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パン美味え、後輩かわええ



 雫と一夜を過ごした翌朝、俺は彼女と一緒に登校していた。

 昨日は一人で登校したので、もう一緒に行く必要は無いというのに、頑なに雫は認めなかった。昨日の問答といい、やはり俺が心配で仕方が無いようだ。

 これは、ますます独り立ちを急がねばならない。

 そう決心したはずなのだが。


「美味い、パン美味い」


「洟が出てる、汚い」


「涙が止まんねぇよ」


「洟しか出てないけど」


 雫の作ったパンを食べて感動する。

 歩きながら食事など無作法極まりないが、理性をゼロにしてしまうパンの存在感に俺は抗うことができなかった。

 朝食に雫が出してくれたのは、自作のパン。

 実を言うと雫はパン好きで、よく自分でも作るらしいのだ。


 今まで俺は彼女のパンを食べたことが無かった。

 散々料理の腕を披露し、その都度俺に絶賛されているというのにパンを出さなかったのは、自信が無かったからだとか。

 それで今日、記念すべき一食目を食べたのだがメチャクチャ美味い。


 失礼な話だが、これでパン屋は俺の人生に不要になった。

 雫が将来いなくなっても、この味でパン屋に行く事ができなくなる。

 過剰な幸せの補給により、鼻の穴から涙が迸っている。涙腺ってあれだよな、鼻の中にあるんだよな?


「ズルいぞ、雫。こんな隠し玉を用意してるなんて」


「何が」


「これをニ、三回も朝に出されたら雫無しで生きていけなくなる…………!」


 ちょっと雫の耳が赤くなった。

 雫に心配をかけないよう自立すると声高に標榜していた俺がさっそく掌返しする様に、少し怒っているらしい。

 俺の母親より母親、父親より父親してる彼女だからこそ息子じゃないけど俺の堕落が許せないようだ。

 でも、このパンは反則にすぎる。

 決心とかどうでも良くなってきた。


「ほら、前見て」


「あ、標識だ。おはよう」


「人に挨拶しなよ」


 横から雫にパンを取り上げられた。丁寧にラップで包装され、カバンに入れられてしまう。

 俺の目から水が溢れた。


「そんな殺生な!」


「学校で食べなさい、校門で返してあげるから洟を拭け」


「明日の飯も雫のパンが食べたい」 


「毎朝作るのは面倒だから無理よ。…………暇な時にお裾分けするから我慢しなさい」


 昔から知っているが、真剣にお願いすれば雫はある程度の譲歩をしてくれる。

 昨日の約束だってそうだ。

 本来ならば断固拒否されるのだが、俺がここぞと覚悟を決めて挑めば、相応に譲ってくれる。


 俺がぶつくさと文句を言いながら歩いていると、腕を引かれて道の端へと誘導された。

 よく見たら後ろから自転車が来ていたようだ。

 背後を確認してもいないのに察知するとは、やはり完璧超人なバケモノの雫は凄まじい。


「蹴るなよ」


「失礼なこと考えてたでしょ」


「そんな事は――」


「先輩、おはようございます!」


 後ろから元気な声が聞こえて俺たちは振り返る。

 すると、手を振って走って来る人影があった。

 後ろで結わえた栗色の髪の毛を尻尾のように振り乱し、小柄な体をぴょんぴょんと跳ねさせる愛らしい生き物――永守梓だった。

 俺が手を振り返すと、にっこりと満面の笑みになる。

 うわー、かわいいかよ。


「朝から元気だな、死ぬぞ」


「何ですかその忠告!?先輩と違って私は体力消費も効率的に行っているので大丈夫でーす」


「俺だってアレだぞ、ちゃんと失った分は授業中の睡眠で補充してる頭のいい生活してるぞ」


「テストで痛い目見ちゃいますよ」


 テストで痛い目を見る?そんな時は雫がいるので大丈夫だ。………お、こういう考え方がいけないのか。


「分かった、改めよう」


「ふふ、先輩はいい子ですね」


「梓ちゃん、バス通学じゃなかったっけ」


「えへへ、先輩がいるんじゃないかって少し前のバス停で降りたんです。もしかしたら、って考えたんですけど」


 わざわざ俺に会いに来てくれたのか。


「永守さん、おはようございます」


 隣で雫が笑顔のまま挨拶する。

 すると、顔を赤らめた永守梓もペコリと腰を折って一礼した。

 まるで人気アイドルに会ったような反応だ。


「昨日ぶりですね夜柳先輩!やっぱり、お二人は仲が良かったんですね」


「昔から付き合いが長いだけよ」


「よ、宜しければ一緒に登校してもいいですか?」


「…………………………………………良いよ」


 雫が笑顔のまま答えた。

 永守梓は嬉しすぎるのか先刻よりも跳ね回って喜んでいる。まるで猫みたいな子だな。

 返答にめちゃめちゃ間があったが、雫もかわいい後輩に誘われて少し照れていたのかもしれない。

 ギシギシと、さっきから雫の手の中でカバンの持ち手が軋みを上げている。


 ともかく三人で学校を目指す事になり、再び歩き出した。


「お二人はいつも一緒ですか?」


「何が?」


「一緒に登校するくらい仲の良いお隣さんですから、休日も二人で過ごしているのかなーって」


「休日はいつも俺の家に雫が来る。たまに俺が少女漫画とか読んだり、雫をゲームに誘うために行く事もある」


 雫ってゲーム好きじゃないくせに誘うと付き合ってくれるから一緒にいて楽しいんだよ。何せゲームめちゃくちゃ強いし、楽しい顔しないし、本当に最悪だ。


「大志はゲームばかりだから、私が最低一時間は勉強させたいんだけど」


「俺が寝ちまうしな」


「先輩、あまり夜柳先輩を困らせてはいけませんよ!」


「わーい!」


「わーいじゃなくて?」


「はーい」


「よろしい」


 何故か二人がかりで叱られた。

 俺は特に素行が悪いわけでもないのに、どうして毎回お小言が尽きないのだろう。

 ていうか、さっきから本当にギシギシうるさいな雫のカバン。もしかして何か受信してるのか?


「そう言えば、女子校って女子しかいないんだよな?」


「はい、そうですよ」


「雫がよくラブレターを貰って帰って来るのが不思議でさ」


「夜柳先輩は王子様ですから」


 梓の返答に、俺は思わず雫を二度見する。

 雫に睨まれた。


「雫が王子様?いや、絶対お姫様だろ」


「え?」


「よく見ろよ、こんな美女なんだぞ。これを差し置いて姫を名乗れるヤツがいるなら、むしろ知りたいくらいだ。………ていうか教えてくれ、いま絶賛恋人募集中だから」


 つい本音が漏れてしまった。

 脇腹をすごい強さで雫に抓られているが、パンの味の余韻があるからだいじょう痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い。


「あ、校門前見えてきましたね」


 永守梓が一歩先を先導するように歩く。

 その時、雫が彼女の晒された項へとゆっくり手を伸ばした。まるで獲物を捕まえんとする鷲の鉤爪のように指を大きく広げ、強すぎる力のあまり血管が浮かび上がっている。


 これは――まずい。


 俺は慌てて雫の手を掴んで止めた。

 はっとした顔で雫が俺へと振り返る。



「やめろ雫、いくら梓ちゃんが可愛いからって頭を撫でるのはまだ早いぞ」


「…………………………………………………………………………………………………………………そうね、冷静じゃなかった」


 雫が手を下ろす。

 俺はほっと胸を撫で下ろした、幾ら憧れの先輩だからと言って知り合って二日で頭を撫でるとか距離感なさすぎるだろう。


 そんなこんなで、校門前に辿り着いた。

 かわいい女子二人と歩いていた俺には、既に男子から熱烈な視線を向けられているが気にしない。後で校舎裏に呼び出しを食らうだろうが、生憎と男子に告白されても萌えないのだ。


「では先輩、私と夜柳先輩はここで失礼しますね」


「おう、良い一日を」


 俺が手を振って見送ろうとすると、雫がパンを返して来た。


「ゆっくり噛んで食べなさい」


 そう言い残して、雫は学校へと行った。








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