105・巫女
キルス陛下がやって来たのは春になってすぐだった。
国境柵についてはキルス側からも許可が出たため、王宮は許可を出さざるを得なくなり、無事に作業は始まっている。
これだけ公爵家が準備して許可しなかったら、他の辺境地でもさすがに問題になるので認めざるを得なかったということだろう。
他国と国境を接している領地は、ここだけではないんだからな。
さて、キルス陛下とは南の町で会うことになった。
どうしてもお忍びで訪問したいらしい。
国境門にはタモンさんたちに迎えに行ってもらう。
旅芸人に偽装してやって来たのはキルス陛下と側近の青年、僅かな護衛の一行。
南の町の広場で馬車や馬を預かり、お互いに挨拶を交わす。
その一行の中に十歳くらいの『赤毛の少女』がいた。
「あ、あなた誰っ!」
「ん?、私は公爵家の領主代理イーブリスですが」
そっちこそ誰だと僕はキルス陛下に説明を求めた。
「我が国の巫女殿だ」
それを聞いた僕が愉快そうに唇を歪めたのを見て、スミスさんが呆れた顔をする。
こんなに瘴気を抱えた巫女なんているのか。
「ようこそいらっしゃいました、巫女殿」
片膝を付いて正式な礼を取る。
ワナワナと身体を震わせ、巫女殿は僕を睨んでいる。
「こ、こんな所に何故、キサマのような」
おやおや口調がおかしいですよ。
「巫女殿」
僕はぐっと少女に近寄り、言葉を遮る。
「ここでは都合が悪いでしょう?、お互いに」
じっと目を覗き込むように見つめて囁く。
本物かどうかは分からないが、相手は巫女だ。
だから、こっちは瘴気を出さない。
ニコリと笑顔を見せると巫女は後ずさる。
すぐにスミスさんが間に入った。
「申し訳ございません、我が主が大変ご無礼いたしました。
宿をご用意しておりますので、そちらへご案内いたします」
「分かった」
呆気に取られていたキルス陛下一行がようやく動き出す。
巫女殿を抱き寄せ、キルス陛下は僕を睨む。
へえ、そういう関係なんだ。
楽しくなりそうだな。
南の町の中心にある建物の近くに公爵家が利用するための最高級の宿がある。
その一部屋に集まり、会談が始まった。
事前に呼んでおいたリナマーナと父親のブリュッスン男爵。
そして兄のマールオが同席している。
ふふふ、男爵が、キルス陛下に対しても僕に対しても恐れ慄いた顔をしてるのが面白い。
スミスさんが僕にずっと「顔を引き締めろ」と合図を送ってくる。
ごめんごめん、でも自然に顔が緩むんだよ。
不機嫌な巫女殿を見てるとね。
よく訓練された女性給仕がお茶とお菓子を運んで来て準備が整う。
「今夜は歓迎の宴を催す予定です」
僕がそう言うと陛下はジロリと睨みながら、
「必要ない。 我々は『赤毛の令嬢』を保護したら、すぐ国に戻る。
ブリュッスン男爵殿、それで良いな」
と、言い出した。
あれえ?、予定では二日ほど滞在すると聞いていたんだが。
「あ、はいっ、勿論でござ」
「申し訳ございませんが、お断りさせていただきます!」
父親の言葉に、マールオが強い口調で被せる。
十八歳になったマールオは既に男爵家の後継と決まっているし、体格も父親より大きい。
キルス陛下は驚く。
まさか断られると思っていなかったようだ。
「あなた方が父とどういう契約を結ばれたかは存じませんが、私たち家族はリナマーナを見知らぬ国に渡す気はございません」
いくらお忍びとはいえ相手は他国の王族だ。
マールオにすれば敵だろうが、今のは問題発言じゃないかな。
オロオロする男爵を横目にキルス陛下の側近が一枚の書類を取り出した。
「こちらをご覧下さい。 ブリュッスン男爵と我が王との間で交わした契約書でございます」
無礼なマールオを斬り捨てるかと思ったんだが、理論的に来たか。
目を血走らせるマールオが読み終わり、破こうとするので、僕はスルリと取り上げる。
これ以上感情的になって国同士の争いになったら堪らん。
僕がお祖父様に叱られるんだよ。
「なるほど、そういうことか」
中身をサラッと読んだ僕は、父と兄に挟まれ小さくなっているリナマーナを見た。
確かにブリュッスン男爵がリナマーナを引き渡すと書いてある。
しかし、理由が明確ではない。
「これでは我が国での許可は下りないでしょうね」
マールオはニヤリと笑い、キルス側はムッとした顔になる。
「でも、リナマーナが成人し、婚姻となればまた別です」
今度はマールオがムッとして、リナマーナの顔が赤くなる。
そして、キルス陛下の言葉で混乱が深まる。
「婚姻?、何のことだ。 我々は『赤毛の令嬢』を保護するだけだが」
そうなのだ。
契約書には引き渡しすると書かれているが、婚姻という言葉は一切見当たらない。
「は、しかし、年頃の娘を引き渡せば、娘は王族と同じ生活をすることになると仰いましたよね」
ふむ、そこにも婚姻の話はないように思うけど。
「言った」「言わない」の論争は無意味だ。
僕はキルス陛下に訊ねる。
「陛下はリナマーナ嬢を保護されるそうですが、具体的にはどのように扱われるのでしょう」
「見れば分かるであろう、巫女殿の美しい『赤毛』を。
我々は迫害されている『赤毛』の子供を引き取り、神殿で保護し、巫女殿と一緒に育てるのだ」
ほら、そこが分からないんだ。
「迫害されている、とは?」
僕は首を傾げる。
「我が国では以前、『赤毛』の子供たちを捕らえていた」
キルス陛下が顔を歪める。
古い言い伝えに『赤毛』は悪魔の遣いだとされるものがあり、何の罪もない者が捕らえられ火炙りにされた。
その贖罪のためらしい。
「それに、見知らぬ男に娘を差し出すなど、その男には親としての愛情が無いのではないか」
キルス陛下は娘を哀れだと思い、保護することにしたと言う。
「そ、それは、私どものような下位貴族ではなく、城でお姫様のような暮らしが出来ると思って」
男爵が言い訳を始める。
「うふふふ、あは、あははは」
僕はおかしくて笑いが止まらない。
「イーブリス様?」
マールオが眉を顰めて僕に声を掛ける。
「巫女殿、これ、考えたのあなたですね」
少女が「それがどうした」と肯定した。
「『赤毛』が迫害されたのなんて遠い昔の話でしょ」
巫女が驚いた表情になる。
「それに、貴族の婚姻は家同士の繋がりなので、子供の年齢に関係なく、自分より上の家と結びたがるのは普通ですよ」
それこそ、産まれる前から婚約者が決まっていることもある。
それは迫害ではない。
「今回のすれ違いは、キルス側の情報が色々と穴だらけだったということです」
僕は脚を組み、椅子の背に寄り掛かる。
「勿論、男爵の欲もあったし、リナマーナ嬢が自分のことなのにキチンと把握していなかったのも悪いでしょう」
父親だけでなく、母親にも相談すべきだった。
「し、しかし契約書が」
側近が紙を振りかざす。
「もうよい」
巫女が顔を上げた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
(確かにわしの落ち度じゃ)
巫女と呼ばれた『赤毛の少女』は、目の前の金髪の少年を見た。
「場所を変えないか」
今までにない少女の雰囲気にキルス王も驚く。
「ではこちらに」
領主代理の少年は、少女たちを案内して部屋を出る。
少年の執事らしい青年と、キルス王と側近の青年がついて来た。
他の者はそのまま部屋で待機だ。
階段を下り、地下に向かう。
「地下には食糧などの備蓄庫、それと地下牢があります」
公爵家の執事が説明した。
突き当たりの部屋の扉を開け、中に入るが真っ暗である。
執事が扉を閉めるとボッと松明に明かりが点く。
祭壇に紋章が飾られていた。
「そうか、キサマはシェイプシフターか」
少女の声に少年がクルリと振り返る。
「アンタは誰だ」
少年の問いかけに少女らしくない声が返る。
「わしは、ただの古の悪魔じゃ。 吸血鬼と呼ばれておったこともあるが、キサマの言うとおり昔の話じゃ」
悪魔と魔物が睨み合った。