐いんだが。
「村を襲っていた魔物も、この土地を覆っていた瘴気も、全てイーブリス様が祓ってくださった」
それは、うーん、そうなるのかな。
あんまり自覚はないんだけど。
「感情で動いてしまったから、被害が出ていたら済まない」
もしかしたら落雷の被害で火事とか壊れたものがあるかも知れないと気付いた。
「いえ、全て些細なことです。 皆、無事でしたので、すぐに復興出来るでしょう」
それならいいか。
「恐れながら、一つだけお願いがございます」
巫女が顔を上げて真剣な顔で僕を見る。
「分かってる、神殿へ行けばいいんだろ」
巫女の願いは一つしかない。
僕は大きく息を吐き出す。
翌朝、風呂に入れられ、着替えさせられる。
何故かスミスさんに身体の隅々まで調べられた。
「大丈夫だってば」
前回、アーリーの生体情報を貰ったところまで戻っただけだ。
「リルー、母さんを頼む。 ずっと無理してたから戻ったら休ませてやって」
【うん、任せて】
ダイヤーウルフの母娘が森の中へ消えて行くのを見送る。
巫女と一緒に、用意された馬車に僕とスミスさんが乗り込む。
神殿にいるキルス王を手伝うために。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
秋の終わり、国王と巫女が神聖な祝詞を上げている最中に事故は起きた。
その日は収穫を祝う祭りが行なわれており、多くの信者や神官、護衛の兵士たちが神殿に集まっていた。
幸いにも地下に居た者は少なく、主な作業は崩れた壁や散らばった貢ぎ物の後片付けである。
冬の半ばまで作業が遅れたのは巫女の具合が悪くなっためだ。
途中でキルス王は彼女を東の館へ送り届けた。
巫女は何故か、瘴気の森や支配下にある村を見て恐れる。
「もう私に出来ることは祈ることだけです」
そう言って館に引きこもってしまう。
キルス王は巫女を置いて戻るしかなかった。
それでも『赤毛の巫女』のことは気になる。
「大丈夫ですよ、陛下。 東の領地は一番最初に彼女が悪魔として民を取り込んだところです。
村人は彼女の言いなりですから」
「そうだな。 一番安心出来る場所だ」
側近の言葉にキルス王は頷いた。
しかし、その時には巫女自身が精霊の怒りに触れて混乱しており、館の中にいた者たちを全て村へと追い出していた。
そして村では、悪魔との契約者が増えたせいで瘴気が溜まり続けており、混沌の闇が生まれていた。
村からの瘴気の異常な量に気付き、様子を見に行った古の悪魔は慌てた。
「えええ、あれは混沌の闇。 放っておいたら魔物が生まれてしまうわ」
しかも村一つを覆い尽くすほど大きい。
こうなるともう悪魔にも出来ることはない。
せめて、混沌の闇から魔物が発生しないよう抑えるしかなかった。
「わしが魔力を吸い取り、瘴気を散らさねば」
今、この館には彼女を心配し止めようとする者はいない。
それだけが幸いだった。
それでも古の悪魔の身体はまだ十代の少女であり、いつまで持つか分からない。
少女は、神殿の地下から救い出してくれた優しい王を思い出すと腕に力を込めた。
この土地に仕掛けた罠から全力で魔力を吸い上げる。
パリン
誰もいないはずの部屋に人の気配がした。
「誰じゃ」
声は掠れ、力が入らない。
「僕だ。 隣国のシェイプシフターだよ、巫女殿」
少女は驚いて立ち上がりかけたが、思うように身体は動かない。
一番見られたくない相手であり、一番頼りになりそうな者がそこに居た。
古の悪魔は身を伏して請う。
「手を貸してくれ、シェイプシフター。 精霊の器よ」
まだ形を成していない。
今のうちに止めねば、国が滅ぶ。
「報酬はいただくぞ。 ちゃんと考えとけ」
シェイプシフターは銀色のダイヤーウルフに姿を変えた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
神殿のキルス王に東の領地から伝言が届く。
「なにっ、瘴気が跡形もなく消えただと?」
そこは神殿の地下。 兵士たちが黙々と瓦礫を運び出す作業中である。
キルス王は『赤毛の巫女』に何かあったのではないかと心配になった。