115・娼館
秋の収穫が近くなった頃、東の農地からボンがやって来た。
豊作で人手が足りないらしい。
「分かった。 期間限定で兵士を回す」
この夏、新たに本邸から十名も兵士が追加になったのだ。
あいつらを向かわせよう。
「魔鳥の糞を肥料に使ったのが良かったみたいだね」
ブリュッスン男爵領から農業指導者として来ているボンは嬉しそうに笑った。
「これなら肥料として売れると思いますよ」
リナマーナが母親譲りの商魂を見せる。
「そうなんだけど、東の町は数字に強いヤツがいなくてさ」
実は文官も欲しくて交渉に来たらしい。
「スミス、ジーンに相談してくれ」
「はい」
スミスさんが頷く。
この領地の文官長になったジーンさんは現在、使用人棟にある事務室に居る。
「あ、私が行くわ!」
立ち上がり掛けたリナマーナの服を赤子が掴む。
「ダーッ!」
「ひっ」
僕の執務室にはスミスさん夫婦の子供がいて、子守り担当のリナマーナはすっかり懐かれていた。
「良かったな、若い男に好かれて」
「若過ぎますわ!」
「あははは」
キャッキャッと赤子も笑う。
子守りにダイヤーウルフのリルーもいるのだが、人間のように抱いたり背負ったり出来ない。
口に咥えるにも十ヶ月近い赤子に、手加減はなかなか難しいのである。
リルーは羨ましそうにリナマーナを見ている。
【わたしも子供が欲しいかもー】
「あー?、リルーは好きな相手でもいるのか?」
【ううん。 でも赤ちゃん、かわいー】
それならじきに新しい赤子が産まれると思うよ。
シーザーに子供が産まれたことをグルカに教えたら、アイツも子作りすると言い出した。
【とーちゃん、俺がんばる!】
いや、そんな報告は要らんのだが。
秋も深まり収穫が落ち着いた。
東の町に兵士と、文官の父親のいる五人家族を派遣していたが、そのまま農地に留まることになった。
兵士たちは収穫した農産物の倉庫の警備で、出荷が終わるまで交代で見張ることになる。
兵士まで足りなくなるとは、豊作も考えものだな。
文官の男性は、ボンと話すうちに農業に興味を持ったらしい。
「子供たちもあまり人が多いところより、畑が好きだというので」
他の子に感染する病気ではないのだが、どうも王都で嫌な思いをしたらしい。
しばらくは、他人との接触を避ける意味で東の町に住むことになった。
「子供たちも元気になったら、是非、この領地で働いてくれ」
僕はそう言って励ます。
「イーブリス様も転地療養と聞いておりましたが、お元気そうで安心いたしました」
母親は医療関係で働いていたそうだ。
元気そうな僕を見て、子供の療養に来て良かったと微笑む。
薬など必要なものがあれば用意すると言ったら泣き出してしまい、子供たちに睨まれた。
「ありがとうございます」
東の町に家を一軒、貸し出しておいた。
「本邸から通信文書が来ております」
そりゃいつものことだろ。
「いえ、特別製です」
お祖父様からの手紙は珍しく封がされていた。
普通はスミスさんが確認するので開いたまま届く。
「あー」
中身は王都の娼館へ行く日が決まった知らせである。
そういえば、お祖父様にお願いしたいことがあるんだけど、ついでに頼もうかな。
何故か分からないけど、スミスさんに異常なくらい洗われ、服も上質なのに下品というか、大人っぽいものを着せられた。
えー、これ、似合わない気がする。
パーティーじゃないから装飾は控え目なのが救いだ。
いつもより早い時間に本邸に着く。
執事長に出迎えられ、すぐに裏口に停めた馬車に乗せられる。
「アーリー様は既に出掛けられました」
ああそう。
夜の王都を静かに馬車が駆ける。
どうやら繁華街ではなく、郊外に向かっているようだ。
暇なのでスミスさんに話し掛けてみた。
「スミスが僕についた時はもう成人だったよね」
確か、十七歳だった気がする。
「はい」
「じゃ、スミスさんも最初は僕たちと同じ?」
スミスさんは無表情のまま、僕を見る。
「気になりますか?」
ウンウンと頷くと、スミスさんはため息を吐いた。
「貴族の男子はだいたい同じですよ。 金額により娼館の規模や相手の質が違うだけです」
ふうん。
「恋人とかいなかったの?」
「ええ」
スミスさんにしては言葉が少ない。
嫌な思い出でもあるのかな。
「到着いたしました」
娼館というより、ごく普通の豪華なお屋敷みたいだ。
建物に入る前に軽く気配を探すと、アーリーの従者であるエイダンの気配がある。
アーリーを見つけられないのは魔力阻害がある部屋にいるんだろう。
「僕が部屋の中にいる間はスミスはどこにいるの?」
「別室で待機しております」
そか、護衛も兼ねてるしな。
僕は黙って頷き、案内人の後ろについて中に入った。
「こちらでございます」
ごく普通の客間で、そんなに広い部屋ではない。
一人で中に入ると適当な椅子に座る。
確認したら、やはり魔力阻害の結界が張られていた。
高位貴族用の娼館だからだろう。
暗殺や盗聴を警戒していると思われる。
「ようこそ、いらっしゃいました」
お茶一式の乗ったトレイを持った女性が静かに入って来る。
白っぽく長い銀髪に暗い金の目をした、三十代から四十代くらいの肉感的で妖艶な女性。
胸元が広く開いた白のドレスから、褐色の手足が伸びる。
洗練された動きは元貴族のお嬢様か、貴族の屋敷で働いていたメイドかな。
暖かいお茶を出す女性の動きを目で追う。
「何が入ってるの?」
一瞬、女性の手元が止まったが、何でもないふうを装っている。
「ふふふ、ここは娼館ですもの。 そういったことに必要なモノですわ」
興奮剤の一種だと思う。
「悪いけど僕は病弱なんで薬には敏感なんだ」
そう言って微笑む。
僕はそんなものを飲むつもりはないよ。
気になっていることを訊く。
「避妊はどうしてるの?」
女性はテーブルを挟んで向かいのソファに座った。
「ここの女性たちは皆、体内に避妊具を仕込んでおりますわ。 お確かめになります?」
薄いドレスのような白い夜着をまくり、太腿をみせる。
「いや、別に」
僕は今日、何もするつもりがないからね。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
そこは密かに名の知れた娼館である。
ハニーと名付けられた女は長くこの世界に身を置いていた。
(こんな坊ちゃんは初めてだ)
この娼館の実質的な経営者である公爵から話があった時は、ついにあの有名な孫が来るのだと女たちに緊張が走る。
「人選は任せる」
公爵家から遣いに来たのはかなり高位の使用人、おそらく執事長辺りだろう。
老人にしては威厳がある。
「畏まりました」
この娼館の最高責任者である大柄な男は、身体を縮めて礼を取る。
「お二人とも特に相手の好みはないようですが、一つだけ」
遣いの老人は声を低くして、まるで警告のように言った。
「イーブリス様のご希望は『たとえ、魔物であろうと相手が出来る女性』です」
くれぐれも頼むと言って帰って行った。
「どういうこった?」
責任者の男は分からないまま、女たちを纏めている遣り手の老女に伝える。
この娼館は、以前は王都の歓楽街で他の娼館と競い合っていたが、出入りしていた王族のせいで廃業に追い込まれそうになった。
それを公爵家が手を回し、移転することを条件に娼館をそっくり買い取ったのである。
今では公爵家の紹介がなければ利用出来ない高級娼館として運営されていた。
「ハニー、頼めるかい」
褐色の肌に金色の目の女性は遣り手の老女に頼まれた。
ハニーと呼ばれた女性は三十歳も過ぎ、そろそろ裏方で若い女たちの教育や支援をする立場になりつつある。
「あたしで良いのかい、婆さん」
公爵家の孫は双子らしい。
一人には既に一番の売れっ子が決まっている。
「『魔物でも相手に出来る』のはアンタしかおらん」
老女はヒヨッヒヨッと笑って言う。
ハニーは『悪魔』と疑われた少女を匿っていたことがあるからだ。