119・旅人
僕は仕事を中断せざるを得なかった。
応接用のソファに移動する。
スミスさんがお茶をテーブルに置く。
今日、赤子はリルーと一緒に事務室にいる。
嫌な予感がして早めに移動させておいて良かった。
アーキスが押し掛けて来るだろうとは思っていたからな。
もっとややこしいのが来るとは思わなかったが。
リナマーナはスミスさんの指示で今朝方旅立った領兵の名簿を作成中だ。
気になるのか、キルス陛下がリナマーナをチラチラ見てるけど、あれは真っ当な仕事であって虐めではありませんからね。
「それで御用はなんでしょうか」
僕は唯一、王族相手だけは苦手だ。
公爵家にとって王族だけは格上だからな。
「ふむ、忙しいようじゃな」
巫女な悪魔はそう言いながら、のんびりとお茶を飲む。
僕は何故かコイツを見てると無性に腹が立つ。
わざとイラつかせようとしているのかな。
「キサマに頼みがあるのじゃ。 どうしても一度、キルスの神殿に来てもらいたい」
「断る。 話がそれだけなら帰れ」
空気がピリッとするほど緊張感が高まる。
「何故、そこまで拒否するのじゃ。 神殿といっても神がおわすわけではないぞ」
僕はテーブルにお茶のカップを置き、悪魔を睨む。
「アンタが気に入らない。 顔を見ただけでイラッとする。
理由はそれで十分だろう」
可能なら地下牢にぶち込みたい。
相手は悪魔だ。 無駄だからやらないが。
「そうか、わしが嫌いか。 ではキルス王と二人だけなら良いか?」
はあ?。
キルス陛下も驚いて戸惑っている。
「なんの話をすればよいのだ?」
「そうじゃな、母親と生き別れた話がよい。 薔薇が好きだった美しい母親の話をな」
ビクッと僕の身体が揺れる。
お祖父様から聞いたアーリーの母親の、その母親の話。
王宮に囚われ、さらに『魅了』を使ったとして処刑された女性。
彼女も薔薇が好きだったという。
「『魅了』持ちの悪魔か……」
「そうじゃ。 あの女性も不幸な境遇と高い魔力がなければ悪魔なんぞにはならなかったはずじゃ」
『キルスの落とし子』はキルス王族の血を引いている。
精霊に愛された者の末裔であるため、美しい容姿と高い魔力を持つ者が多い。
「薔薇は彼女に取り憑いた悪魔が好きだった花でな。
薔薇さえ与えておけば人間には危害を加えない、おとなしい悪魔だったのじゃが」
なるほど、それで薔薇園に埋葬されたのか。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
キルス王は幼い頃、こちらの国に住んでいたそうだ。
ちゃんと両親がいて可愛がられて育った。
しかし、何故か旅芸人の一座に紛れて逃亡生活が始まる。
娼婦だった母を父が連れ出した駆け落ち婚だったため手配されていたらしいと聞いたが、本人たちに確認はしていないらしい。
「旅の途中で盗賊に遭い、逃げたが離れ離れになってしまったのだ」
父親と息子はなんとか逃げられたが、母親は行方不明。
「おそらくじゃが、母親が悪魔の力を使って他の者たちを逃したのだろう」
盗賊たちが後を追わないよう、抑えるために残ったのだ。
それがキルスとの国境近くだったそうだ。
「父は、母がキルスの王族出身だと知っていた。
だからキルスまで逃げ延びればなんとかなると思っていたようだ」
その頃、キルスでは王族の数が減って困っていた。
父子は運良く東の領主館にいたキルスの王族に拾われ、そこで生活することになる。
父親は亡くなった後、青年になっていた息子は東の領主の養子となり、正式な王族となった。
そして、いつの間にか自分が歳を取らなくなっていることに気付いたのである。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「私は、あれからずっと母親を探している」
自分と同じように歳を取らずに生き延びていると信じて。
「他国の辺境地の歓楽街に、拐われ、売られた女子供がいるという噂を聞き、危険を承知で探しに来たのだ」
そこで『赤毛』の子供の話を聞く。
「私を救ってくれた巫女殿と同じ『赤毛』の子と聞いて、助けなければと思った」
『赤毛』の巫女は友人を欲しがっていたから、と呟く。
どうもそっちのほうが本音っぽいな。
「へえ」
話を聞いても、僕から出てくる感想はそれくらいだ。
「えっ、イーブリス様はなんとも思わないの?」
盗み聞きしてたリナマーナがハンカチで目元を押さえて言う。
はあ?、どこに感動する場面があったんだ。
「世間知らずなリナマーナ。 その程度の不幸話なら、どこにでも転がってるぞ」
王都の裏通りでも、南の小島でも。
「そうだな、イーブリス殿の言う通りだ」
キルス陛下が頷く。
僕は「不幸な子供を引き取って神殿で育てたい」というキルス側の申し出を受け、あれから情報を集めては送っている。
主にカートさんが王都で大量に資料を集め、通信箱を使ってこちらに寄越す。
僕はそれをデラートス雑貨店に依頼し、商品に隠してキルスへ送っていた。
「私も正直、妹がいるとは思わなかった」
ほお、ちゃんと報告書に目は通しているようだ。
「本人かどうかは分かりませんよ」
同じような身の上だったから引き取ったのか。
それとも売られた後に出来た子供なのか。
「なるほどな。 『赤毛』でも『キルスの落とし子』でもなく、そういう子供はいると」
僕は頷く。
「分かった。 まずは教会と切り離さねばならんな」
そんな話をキルス陛下と詰めていく。
だがしかし。
「アンタの用事って、この話ではないんだよな?。
なんで僕が神殿に行かなきゃならないのか説明しろ」
悪魔が「待ってた」というようにニヤリと笑った。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
人間が瘴気に晒され悪意を溜め込むと『悪魔』になる。
それには性格や環境が大きく影響した。
元はただの『赤毛』の少女は、キルスの王族に対する恨みの炎の中で悪魔と化した。
『古の悪魔』と自称しているのは、彼女が影響された怨念がキルス国の地下に古くから溜まりに溜まっていた瘴気だったからだ。
長い神聖王国の歴史。
それは煌びやかで清らかな表と、欲に目が眩んだ人間たちの醜い裏、両面の歴史である。
古の悪魔は、ぼんやりと神殿の底に佇む。
ここは自分が生まれた場所。
憧れと、絶望が渦巻き、何の罪もない精霊を自分が追い出してしまった。
「精霊は悪くない。 利用していた人間が全て悪いのに」
しかし、もう遅い。
精霊の姿はどこにもないのだ。
申し訳なくて、この神殿に住むことは拒否していた。
『巫女』などと言われながら、何一つそれらしいことはしていない。
『悪魔』として国王を騙し、人々を操って、上辺だけの平和を築いている。
「巫女殿!。 良かった、ここにいたのか」
濃い灰色の髪と澄んだ黒い目をした美しい青年。
「キルス王」
哀れな青年。
元々キルス王族の血を引き、この国に戻ったことで精霊の加護が現れた。
それを古の悪魔である『赤毛の巫女』のお蔭だと敬ってくれる。
王の血筋だったからだと、何度も説明したのだが。
「『悪魔』であろうと構わない。 貴女は我々を救ってくれたのだから」
この熱い目をする若い王族に精霊も魅了されたのではないか、そう思った。
神殿が復活した、今。
古の悪魔は再び悲劇が起こることを恐れていた。
精霊を呼び戻す儀式も行ったが、僅かに気配が漂うだけで戻りはしない。
「巫女殿、無理はしないでくれ。
キルスの歴史から思えば精霊ではなく、悪魔の加護でも構わないと思わないか?」
王は優しく微笑む。
「わしは『巫女』だからな。 それなりのことはする」
精霊に愛される王には美しい国が似合う。
決して『悪魔』が支配する国ではなく。
そのためには、少しでも多くの精霊に戻って来てもらいたい。
「精霊。 どこかにおったな」
ごく最近、見た覚えがある。
「ああ」
隣国の辺境地の領主代理の少年、いや、シェイプシフター。
あれをこの地に連れてくれば、なんとかなるのではないか。
古の悪魔はそう思い始めた。