122・新人
僕が案内された部屋は、この宿で一番良い部屋だった。
「この部屋、気に入ったわ」
ハニーさんが妖艶な笑みを浮かべ、高級な椅子に座っている。
この部屋は、窓から町の大通りや中央広場が見えた。
一階にある正面玄関の真上なのだ。
「気に入ってもらえて良かった」
僕はハニーさんの向かい側のソファに座る。
宿の従業員がお茶を運んで来た。
「あら、この部屋は坊ちゃんのお気に入りではないのかしら。
ここは公爵家の御用達なのでしょう?」
僕のお気に入りのようだから、この部屋にしたって聞こえるけど。
「いや。 僕のお気に入りの部屋はここではないよ」
ここは話し合いや上客をもてなす用の部屋だ。 僕専用は別にある。
「そんなことより商談に入ろう」
嫌味や嫌がらせがしたいなら、他でやってくれ。
僕はスミスさんに合図をする。
「これは僕が公爵家に入ったときから専属執事をしているスミスだ」
スミスさんは丁寧に礼を取る。
「連絡係となります、お見知り置きを」
出会った最初の頃の胡散臭い、笑っていない笑顔だ。
この部屋には続き部屋が二つあり、その片方から威圧感が来る。
さっそく、強いかどうか観察してるのだろう。
「ハニー、名簿をくれ。
それと、ここでは領主代理、もしくはイーブリスと呼んで欲しい」
領民の手前「坊ちゃん」は不味い。
下手すると皆、そう呼んできそうで嫌なんだよ。
坊ちゃん呼びされるのは本邸だけでいい。
「ふふふ、分かったわ、イーブリス様。
ではこちらも自己紹介させましょうか」
隣の部屋から女性たちが出て来た。
十代の少女からハニーさんより年上の女性まで、七名。
僕は受け取った名簿を見る。
「残りの二人も紹介して欲しいな」
護衛用の男性がいるはずだ。
「あら、商談なら女の子たちだけでよいでしょう?」
「何を言ってる。 あなたが連れて来た全員を雇うと言っただろ」
僕の言葉に反応して、二人の男性が姿を現す。
気配が全く読めなかったのは、流石としか言えない。
僕は自然と顔が緩むのが分かった。
これは使い甲斐がありそうだ。
「では、交渉しようか」
スミスさんが一人一人に契約書を渡していく。
「内容は全員、ほぼ同じだ。
何もしなくても領地に住むだけで最低金額は支払う。
こちらから仕事の依頼を行う場合にはハニーを通し、その都度、仕事内容の危険度に応じて上乗せになる」
気に入らない場合には拒否しても構わない。
「ハニーから聞いていると思うが、住む場所は好きに決めてもいいし、この宿を使ってもいい。
家が必要なら用意させる。
結婚、子育ては支援するが、恋愛のイザコザは関与しない」
勝手にやってくれ。 後ろから刺されても知らん。
ハニーが契約書を見ながら眉を寄せている。
「ねえ、イーブリス様。 娼婦の仕事の報酬はどうなるの?」
「ん?、それはそちらの商売だろ。 勝手に決めていいよ」
ハニーさんが雇い、管理する仕事になる。
こっちは娼館を提供し、経費と最低限の生活を保証。
元締めであるハニーから売り上げの半分を受け取る。
「そこは勧誘した時に契約したよな」
僕からは、彼らに個人的にこの領地に住んでもらうための契約書になり、個別にお願いすることがある場合、上乗せするという契約内容だ。
働く内容についてはハニーさんと改めて話し合いになる。
それだけだ。
「優秀な事務方がいると聞いた。 がんばって売り上げを伸ばしてくれ」
ニヤリと笑って女性たちの中にいる少女を見る。
育ちが良さそうだから、それなりに計算が得意そうだ。
「もっと金が欲しけりゃ領主館に来い。 仕事を回してやる」
こちらから依頼するだけではなく、そっちからもやりたい事があれば話くらい聞くさ。
「一つ訊きたいんだが」
顔に傷がある男性が僕に声を掛けてきた。
「俺たちの金は公爵家からなのか?」
なるほど、いい質問だ。
「僕は、領主代理として公爵家から年間で予算を預かっている」
その予算の中でやり繰りしているわけだ。
しかし。
「僕が赴任してから始めた事業はいくつかあって、公爵家の支援で行ったものは領地の売り上げになる。
だが、この町は僕が自分の小遣いで造った」
最初はお祖父様に秘密でやってたんだ。
小規模で好きなように弄ってたら、変に大きな利益を産んでしまった。
これじゃ、いつかはバレる。 だから報告した。
「ここの売り上げは僕個人の収入として公爵家に申告しているから、費用も全て僕個人の資産から出る」
僕が好き勝手にするために作った、僕のための町なんだ。
地下牢を充実させるための、ね。
「つまり、ここにいるスミスの雇い主は公爵閣下で、あなた達の雇い主は僕だ。
給金を支払うのは雇い主で、解雇出来るのも雇い主だよ」
ハニーさんとの契約にはお祖父様は一切関係ない。
それもちゃんと報告済みだ。
さて、注意事項を話しておくか。
「契約書にある通り、この領地には魔獣が多い。
中には危険なモノもいるので、夜は町中でも一人で歩くのはお勧めしない」
この町は魔獣の森や狩り場からは離れているので、比較的安全だとは思うが絶対とは言えない。
「それと、魔獣の中には領地で飼育しているものや数量を管理しているもの、そして僕が家族同様に扱っているものがいる。
勝手に判断して傷付けたり、殺したりしたら、あなたたちの命の保証はしない」
男たち二人を睨んだら、ニヤリと笑いやがった。
「最後の一文は、僕が気に入らないやつは全て地下牢行きになるってことだ」
何をどうした、何を言った、なんて証拠は必要ない。
とりあえず、ぶち込む。
「女子供だろうと容赦しない、覚えておけ」
コイツらはこれくらい脅さないとダメだと思う。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
ハニーが王都の娼館から連れ出したのは、どちらかといえばおとなしい娘たちと、見かけは恐ろしいがホンネは優しい者たちだ。
都会は、教会に限らず、権威や金で何でも動く。
それに反抗すれば仕事を干され、最悪の場合は死が待っている。
公爵家の保護下に入った後も変わらなかったのは、娼館の古い体質なのだろう。
客を選べる高級な娼婦でも、大金や相手の地位で無理が通るのだ。
無理矢理、王宮に連れ去られた娼婦がいた。
当時の娼館経営者も、後ろ盾だった貴族も守ってはくれなかった。
幼い娘を残し、結局、殺されてしまう。
ハニーは娘だけでも助けたかった。
「姐さん」
娼館の警備に雇われていた傭兵の一人だった男は、娘を探しに来た王宮の騎士に殺されかけた。
顔の額から頬にかけて深い傷が残っている。
「大丈夫。 今度こそ守ってみせる」
娼婦より美しいといわれる女剣士は、王宮で要人女性を警護する騎士だった。
使用人の警護だといわれて出会った女性は、無理矢理、娼館から連れて来られた、側妃である。
その女性が処刑されたと聞き、王宮を辞した。
ハニーは最近、引き取った少女がいる。
教会から娼館が買い取った少女だ。
「ここで働くように言われました」
どこかの没落貴族の令嬢だったらしく、礼儀も言葉遣いもきちんとしている。
「高い金を払って買ったんだ。 ちゃんと教育しておくれ」
娼館の遣り手の老婆から預かったハニーは、その少女に助けられなかった娘の面影が重なる。
辺境地に行くことが決まった時に、自分が溜めてきた金で彼女を買って自由にした。
「アンタは頭が良いから裏方で働けるようにしておいたよ」
珍しい薄い赤の髪色を一般的な茶色に染めさせ、
「いざとなったら逃げるんだよ」
と、言い聞かせたのである。
出発の朝、いつの間にか少女は小さな鞄一つ抱え、ハニーの馬車に乗っていた。
「爺さん、アンタだね」
「さあー?、なんのことじゃ」
王都の闇には様々な者がいる。
その爺さんは、ハニーがこの国に来るずっと前から闇の中で生きてきたらしい。
「楽しそうじゃからな」
それだけで少女と一緒に馬車に乗り込んでいた。