104・絵画
第四章になりますので、サブタイトルは最初からの通し番号となっています。
またお付き合いのほど、よろしくお願いします。
王太子の就任祝賀会から数日後、僕は王宮を訪ねる。
当たり前だが王宮は広いし、仕事内容によっては建物自体が違う。
久しぶりに入った執務棟は以前から見ると瘴気がだいぶ減っていた。
あの真っ黒な国王がおとなしくなっただけでも、こんなに減るんだな。
僕は闇の精霊に頼んで触手を伸ばしてもらい、つまみ食いしながら奥へと向かう。
公爵邸を出る直前に連絡し、別室を用意する暇を与えずに王太子執務室に押し掛ける。
殿下がやりそうなことを先にやっておけば、次からはちゃんと根回しするようになるだろう。
馬鹿ではないはずだから、大丈夫だと信じたい。
「明日、領地に戻りますので、ご挨拶に伺いました」
「あ、ああ、そうか」
少し残念そうだが、仕方ないと諦めてくれた。
偉いぞ、さすが王太子。
執務室には必ず休憩用の場所がある。
二人で向かい合わせに座り、お茶と菓子が用意された。
「実は宴の途中で退席してしまったので、贈り物をお渡し出来ませんでした」
公爵家としては当然、お祖父様の名前で贈られているだろう。
僕は友人として彼に贈る。
「スミス」
後からついて来たスミスさんに指示をして、高級な布に包まれた品物を渡す。
「高名な画家に依頼して描かせました」
大きさとしては人間の顔程度と小さいが、宝石が散りばめられた最高級の額入り。
王宮のどこに飾られても見劣りしない。
「絵画か」
聖獣フェンリルの姿絵である。
公爵家お抱えの画家を拘束して描かせた。
都合の悪いことは喋れないという契約付きで。
聖獣様の絵だが、実は僕だ。
見たことがないと言うので、スミスさんに「特別に来てもらう」と言ってもらった。
公爵家本邸の地下にある訓練場は、今でも騎士以外の使用人たちが自分を鍛えるために使っている。
一時使用禁止にして小さめのフェンリルの姿で出現、短期間で描かせた。
実は絵にはシェイプシフターの紋章を仕込んでいる。
「お好きな場所に飾っていただければ幸いです」
紋章からは瘴気や魔力は出ない。
既に闇の精霊に繋いでもらってあるし、吸収するだけなので王宮の魔術師や魔道具でも感知は難しいと思う。
たとえ僅かに感知したとしても、聖獣様の絵だからな。 無下には出来まい。
「リブからの初めての贈り物だ、ちゃんと飾らせてもらう」
どこでもいいよ、王宮内は瘴気の宝庫だからな。
仕事中のダヴィーズ殿下は少し控え目に喜んでくれた。
「恐れ入ります」
僕はニコリと笑って早々に退室する。
明日の午後出発のため、今夜はヴィーを誘って二人だけで食事をした。
勿論、アーリーとリリーも別室で会っている。
あちらは幼馴染程度の友人関係なので侍女や護衛が張り付いているが、こちらは婚約者なので食堂から自室に移るとそこには誰もいない。
間違いがあっても別に構わないということだ。
「ヴィー、キミに話がある」
「はい」
食後のお茶を飲みながら、僕はヴィーに話を持ちかける。
ヴィーは十三歳、まだ未成年だ。
ローズとは違い、人間の女性としても、まだまだ番とするには幼い。
あの甘酸っぱい生気にしても不確定で謎のままである。
「キミとの婚姻までもう少しになった」
「は、はい」
ヴィーは顔を赤くする。
今年でヴィーは十四歳になる。
そして翌年、お互いに十五歳になったら正式に婚姻の契約が交わされ、僕たちは夫婦だ。
「そうなるとキミは家族の元を離れ、この本邸に入ってもらうことになる。
学校や実家に行く場合でも必ず公爵家の者として振る舞うことが必要になるので、今年からその教育が始まるそうだ」
今でも勉強やダンスの練習で定期的に公爵家に出入りしているが、もっと回数が増える。
まあ結婚したら、その日から公爵家の人間になるのだから当たり前だ。
そして十八歳になったら、彼女は僕のいる公爵領に入り、僕たちは正式な番になるのだ。
「だけど、まだ今なら間に合うよ」
「え、あの」
僕は立ち上がり、困惑する彼女の手を取る。
「ついておいで」
闇の精霊が床に穴を開け、僕たちはそこを通って別の部屋へ移動した。
そこは本邸の地下にある礼拝堂。
今日は使用不可の札を入り口に掛けてある。
真っ暗でも僕と手を繋いでいるヴィーには怖がっている様子はない。
本当にこの娘はあまり取り乱さないというか、落ち着いているなあと思う。
祭壇の前で、ヴィーを真後ろの壁に向かって立たせる。
そして僕は彼女の背中から静かに声を掛けた。
「いいかい。 これから明かりを点けると、影が本当の僕の姿を見せてくれるだろう。
だからしっかり見なさい。
それがキミの夫になるのだから」
祭壇の松明に火が入り、僕の影が彼女の目の前の壁に黒く伸びた。
「ヒッ」
彼女の肩が揺れる。
目を逸らさないように彼女の身体を両手で押さえ付け、耳元で囁く。
「よおく見るんだ」
彼女の中の、金髪に青い目の少年の姿を壊し、黒い影を脳裏に焼き付ける。
「山羊の頭に捩れた角、毛むくじゃらの身体に盛り上がる筋肉。
長い爪、蹄の足。 人間とは、かけ離れた姿だろ?。
これが僕だ」
ガタガタと彼女の脚が、身体が震えている。
顔は見えないが、青くなって引き攣っているだろう。
闇の精霊に頼んで、この姿をヴィーに見せた。
もしアーリーの能力である無意識の『魅了』に掛かっているなら、それ以上の衝撃で解除するためだ。
ふいに彼女の身体から力が抜け、意識が失くなったのが分かる。
無理もない。
僕だって初めて見た時は恐怖で心が縮み上がった。
彼女を抱き上げ、自室に戻る。
そのまま僕のベッドに寝かせた。
メイドを呼ぼうとしたら、震える手が僕の服を掴んでいることに気付く。
「ヴィー?」
「ごめんなさい、腰が抜けてしまって」
気を失った訳ではなかったようだ。
「仕方ないよ」
僕は月の光に浮かぶ彼女の白い顔に微笑みかける。
「無理しなくていい。 今ならまだ僕から離れー」
「嫌です」
ヴィーの手は震えていたが、声はハッキリしていた。
「私はもうイーブリス様のものです」
『魅了』にはもう掛かっていないはずだが。
「ヴィー、僕は」
「私はちゃんと自分で考えました。
イーブリス様がたとえ魔物でも、悪魔でも、……普通の人間でもずっと傍に居たいです」
僕は涙塗れのヴィーの顔に手を伸ばし、ベッドのシーツの端で彼女の顔を拭う。
「馬鹿だな、そんな顔をするな。 お前は僕の言うことを聞いていれば良いんだ」
ヴィーは笑いながら泣いていた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
キルス王は隣国から無事に帰還した。
一旦、神殿のある王都に入ったが、そのまますぐに東領の自分の館に戻った。
「戻ったぞ」
「お帰りなさい」
迎えに出た『赤毛』の少女を抱き上げる。
キルス王は旅の疲れを癒やすと、少女に隣国で出会った少年の話をした。
「まことかっ。 では公爵領で『赤毛の令嬢』に会えるのだな」
少女は単純に友達が増えることを喜んでいる。
少年には興味はないらしい。
キルス王はそのことに安堵して微笑む。
「しかし何故か、あの少年からは薔薇の香りがしたな」
懐かしい香りだった。
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キルス王がラヴィーズン公爵領を訪れたのは、春になった頃だった。
正式な招待にも関わらず、キルス王はお忍びで訪れることを希望する。
「はあ、色々とこっちの住民も迷惑掛けられてるし、心象は良くないかも知れない」
領主代理はその申し出を受け入れた。
そして当日。
国境門に、タモンたち猟師が狩りついでに立ち寄った風を装い、旅芸人の格好をした陛下一行と合流する。
タモンは国境警備隊の兵士たちにわざと聞こえるように話す。
「南にある新しい町に劇場が完成してね。
彼ら、旅の一座はそこで芸を披露して下さる予定で下見に来られたんだ。
もし公演が決まったら、砦の皆も見に来てくれ」
公爵からの招待状もある。
一行は国境門をすんなりと越えた。