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小話「ある雨の日」



 俺――天河空は超瀬町に来ていた。

 小中高と隣町にいる俺からすれば、友だちと遊びに来た時ぐらいしか縁の無かった土地である。

 バイトでも何度か足を運んだが、こうして私用で訪ねることは本当に稀だ。

 見慣れない人と商店に賑わう中心部の喧騒は、俺が知る陸斗根の書き入れ時に勝るとも劣らない騒々しさ。瑞々しい男女たちの逢瀬や、他には無い人生の満喫の仕方を喧伝しているかのように自信に満ちた人たちで溢れかえっている。

 ある意味、人酔いしそうだ。

 まあ、目的の特典付き漫画を買えたので良しとしよう。


 後は帰るだけなのだが………。


「雨、か」


 天蓋のある商店街通りは湿気のある空気も余所より滞留する。

 タオルが手放せない程だ。

 本来なら今すぐにでも離れたい。

 ただ雨のせいで俺は立ち往生している。

 天気予報を確認するのをすっかり忘れていた。いや、午後から降雨の可能性があると知ってはいたが、思いの外この用事が長引いてしまったので捕まってしまった次第である。

 くそったれ。

 漫画も濡れてしまうし、どうするか。

 やはり傘を買って動くべきか。


 そう考え始めた時、雨の中を傘も差さずに歩く人影を見つけた。

 結構なダダ降りだぞ。

 よく平気で………。



「――――――――」



 俺は思わず言葉を失った。

 雨に濡れて歩くその姿に呼吸を忘れる。

 ただ、雨に濡れた姿を見た瞬間に体も感情も彼女を見ることに専心した。

 人に対しては、初めてだと思う。


 ここまで、綺麗だと思ったのは。


 唖然とする俺の下へ、少女は濡れたまま歩いて来る。

 表情は冷たく、だが瞳に光が無い。

 あの黒い制服と背丈から、恐らく雲雀と同じ年の頃の中学生だろう。

 様子が尋常では無い。


「おい、大丈夫かよ」


 話しかけたが、少女は答えない。

 ただ天蓋に覆われて雨の届かない位置に入ると立ち止まり、服の裾を絞って水分を落とし始めた。

 それから、体の向きを変えて無言で空を見上げている。

 買い物――ではない、目的は雨宿りのようだ。

 当たり前の事だが、近づいてきた時は一瞬俺に何か用かと思ってドギマギしてしまった。


 ただ、濡れっぱなしである。

 寒くないのだろうか。

 無表情で虚ろな瞳、まるで人形、というより不謹慎ながら死体のような感じに見える。


 商店街のそこかしこで、俺の方に視線が向けられたのが理解した。

 いや、分かるよ。

 俺じゃなくて彼女だよな。

 距離が近いほど、何だか落ち着かないレベルの美人だった。

 何だか勝手に浮足立ってしまう。


 雨も止みそうに無いので、一旦離れて近くの店で適当なタオルを購入した。

 それからまた元の位置に戻る。

 やはり、まだ少女はそこにいた。


「これ、使うか?」


「…………」


 少女がこちらへと振り向く。

 わあっ、と俺の後ろ側で少女を静観していた者たちの静かな歓声が上がる。ここまで来ると逆に恐ろしいな。


「…………い、要らないか?」


「ありがとう、ございます。代金、お支払いしますね」


「えっ?」


「わざわざ気遣って購入して下さったんでしょう?」


 微笑んで淀みなく話す少女に、俺は呆然とする。

 何事にも関心がないような顔をして、隣の俺の存在や行動を把握していたようだ。

 何だか、つくづく神秘的である。

 俺の高校にだってこんな人はいない。

 何となく、あの『天使』に雰囲気は似ているが、大人びた横顔たけど微笑んだ顔は幼気な印象もある。


 また我を忘れて見入っていた俺だが、鞄から財布を取り出そうとする彼女を見て慌てて止める。


「良いって、別に」


「でも」


「俺が勝手に心配してやった事だから気にするなって。それより早く拭きな、風邪引くぞ」


「………ありがとうございます」


 少女は髪を拭き始める。

 うん、何かそれだけの動作なのに色っぽくて反射的に目を逸らす。

 妹のように可愛がってる雲雀と同じくらいの子にこんな挙動不審になってる自分への嫌悪に歯噛みする。

 それにしても。


「傘は持ってなかったのか」


「…………風で飛ばされてしまって」


 そんなに今日は風も強くないが。

 まあ、様子からしてそれは言い訳だろう。

 きっと雨に降られてなければやっていけないと、思春期特有の自棄気味な感じになっているのかもしれない。

 俺は隣で今後の超瀬町の天気を調べる。

 ………あと一時間は降りっぱなしか。


「タオル、ありがとうございます。………本当に代金は」


「ああ、それやるよ」


「………」


 それから暫く、二人で無言のまま並んで立っていた。

 あと一時間の予報に違わず、雨はまだ止む気配は無い。

 落ち着かない気分もあってか、いつも以上に静かな時間が苦痛だ。


「君、商店街に何か用事あったのか?」


「…………いえ、目的もなく歩いていました」


「雨の中?」


「…………………………友だちの女の子が、喧嘩したんです」


 喧嘩か。

 俺も喧嘩した事はあるけど、ここまで落ち込んだ事は無い。

 よほど辛酸な行き違いでもあったのだろうか。

 あと、この切り出し方は友だちじゃなくて自分だな。


「誰と」


「幼馴染の男の子です」


「普段から仲は良いのか?」


「はい。………女の子は、幼馴染の一生を支配したい程に愛しています」


「…………………………………………………………………………んっ?あ、そ、そうか」


 急に支配なんてパワーワードが出て来たので思考が止まりかけた。

 うん、支配したいんじゃない。支配したい程に愛しているだけだもんな。


「男の子の世話を毎日して、ほとんど家族みたいに長い時間を一緒に過ごしていました」


「じゃあ、仲は良いよな」


「でも、今日……男の子がテストが近いというのにオンラインゲーム対戦に耽溺しているので、女の子が電源を切った上で取り上げ、勉強するよう促しました。いつもなら、それでも飄々としていた彼が怒って、少し言い合いになって…………『今日は許さない!一日中無視するからな!』と言って、昨日はずっといない物扱いされました」


「……………」


 男の子にテスト勉強をさせる為に、女の子――もといこの少女は強制電源オフに加えて取り上げた。

 中々に強硬策に出たな。

 だが、短絡的とも言える。

 普段から男の子を世話しているとあって、日常的に配慮の欠けた性格とは思えない。タオルを私だ知らない年上の俺に警戒しながらも、しっかりお礼を言った上で代金まで払おうとするほど思慮深く。

 男の子を限定的に、盲目的に愛するが故に視野が狭窄しているのだろう。

 だから強要してしまう。

 身近な距離感が許す多少の強引さが、時に度を越してしまったのが今回の場合か。


 正直、それは方法が悪かったと咎めるのが正解だ。

 もっとゲームデータ的な問題でも、強制電源オフはかなり悲しい出来事である。

 ゲーマーとしては自動保存(オートセーブ)でも無い限りは卒倒レベル。


 でも、男の子を思う彼女の気持ちを部外者が注意するのも烏滸がましいしな。


「…………それで、雨の中を歩いてたってこと?」


「…………いえ、別に」


「そっか」


 もう私じゃないって否定しなくなったよ。

 まあ、その方がややこしく無くて良いけど。


「その男の子、まだ無視してんの?」


「いえ、女の子がショックで今日は顔を合わせていません。極力接触を避けています」


「女の子は、自分の何が悪いと思ってる?」


「…………手段が短絡的だったこと」


 なんだ。

 自分の反省点は分かってるんじゃないか。

 じゃあ、後は和解方法だけだな。


「男の子が怠惰だから、きっと女の子は業を煮やしたんだろう?」


「はい、それはもう」


「それは、あっち側に非がある………きっと男の子も今頃は君に避けられてるって感じて、反省してるんじゃないか?」


「…………」


「今なら二人で話し合って、仲直りできるチャンスだと俺は思うぞ」


「私も、謝るんですか?」


「男の子に対して言った事、後悔してない?」


「それ、は………」


「後悔してるなら謝った方が良い。些細な喧嘩でも、長引かせると後で離れ離れになる理由に繋がっちまうからな」


「離れ、離れ………?」


「とにかく、今の二人に必要なのは話し合う時間だ。もう充分、喧嘩の後に落ち着いて考えただろ?」


「………もし、拒絶されたら」


「いつも自分を想って世話してくれる女の子を、男がそうそう拒絶なんてできないって」


「…………………」


 少女は足元を見つめる。

 謝る勇気が無いのだろうか。


「話を聞く限りじゃ、男の子も悪いしな。普段から勉強しない子なんだろ、きっと」


「はい」


「即答かい。……だから男の子も今頃は君と一緒にいる為に何をすべきか考えてるよ。まず顔を見せて話し合いなさい」


 ふと、雨音が消えている事に気づく。

 頭上では、雲の切れ間から青色が覗いていた。

 スマホで時間を確認すると、思ったよりも早く雨が上がったらしい。

 これは僥倖。

 漫画も濡れずに帰れる。


「話し合えば見つかるって。普段から仲が良いなら、尚更お互いを傷つけたくないだろうし」


「……………はい」


「じゃ、雨も上がったし俺は帰るよ」


 雨が上がって本当に助かった。

 さっきから、商店街のそこかしこで俺の背中を刺す殺意のような物を感じる。

 流石に女の子と話しすぎただろうか。


「あの」


「ん?」


 去ろうとした時、後ろから呼び止められた。

 キラキラした黒い瞳と視線が合う。



「ありがとうございます。私、頑張ります」



 少女が柔らかく微笑む。

 雨上がりの空気が華やいだような錯覚に、俺は思わず中途半端な姿勢で固まってしまった。

 彼女は礼儀正しく一礼して、別方向に歩き去っていく。


 ……………幼馴染の男の子の話を聞いてなかったら、きっと恋に落ちてたな。

 セーフ。



 それにしても綺麗な子だったな。

 きっと、この町でも有名なくらいなんじゃないか。

 またお目に掛かれるのなら、是非とも正面からあの黒い瞳をもう一度見つめたいものだ。

 …………何いってんだ、俺。






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