いろはにほへと1.5
「悪い、雫。もうお腹いっぱいでさ」
そんな戯言に、私――夜柳雫は固まった。
今日は受験勉強を頑張っている大志を応援しようと、彼の大好きなハンバーグを用意して待っていたのだ。
それなのに、今、この男は……。
いいや、聞き間違いという線もある。
すぐ断定し、暴走する悪癖は直さなければ。大志の言葉をいちいち額面通りに受け取っていたら、人生百年時代で寿命が五十年と保たない。
「ハンバーグ、できてるよ」
「うん。でも食えない」
「何で?」
「だってお菓子をたらふく食べてきたから!」
あ、ああ。
少しでも慈悲の心を持った私が愚かだった。
生徒会の仕事も少し早く切り上げてわざわざ用意していたというのに、それらが徒労に終えたという残酷な現実に顔を手で覆いたくなる。
「でも、ハンバーグかぁ」
「夕飯前にお菓子の食べ過ぎは駄目だって、小さい頃にも私……言ったよね?何で守れないわけ?」
「だって美味しいじゃん」
「…………もう、自分がバカに思えてきた」
「え?菓子食ってきた俺が悪いんじゃないの?」
「そんなアンタに尽くす私が愚かしく思えてきたの。もうアンタに飯作るのやめる」
絶望に私はそんな事を口走っていた。
どうせ、こんな事を言っておきながら明日にはまた彼の事を考えて、美味しいって言って貰えると思ってウキウキしながら朝食を拵えているんだろうな。……本当にイライラする。
「雫が嫌なら良いけど。俺、雫無しだと生きていけないぞ」
「…………」
「あ!じゃあ、雫のハンバーグと切り干し大根の煮物の作り方だけ教えてくれよ。世界一好きな味だから自分でも作れるようになっておけば大丈夫だろ!」
「っ……………」
「今まで世話になったな!」
「うるさい」
ああ、本当にイライラする。
平然と人が好意で作った夕飯を拒否するこの男も。
「料理は教えない…………ハンバーグくらい、いつでも作るから教える必要ないでしょ」
このクソどうでもいいような言葉に揺れて、甘くなってしまう自分も嫌になる。
ちら、と大志を見れば――無邪気に輝くような笑顔を見せた。
幼い頃から全く変わらない表情である。
「まじで!?でも料理教えてくれないとかケチだな!」
…………もう、どうでも良いや。
どうせ、今晩もコイツがハンバーグを美味しいというだけで今の煩悶も忘れてしまうんだろうな。
単純な人間で嫌になる。




