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いろはにほへと4



「――い、子犬ちゃん」


 小野先輩の呼び声で目が覚めた。

 薄く開いた瞼の隙間から、顔を覗き込む先輩と視線が合う。

 どうして、倒れたんだっけ。

 意識を失う前までの記憶が曖昧で分からない。

 でも、後頭部に感じる感触から膝枕をされている――多分、これは小野先輩の膝だろう。

 私が不思議そうに見つめていると、小野先輩が何を勘違いしたか嬉しそうに手を振った。

 いや、状況を説明して欲しい。


「先輩、これは?」


「ゲーセンの休憩所のベンチで俺の膝を枕にしてるよ」


「な、何で?」


「ベンチでそのまま寝るのはキツいと思ってさ。今、綺丞が飲み物とか買って来てくれてるぜ」


 いや、若干だけど先輩の膝もキツいです。

 初めて男の人に膝枕されたけど、ここまで感動もない現状に途轍もない虚しさを覚えてしまう。

 幸いにも吐き気や頭痛は無い。

 ただ、体にまだ力が入らないだけだ。

 体調不良の原因も、わからないけど。


「それにしても驚いたぞ」


「え?」


「急に倒れたからさ。体調が悪いなら何で言ってくれなかったんだよ、そしたら俺と綺丞の二人で担いで家に送ったのに」


「それだけは止めて下さい」


 気遣いは良いけど方法は改めて欲しい。

 衆目をわざわざ集める運び方なんてされたら、それこそ余計に明日からの学校生活に変な噂まで加わって大変なことになる。

 今日の欠席だって、どんな風に皆に伝わっているか。


「私も倒れた理由は分かりません」


「本当に?」


「ちょっと、目眩がして……その後に意識が途切れました。昨日も同じ感じがしただけで」


「それ……もしかして、寿命なんじゃ?」


「ふざけてますか?」


 この人は何もかも真面目に捉えない。

 だから、人の注意にも耳を傾けないし聞き入れた事すら実行しない。

 たしか、生徒会長である夜柳先輩も普段から彼のお世話で随分と苦労しているらしい。概ね彼女との親密さが招く嫉視の面が強いが、小野先輩が校内で周囲から敬遠されるのはその性格である理由が最もだ。

 身嗜み、態度、思考も疎か。

 まるで人を小馬鹿にするような性格だ。

 だから――必死に頑張る私なんかにとっては、見ていて心底からイライラする。


 どうして、ちゃんとしないのだろう。


 それで迷惑を被るのは、周囲なのに。

 痛い目を見るだけじゃなくて、見放されてしまうかもしれないのに。


「大志」


「おう。おかえり、綺丞」


 矢村先輩が三人分の飲料水を買って戻った。

 私の体を支えながらゆっくりと起こし、無言でフタを開けたペットボトルを差し出して来る。

 この人、小野先輩の相手をする辺りといい面倒見が良いな。小さな弟や妹でもいるのだろうか、やや無気力で流されがちな部分があるようにも見えるけどいい人かもしれない。

 私は礼を言って水を飲んだ。

 今はこの味の無い水がありがたい。

 小野先輩ならば、ここで炭酸飲料とか味の濃いやつを持ってきたに違いない。


 ふと、矢村先輩が片脇に何かを挟んでいた。


「あ、私のカバン」


「…………」


「あー、それな。このまま遊びの続行は無理だって思ったから、水のついでに綺丞が学校にカバンを取りに行ってくれたんだよ」


「………怒られませんでした?」


「……………………………」


 矢村先輩は何も答えない。

 ただ、一瞬だけ不快げに引き攣った眉尻から大体を察する。

 この人は小野先輩に巻き込まれる事が多いが、何故か教師や周囲に注意された事は無い。おそらく、私の教室へ来た時も異常な歓迎と帰らせまいと分かれを惜しむ人々に行く手を阻まれて疲れているのだ。


「しっかし、これだと夜間の校内散策は延期だな」


「……まだ諦めてなかったんですか」


「当たり前だろ。なんたって俺と綺丞と子犬ちゃんで周るんだから」


「いい加減にして下さい。私は行きませんから」


 体に力が戻ったので、私はベンチから立ち上がる。

 もう体がふらつかない程度には回復していた。

 時間を確認すれば、もう既に下校時間だ。

 仕方ない、このまま塾に直行しよ――。


「じゃあ、家まで送るか」


「はっ?いえ、このまま塾に行きます」


「おい、俺よりもアホなこと言うなよ。ぶっ倒れた女の子をこのまま塾に行かせるとでも?」


「気遣い無用です、もう治りました」


「…………子犬ちゃんさ、いつも顔見て思うけど目のクマ酷いぞ?倒れたのって寝不足なんじゃねえの?」


 寝不足って。

 私はきちんと、いつも睡眠に費やす時間を六時間は確保している。

 だから別に良いじゃないか。


「六時間って……意外と普通だな」


 ほら。


「でも、それじゃ足りないから目の下に青黒いクマガできるんだろ」


「…………それは」


「今日ばかりは部外者として行かせるわけにはいかない」


「当事者でしょ。何でちょいちょい間違えるんですか」


 しかし、断固として私を行かすまいという意思を感じる。

 ……私の名前は覚えないくせに、なぜ目の下のクマについてはしっかり見ているのだろうか。


「……分かりました、諦めます」


「うっし。じゃあ、家まで俺と綺丞が送るぞ」


「……………」


「矢村先輩、嫌な時は嫌だと声を大にして言って良いんですよ」


「綺丞は大きな声出せないから、無理言うなって」


 そういう話じゃない。







 私は二人に家まで送られて、塾には休む事になった。

 心配になった母に早く休むようしつこく言いつけられたのもあって、きっと普段なら寝坊ってくらいには睡眠を摂った。

 正直、あの程度で体調を崩す自分に嫌気が差した。

 人に厳しいのなら、相応に自分にも厳しくなくてはならない。

 そうでなくては平等にならないのだ。


「大体、あの二人が悪事さえ働かなければ」


「あの二人って?」


「…………」


 あなたですよ、元凶は。

 廊下を歩いていた私に、背後から笑顔で小野先輩が話しかけてきた。

 あなたの所為で、こちらは一週間前のサボりが後ろめたい気持ちを生んでしまい、いつも行っている昼休憩の巡回すら止めているのに。

 まあ、流石に放課後の日課まで諦める事は出来ないのでパトロール中だ。


「今日はまた何か企んでるんですか?」


「その言い方はいつも俺がなにかしてるように聞こえるな」


「してますよ。仕出かしてますよ」


「楽しく生きたいから」


「限度を弁えてくださいよ」


 私が呆れながらも律儀に返答をしてあげると、ニコニコしながら後ろを付いてくる。


「今日、矢村先輩とご一緒じゃないんですか?」


「ふ、今日の夜の学校侵入の為に監視カメラの位置と向き、それから警備網の下調べをしてくれている」


「何でそういう悪事には頭が働くんですかね。矢村先輩の人のいい性格を利用しすぎですよ。いつか痛い目見ても知りませんからね」


「じゃあ、今日の集合は五丁目の公園に六時集合な」


「はっ!?」


「お、良い返事」


「いや、はっ(了解)じゃなくては?ですからね今の」


 まだこの人、諦めてなかったのか。

 私が最後にいい加減にしろと忠告したのも、本当に聞いてないようだ。

 こうなったら見放しておこうか。

 さんざ注意した私の誠意も知らず、勝手に取り返しのつかない事をして破滅していれば良いのだ。

 どこかの誰かが言う――おバカさんに付ける薬は無いと。

 精神科医を目指してるけど、もう心が折れました。


「何で執拗に私をメンバーに加えるんですか」


「だって、いつも他人にも自分に真面目な子犬ちゃんも、少しは息抜きしないとな。目の下のソレもまだ消えないくらいに疲れてるみたいだし」


「え――?」


「お、いい返事」


「い、いや……今の同意(ええ)じゃなくて困惑(ええ?)ですから」


 この人……本当は相手をよく見ているのかも。

 それにしても――息抜き、か。

 悪事で息抜きって、まるで『悪は悪でも、悪くない』みたいで少し可笑しい。


「私、行きませんからね」


「因みに校内に俺と綺丞がお互いに秘密で宝物を隠して、それを先に見付けた方が勝ちって事にしてるから」


「またそんなくだらない事を……」


 取り敢えず、止められない事は分かった。

 でも、この二人がそれ以上の何かをやらかさないかだけは気になるし。


「……監視しますからね。発見次第、速やかに帰って下さい」


「あれ、見過ごすの?俺らのこと」


「もう呆れて止める気力もありませんから。せめてそれ以上の悪事が無いように――」


 肩越しに後ろに睨むと。



「ははっ、いろはってば悪い子だな」



 無邪気に笑ってこちらを見る先輩の笑顔を見た。

 え、名前――。


「あの、名前」


「ああ、雫に説教されてな。だから憶えたぞ!……子犬ちゃんの方が絶対いいのに」


 不満げだが、どうやらあのサボりの件の翌日に生徒会長に相談した事が功を奏したらしい。

 ついでに呼称についても注意してくれと嘆願した。

 思えば、この一週間も彼にしては目立った事はしていな………いや、今夜するのか。あと、もしかしたら目の留まらない場所でしているのかも。


 それにしたって、何だろう……このモヤモヤ。

 私の注意は聞かないくせに、生徒会長の言葉はすぐ耳に入れるんだ。


「……先輩って、生徒会長の言うことは聞くんですね」


「そりゃだって、俺が何かしたら雫が『アンタを殺して私も死ぬ』とか言うからな」


「……そこまで言わせて恥ずかしくないんですか」


「え?逆じゃね?俺の為に命懸けてくれるほど幼馴染が想ってくれるとか誇らしいだろ」


「はいはい」


「よっしゃ。楽しみだな、夜!」


 小野先輩に肩を叩かれ、ため息が漏れる。

 本当に手強いな、この人は。



「あーれ、もしかして噂のカップルですかぁ?」



 行く手からそんな声を聞いて、私と先輩は足を止める。

 前方を塞ぐように、三人組の女子が立っていた。







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