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116・勧誘


「少し話をしないか」


僕はなるべく優しく声を掛けたつもりなんだけど、バリバリに警戒されている。


ふむ。


緊張するなと言っても無駄だよな。


「それじゃあ、お酒でもお出ししましょうか」


「いや、僕は水で良い。 あなたは好きにしてくれ」


「畏まりました」


胸が見えるくらい深く礼を取って、女性は一旦部屋を出る。


しばらくして、まだ十代前半の少女と一緒にワゴンを押して来た。


教育中なのだろう、「これはこっちに。 そう、上手ね」と声を掛けながらテーブルに置いて行く。


「失礼いたしました、ごゆっくりどうぞ」


少女が出て行くと、女性が僕の前に水の入ったグラスを置く。


うん、何も不審なものは入っていないな。


僕はそれを手に取り口を付ける。




 警戒を解いてもらうためにも会話を楽しむ。


「名前は?」


「ハニーと呼ばれております」


なるほど、ハチミツ色の目をしている。


金の目が蕩けるように濡れて色っぽい気がした。


「僕はイーブリスだ。 南の孤島で産まれた」


酒の入ったグラスを口に運ぼうとしていたハニーの手が止まる。


「母は娼館にいたそうだ。


父似の僕たちとは似ていないそうだが、あなたのような美人だったのだろうな」


僕は脚を組み、椅子の背もたれに身体を預けて寛ぐ。


 この娼館はアーリーの母親がいた店で、働いている者のうち、古くから居る者は知っている可能性がある。


まあ、今はそれをこちらから問うつもりはない。


彼女から漏れる瘴気が僕をめちゃくちゃ警戒しているしね。


「話し相手がご希望なら、もうちょい若い子を呼びましょうか?」


聞きたくない話だったようだ。


分かったよ、この話は禁句ということにしよう。




 少し質問をさせて欲しいとお願いする。


「この館で一番偉い女性はあなた?」


「いいえ。 元締めのお婆さんがいるわ」


「その人はあなたが居なくなったら困るかな?」


「さあ?、あたしはそろそろ引退しようと思ってるし、手伝い程度はするつもりだけど」


僕はウンウンと頷きながら聞いていた。


「やはり僕はあなたが欲しい」


「ではベッドへ」


「ううん、そうじゃない。 僕にはあなたが必要なんだ」


ハニーは眉を顰め、考え込む。


「それ、どういう意味ですの?」


「そのままだよ。 この店を辞めて、僕のところに来て欲しい」


彼女は嫌そうな顔をしてグラスの酒を一気に飲んだ。




 あの程度じゃ酔わないだろうに、演技なのか、僕に絡んでくる。


「イーブリス様、いえ、坊ちゃん」


グラスをテーブルに置くと長い脚を組む。


白いドレスの裾が膜れ上がり、褐色の健康的な脚が露わになる。


「ご冗談はお止めください。


そりゃあ、公爵家なら女の一人や二人、いえ、この館の女全てを買うことも出来るでしょう。


だけど、あたしはもう引退近い三十女ですよ、もっと若い娘を」


僕は手を上げて、彼女の言葉を遮る。


「何か勘違いさせたようだ、すまない」


口元を歪めて笑い、彼女を真っ直ぐに見る。




「僕が辺境地の領主代理をやってることは知ってる?」


「え、ええ」


何故、ここで領地の話が出たのか分からず、彼女は首を傾げる。


「そこは魔獣の森が近くて、国境警備兵や猟師、最近じゃあ魔獣狩りに来る傭兵なんかも多い。


公にはしていないけど、その領地に僕は歓楽街を中心とした町を作ったんだよ」


熟練の高級娼婦はポカンと口を開けている。


「もちろん、ここみたいな高級娼館もね」


僕のような子供からそんな言葉が出るとは思わなかったのかな。


「まさか、あたしをそこに勧誘してるのかい?」


「そうだよ」


ハニーは呆れたように頭を二、三度横に振った。




 勿論、かなり王都からの距離もあるし、事業が成功するかどうかも分からない。


無理にとは言わないさ。


「あなたが危惧してるのは、向こうへ行くという理由で辞めたら、こっちが雇用せずに放り出されるってことかな」


雇用主が邪魔な従業員を穏便に辞めさせるために使う手段の一つだ。


高い賃金など高待遇を約束し、職場を辞めたら実は前の雇用主と組んでの嘘で、本人は無職になるという。


酷い話である。


「僕はそんなことはしない。 心配なら、お仲間も一緒に来ればいい。 全員雇うよ」


辺境地は未だに人手不足なんだよね。


「はっ、はは、坊ちゃん。 あたしらの連れなんてヤバい奴らばっかりだ、そんなの雇えっこないよ」


「問題ない。 使えないやつはそれなりの待遇になるだけさ」


僕に瘴気を提供するお仕事をしてもらう地下牢が待っている。


「あ、あたしのどこが良くて」

 

僕は彼女の目の前に身を乗り出す。


「『たとえ魔物でも』相手してくれるんだろう?」


じっと目を見つめ、口元は歪めたまま、低く唸るように囁く。


ヒッと声にならない悲鳴が聞こえた気がした。




 あんまり脅すのもかわいそうだ。


僕は座り直し、優しく微笑む。


「契約書も作る。 希望があれば言ってくれ。


売上は折半、費用は申請してくれればこちらから出す。


住む所も用意しよう。 結婚や子育ても自由。


まあ、田舎なのは諦めてくれ」


僕としてはあまり人が多いと煩いから嫌なんだけど、アーリーのために、ある程度は賑やかな土地にしたい。


「いつかは町全体をあなたに任せるつもりだ」


真面目な顔で言うと、


「坊ちゃん、あんた狂ってるよ」


と、言われた。


「褒めてくれてありがとう」


僕が笑みを深くすると、ハニーは褐色の肌色で分かりにくい顔を青くした。



◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 公爵家の双子は、次期公爵予定の弟と、病弱のため辺境地で転地療養しながら領主代理をしている兄。


明るい金髪に鮮やかな青い目、白い肌をした全く同じ顔。


祖母である公爵夫人によく似た女顔で可愛らしい、というのは亡くなった一人息子に似ているということだ。


(公爵家の一人息子は母親似だと聞いていたもの)


ハニーは、その少年をどこかで見た気がしたのは、やはり父親を見た記憶があったからだろうと思う。


あの時は公爵家の一人息子だとは知らなかった。




 その公爵家の孫は、ハニーを辺境地に誘う。


「『たとえ魔物でも』相手してくれるんだろう?」


そう言われた時、背中に寒気が走り、肌が粟立った。


この少年が『魔物』なのだ。


(なんてこった)


ハニーは思った。


これはあの娘の復讐ではないのか。


彼女を見捨てた、この娼館の全員に対する仕返し。


『魅了』は悪魔の能力だ。


その悪魔が一人だけとは限らない。


(あの日、誰が衛兵に知らせたの?)


『魅了』持ちの女がいると、王子を誑かしていると。


ハニーはその女性を娼館の奥深くで匿っていた。


娼館内部の人間でなくては分からない場所に。


それなのに追手は来たのだ。

 



 公爵の孫からの提案は条件が良過ぎて胡散臭い。


(いつかはここを出て行くつもりだし、田舎も悪くないかもね)


震える手を握り締めて気持ちを落ち着かせる。


「返事は急がないし、書類一式を公爵家から届けさせる。


そっちの気持ちが決まったら知らせてくれ。 迎えを寄越す」


孫の声は耳障りの良い台詞ばかりで、他の者が聞けば飛び付く内容ばかりだ。


「分かったよ、考えとく」


「じゃあまたな」と、立ち上がる少年にハニーは声を掛けた。


「おや、坊ちゃん。 娼館に来て何もしないで帰るのかい」


揶揄い半分で確認する。


ハニーにも高級娼婦の誇りぐらいはあるが、これが精一杯だ。


「ああ、そういうのは必要ない。


僕より女性に対する興味が強くて、全力で優しくしようとする適任者がいるからな。


僕はそいつから教えてもらうさ」


それまでハニーに向けていた顔とは全く違う穏やかな笑みを見せた。




 見送りを済ませて部屋に戻る。


遣り手の老女が何か喚いていたが、ハニーは無視した。


これから自分にとって一生に一度の勝負が始まる。


「あの娘が私に与えた試練なのかも」


ハニーは母親を王宮に拐われ、泣いていた少女を思い出す。


この話を受けることが彼女の追悼になるような気がした。



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