126・祝詞
僕は領地に戻って来た。
最近は早朝、領主館に出入りしている馬車で密かに帰って来たことにしている。
「それでも、さすがに四日で戻るのはあり得ないと思いますよ」
王都に馬車で出掛けたのは四日前の午後。
忙しいから戻って来たのだが、早過ぎたらしい。
早朝、自室でスミス夫婦と密談中である。
ジーンがリナマーナにどう説明していいか、困っていた。
「ふむ」
「私だけなら途中で戻って来たことに出来ますが、イーブリス様は社交目的もありますので、王都には到着していないと不味いです」
スミスさんがそんなことを言い出す。
んじゃ、僕だけ居なくても良いんだよな。
「分かった。 ちょっと出掛けてくる」
床に闇の入り口を広げる。
「待って下さい、私も行きますので」
スミスさんはどうしてもついて来るらしい。
そんなに心配しなくてもいいのに。
「大丈夫だよ、最近はちゃんと倒れないように考えてるさ」
「いえ、何をされるか分からないですから」
やっぱ信用ないなあ。
闇を抜けるとダイヤーウルフたちの棲家の洞窟である。
ローズが出迎える。
【どうしたの?】
冬毛のフワフワの尻尾が揺れる。
「ちょっと隣国に顔を出そうと思うんだ」
僕はそう言いながらモフモフを堪能する。
「王宮から許可が出てませんよ」
スミスさんが羨ましそうに見てるけど触らせてやらん。
「うん、そもそも申請出してないしな」
それに巫女な悪魔には放置されている。
「だから魔獣の姿で走ってみようかな、と」
瘴気は流れて来るのに魔獣の姿が無い森は不気味だ。
何か理由があるのなら知りたい。
【では、わしが案内しよう】
隣国の森から来たカシラが、そう言って立ち上がる。
「え。 私を置いて行く気ですか?」
スミスさんが僕を睨む。
「来たいなら勝手に来ればいいさ。
柵の確認してたら魔獣に会ったとか、魔獣に連れ去られたとか、適当に理由をつけろよ」
「あー、なるほど」
それでも怒られるのは確定だけどな。
僕は服を脱ぎ、姿を変える。
美しい銀色の毛並みのダイヤーウルフ。
【シーザーね】
さすがローズだ。
【え?、おれよりデカい】
グルカが周りをグルグル回る。
僕とローズの子供たちは成体になると平均的なダイヤーウルフより少し大きくなった。
フェンリルの血のせいかな。
リルーはローズより少し大きく、グルカはローズより一回りも大きく、シーザーはグルカよりも少し大きい。
【王都で美味いもの食ってるせい?】
グルカが羨ましそうにシーザーの姿になった僕を嗅ぎ、身体を見比べていた。
「毛艶も違いますね」
スミスさんがそんなこと言うのでグルカがシュンとする。
「グルカは野性的という感じで余分な肉が無いからだろう。
シーザーは人間に鍛えられているから肉付きが良い。
それだけだ」
僕にすれば同じ息子だから気にならん。
何故か、ダイヤーウルフの雌たちから熱い視線を浴びているようだ。
さすがシーザー、都会っ子である。
カシラを先頭に国境柵に沿って西に移動した。
狩り場近く、放鳥場が見える辺りの柵は魔獣が出入り出来るよう調整されている。
スミスさんが開けてくれて、僕とカシラ、ローズが隣の領地に入った。
足元にはまだ雪が残っている。
グルカは仲間を呼んで、この辺り一帯にダイヤーウルフが争っていた形跡を作った。
入り乱れて、そのうち追い追われて仕方なく国境を越えたということにする。
こうすればローズたちが隣国に入った理由にはなるだろう。
「グルカ、留守を頼む」
【うん、分かった。 気を付けて】
カシラは次の頭になるようにグルカを教育しているらしい。
随分と落ち着いた。
戦闘服のスミスさんが最後にキルス側に入り、柵を元に戻す。
【こちらです】
ダイヤーウルフ三体と、人間一人は、静かに移動していく。
僕は森を走る間、周りだけでも瘴気を吸収し続ける。
傍にいる仲間に瘴気の影響が出ないように。
瘴気の濃さも異常だが、森自体が暗く、まるで薄い煙が立ち込めているみたいだ。
半日ほど走り続け、そろそろ夕刻に近くなる頃、東の領主館が見えて来た。
カシラが周りの匂いを嗅いでいる。
【瘴気はこの館より、近くの村のほうが強い】
館は村の外れにある。
「村に問題があるということか」
森ではなかった。
しかし館に人の気配が少ない気がする。
「巫女が居るはずなんだが」
僕が首を傾げているとスミスさんが、
「私が様子を見て参りましょう」
と、音もなく動き出す。
【わしは村の様子を見て来る】
カシラがスイッと離れて行った。
僕とローズは草木に紛れて館を窺う。
しばらくしてスミスさんが戻って来る。
「こちらです」
巫女な悪魔を見つけたらしい。
大きな窓に近付き、スミスさんが窓を静かに開いた。
顎で合図され、そこから建物の中に入る。
どうやって開けたのかは訊かないほうが良さそうだ。
館の者に気付かれるかと思ったが、本当に人がいない。
「誰じゃ」
力のない声が聞こえた。
声がしたほうに行くと、床に座り込んだ古の悪魔が居た。
「僕だ。 隣国のシェイプシフターだよ、巫女殿」
赤毛の少女は口元だけを歪めて笑う。
「何があったんだ」
夏に会った時に比べて身体がやせ細っている。
「神殿の底で精霊を呼ぶ儀式を何度か行っておったのじゃが、いらんモノを呼び寄せてしまったようでな」
そう言って巫女な悪魔は、悔しそうに顔を顰めた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
古の悪魔はキルスの神殿に精霊を呼び戻すことばかり考えていた。
あんなに嫌いだったキルス王族のために。
(いえ、私は王族のためじゃなくて、自分と同じ民のために)
悪魔に身体を乗っ取られ死んだはずの『赤毛の少女』が心の奥で揺れている。
古の悪魔は王のために、巫女の少女は民のために。
目的は同じ、精霊を呼び戻すこと。
それならば嫌味なシェイプシフターに頼まずとも儀式を行えば良い。
『赤毛の巫女』は神殿の底に降りた。
精霊を呼ぶのは清浄な自然や大量の魔力を必要とする。
新しく復興された神殿と町は見ているだけでも美しい。
白い城のような神殿の影は濃く、悪魔の棲む都であることを隠す。
巫女である古の悪魔は、操られる民衆など見て見ぬふりをしていた。
「新しい神殿に新しい精霊を」
相手が神では太刀打ち出来ないが、精霊ならば大丈夫。
精霊というのは魔力の塊で、自然との境が曖昧なモノたちだ。
だから自然を引っ張って来れば良い。
神殿の底に土を運び込んで花や木を植え、水を引いて池を作り、遥か上の天井から風と光が通るような仕組みを作る。
そして壁の松明には火が点けられた。
「これで大丈夫。 あとは呼び込むだけじゃ」
ウンウンと頷く赤毛の巫女を、キルス王が心配そうに見守っていた。
「では始めようかの」
姿形は少女でも、言葉遣いだけは古臭い巫女が祝詞を奏上する。
長くキルス神殿に棲んでいたために覚えたのだ。
代々の王族が精霊を称え、感謝の言葉を捧げて、その顕現を祈る。
その言葉をずっとずっと聞いていた。
だから古の悪魔は精霊の言葉を言葉として理解するのだ。
『どうして、あなたは私を呼ぶの?』
最初に言葉を聞いたのは、どの精霊の声だったのだろう。
突然、松明の火が消える。
雨が空から落ち、土が崩れ、光は遮られて、強い風が何もかもを吹き飛ばした。
「危ない!」
キルス王が巫女を庇い、怪我を負いながらもそこから逃げ出す。
「ぎゃあああ」「助けてくれええ」
護衛兵たちの悲鳴と神官たちの助けを求める声が響いた。
なぜ、どうして。
古の悪魔は足元の小さな闇の精霊に問う。
『あなたは私たちを追い出した。 それなのに、どうして私たちを呼ぶの?』
逆に問われて古の悪魔は黙り込む。
そうして気付く。
自分がしたことは、精霊を利用し、好き勝手に国を荒廃させた人間たちと何も変わらない。
あの祝詞は、精霊たちにとっては悪魔の呪いの言葉だったのかも知れないと。