121・引越
冬が始まる前に、王都へ向かった一行が戻って来た。
責任者は勿論、ソルキート隊長である。
領主館の玄関で出迎える。
「ご苦労。 で、客はどうした?」
何故か領兵だけが領主館に戻って来た。
「それが。 南の歓楽街を通りかかったら、そのまま全員降りて行ってしまいまして」
ソルキート隊長は「領主代理に挨拶しないと」と言ったのだが、誰一人戻って来なかった。
「あははは」
裏家業の人間らしいな、と僕は思う。
護衛についていた兵士たちは申し訳なさそうにしているが、問題ないと労う。
「お前たちのせいじゃない、気にするな」
そういう者たちなのだ。
ソルキート隊長には往復の報告書と、新しい住民の名簿を頼んでいた。
馬車一台と荷馬車が二台、老若男女合わせて十一名だったそうだ。
「名簿は、その、ハニーさんがご自分でイーブリス様にお渡しすると」
「取りに来いってことか」
僕は分かったと頷く。
荷馬車は本邸からの指示で、そのまま彼らに使ってもらうため引き渡したそうだ。
しばらくは住む所も決まらないだろうしね。
「久しぶりの王都は楽しかった?」
と訊くと、隊長は目を逸らした。
「本邸に滞在させていただきましたが、かなり羨ましがられまして」
魔石や美味しいと評判の魔獣が獲れる。
温泉施設に歓楽街。 新鮮な農産物が採れる農地もある。
「しかも今回の任務ですからね」
高級娼館から領地への移動の護衛。
中身を知らなければ羨ましい仕事には違いない。
「独身なら移動したいとか、騎士になれるなら魔獣と戦いたいとか。
あいつら、辺境地の苦労も知らないで」
ウンウンと愚痴を聞きながら兵舎の食堂で休憩を取らせる。
「あ、アーリー様からお土産を預かっております」
うん、それが出てくるのを待ってたんだ。
何やら色々と入っている鞄を受け取り、スミスさんに渡して運んでもらう。
「明日は休養してくれ」
王都往復の護衛任務から戻った者は明日は休みだと伝えた。
執務室に戻って鞄の中身を確認する。
仕事の書類なら通信文書で届く。
これはアーリーから僕への個人用だ。
「何ですかー?」
一歳になったジュードを抱きかかえたリナマーナが顔を突っ込んできた。
そして中身を見て叫ぶ。
「きゃっー!、イヤらしい!」
「じゃあ見るなよ」
女性の淫らな姿を集めた画集である。
「な、何で、そんなものを取り寄せたんですかっ!」
僕はため息を吐く。
「こんなの普通だって。
見たことがない男なんていないよ」
王都と違って田舎は娯楽が足りないのだ。
歓楽街が繁盛するのはいいけど、領民がカモになるのは困る。
「今回やって来たのは王都の高級娼館で働いていた手練れたちだ。
田舎者丸出しじゃ相手にしてもらえないよ」
というわけで、これは僕が一通り確認後、若者たちに貸し出す予定である。
女性に慣れていないウブな奴が多過ぎるのだ。
だから娼婦の護衛ごときで騒動になる。
呆れたよ。
「なかなか趣味が良いですね」
スミスさんと二人で画集の中身を確認する。
不機嫌になったリナマーナは、リルーを連れてジュードの散歩に出て行った。
「よし、行ったな」
「はい」
画集は目眩しで本題はこの後にある。
「国内で確認された悪魔、魔物の報告書の写し。
よく持ち出せましたね」
「ふんっ、アーリーもやる時はやる男さ」
僕はアーリーを誇らしく思う。
これは王宮図書館にしか保存されていない。
「文字が乱れていますね。 何人かで交代で書き写したのかも知れません」
「持ち出し出来ないから、覚えて家に戻ってから書き起こしたのかもな」
どっちにしろ、苦労させてしまった。
今度、本邸に行く時、こっそり魔獣肉の希少部位でも差し入れに持って行ってやろう。
干し肉もそろそろ食べ頃になっているはずだ。
食べ盛りの少年たちには好評な品である。
夕食後、馬車を出してスミスさんと二人で南の町に向かう。
町の中心にある公爵家御用達の宿に入った。
「いらっしゃいませ、イーブリス様。 お客様がお待ちでございます」
「分かった」
接客の熟練者に鍛えられたのは温泉施設だけではない。
この町の高級店もお願いした。
以前とは規模が違う。
僕だけでは管理出来なくなってきていた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
ハニーとその一味は王都を出る。
馬車一台に三名、荷馬車二台に御者を含めて四名ずつで八名。
ハニーと共に馬車に乗った老人が、護衛たちをこっそり眺めていた。
「騎士様の護衛とは恐れ入る」
元暗殺者の爺様がわざと腰を曲げ、痩せた顔でニヤニヤと笑う。
馬車には他に十代の女の子もいた。
「お前はついて来なくてよかったのに」
ハニーの言葉に少女は首を横に振る。
「いいえ。 どうせ、あの街にいても仕方ないですから」
座る姿勢にも育ちの良さが窺えた。
十年ほど前から公爵家が後ろ盾となって営業していた高級娼館。
以前は、王都の中心にある歓楽街の中でも、密かに王族や高位貴族も出入りする店として繁盛していた。
しかし『魅了』持ちの娼婦がいると噂が立ち、状況は一変。
廃業するしかないところまで追い詰められてしまう。
それを公爵家が助け、経営を立て直すため場所を移して営業を始めたのが、現在の隠れ家のような娼館である。
王都からの馬車は辺境地の入り口に到着した。
「へえ、ここが公爵領か」
荷馬車の御者をしていた顔に傷がある優男が降りて来た。
「田舎の割にはしっかりしてるわね」
もう一つの荷馬車の御者は革鎧に身を包んだ女性兵士だった。
幌を被った荷台から、それぞれ三名ずつ女性が顔を覗かせている。
今は領境の案内所で停められ、護衛任務の兵士たちが警備兵と話をしていた。
普通なら、ここで滞在目的と宿泊先を訊ねられるそうだ。
今回は領主代理からの依頼なので問題は無いはずである。
王都からここまで出会った、鼻の下を伸ばした警備兵たちより、ここの兵士たちは田舎者らしく素朴で愛想は良い。
しかも怪我人や病人がいないかまで心配し、必要であれば、宿の紹介と医者の手配もしてくれるそうだ。
馬車から降りて見ていた老人が合図を送り、王都からの一行は再び動き出す。
「領主館?、そんなもん後でよいわ。 わしらが住む町へ連れて行け」
馬車の御者をしていた領兵は困って、隊長のソルキートの顔を見る。
「爺さん、すまんが領主代理に到着の挨拶せねばならん」
「ふん、貴族らしいな。 では、町中を通るのは構わんだろう?」
「はあ、まあ」
ソルキート隊長は仕方なく御者に命じて南の歓楽街へと向かった。
領内の主な道からは外れている小道に入って行く。
急に視界が開けた。
「ほおー、こりゃあいい」
新しい町並みに、新しい建物が並ぶ。
町の中心には円形の屋根と柱だけの建物。
その近くに一際大きな高級な宿があった。
「あれが今日の宿じゃな」
公爵家御用達の宿である。
「そのようです」
爺様が手を振り、宿の前で荷馬車が停まった。
「行くぞ、チビ」
「はい」
走っている馬車の扉をいきなり開けて、少女を抱えた老人が飛び降りる。
「へ?」
驚いた御者が馬車を停めると、しらっとハニーが降りた。
「ここまで、どうもありがとう、皆さん」
そう言って彼女たちは宿に入って行く。
先頭を走っていたソルキートが慌てて戻って来たときには、外には王都からの一行は誰もいなかった。
「頼む!、領主館に顔だけ出してくれ」
宿の前で大声で頼むが窓から顔を出したハニーは笑顔で拒否した。
十日間の間に一行と護衛たちは少しは仲良くなっていた。
いや、そう思っていたのは領兵たちだけで、向こうはそう思っていなかったのかも知れない。
「坊ちゃんに伝えてちょうだい。 欲しかったら取りにいらっしゃいって」
ソルキートはハニーに、一緒に来た者たちの名前や素性を書いた名簿を頼んでいたのだ。
「やはり、向こうのほうが一枚上手ですね」
酒に酔わない兵士が笑っていた。