格の違いを教えてあげる
俺の思考は停止した。
シよ――何を?
相手の解釈に丸投げした抽象的すぎる言葉に、俺は雫の言葉の指す意味を全然把握できない。
状況から推察するか。
ベッドに押し倒された俺、馬乗りになる雫。
その状態から導き出される答えは……………………いや、マジで何するん?
「雫、具体的に何をするんだ?」
お手上げなので馬鹿正直に尋ねた。
すると雫の顔がゆっくり下りてくる。
互いの鼻先が擦れるほどの至近距離で、雫の濡れた瞳が映す俺が見えた。
俺の顔…………凄い眠そう。
だって我が家のベッドだもん、凄い気持ちいいもん。
「女の子に言わせるの?」
「女の子が言うと駄目なやつ?……………うんち?ここでするの?」
雫の手が俺の顔面を鷲掴みにする。
おお、慣れた感触に安心感が湧いたい痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い!!
ず、頭蓋が膨らんでる!
脳内でメキメキと音が鳴ってる!
間違えたのか、うんちじゃないなら何だ!?
「そうか!」
「なに?」
「ちん痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い!!」
だ、駄目だ!?
こうなったら一体何が正解なんだ。
禁句ワードを揃えても一向に突破口らしき物は見えない。
何か腹立ってきた。
というか!!
そもそも俺ってバカだから!!
そういう相手の理解力に頼った問いとか全然わかんねーし!!
そういうの訊かないでくれる!?
「じゃあ何すればいいんだよ!」
「……………っち」
「あん!?」
雫が何やら頬を赤らめて囁くが、内容が聞こえないので聞き直す。
少し威圧的に接してしまったが、雫は唇を噛んで何かに堪えるような表情をした後、震える唇を開く。
「えっち」
瞬間。
告げられた内容に俺は思考を巡らせる。
えっち――たった三文字だ。
うんちと何が違うんだよ、正解で良いじゃん。
ベッドで押し倒されて、女性に馬乗りにされる……………その状況から『えっち』だなんて想像できるか?――――できるわけ無いだろうが!!!!
「最初からそう言ってくれよ」
「察しろクズ」
「ったく、何を恥ずかしがってんだ三文字言う程度で。えっちだな?分かったよ、じゃあ服脱ぐから退いてくれ」
「――――え?」
困惑する雫を退けて、俺はベッドの上で服装を解除していく。
ネクタイは、まあ畳んでられないので適当に床に放る。シャツはまあ、シワにならないように置いた。
ズボンも脱いで…………。
「ん?雫、何してんだよ」
「へっ?」
雫が固まってこちらを凝視していた。
「えっちするんだろ?」
「そ、そうだけど」
「なら早く脱ごうぜ」
俺のその台詞に、雫の顔が険しくなる。
あれ、いつもの調子が戻りつつあるのかな。
何だか段々と部屋の空気が冷たくなってきているが、多分服を脱いだからだろう。
「……………大志、今から何をするか分かってる?」
おもむろに雫が問うた。
「えっちだろ?」
「何で大志はそんなに恥ずかしがらないの?」
「…………???」
「恥ずかしくないの?」
「いや、小学生の保健体育で習ったやつだろ。常識みたいなもんだし、別に恥ずかしい事じゃないだろ」
「…………」
「むしろ子供作る為の必要な作業って話だし、最近じゃ恋人以外でもやるホビー的なヤツらしいから何も特別な事では――――ぇ?」
俺の視界には捻り出された雫の拳があった。
直後、顎が揺れる感覚と共に浮遊感に襲われ、次に床に体をぶつけた痛み、最後にゆっくりと睡魔に襲われておやすみなさい。
※ ※ ※ ※
大志のバカによって私は正気に戻った。
拳を下ろし、足下で草臥れている幼馴染を見下ろす。
危ない――一時の感情でまた全てを台無しにするところだった。
何が「シよ」だ。
数分前の自分を殴り殺したい気分になりながらも、呼吸を整えてから大志を抱え上げる。顎に湿布を貼っておき、私は部屋を出る。
それにしても、大志の再教育が必要だ。
意識を刈り取る前にクズい発言をしていた。
恋人以外でもやるホビー的な?
その認識は確かに間違っていないが、それは自己責任として背負える大人になってからの話だ。
高校生にはまだ早い。
何より、それを世の常識として捉えて実行されるのは気分が悪い。少なくとも大志のように後先を考えない人間がやれば破滅を招く行為だ。
いや、それより先に――まずは掃除だ。
大志の家で、私以外の女の痕跡はすべて消す。
些細な臭跡すらだって残してたまるか。
ここは聖域なのだ。
「まさか強硬策に出るなんて」
大志に会えないのならば、直接自ら赴く。
中学生の時の気質からは想像できない積極性だった。
瀬良の能力評価について再検討を要する。
変わったのは外面だけではない。
「明らかな敵意と、狡猾さ、大胆さ」
常識では決して動けない。
そんな環境を作って対象の行動を制限することで大志に寄る女をすべて封殺してきたが、あれは常識すら破ることも辞さない性格になっている。
隣町にいるインチキ教祖ほどでは無くとも注意すべきか。
その女が――今は家にいない。
大志の取り乱し様から、止められないと察して帰ったのだろう。
だが、家に直接来るだけの行動力で何事もなく帰宅するわけがない。
おそらく必死な大志の混乱に乗じて、何かしら約束を取り付けたに違いない。
「意識が回復し次第、大志を問い詰めなきゃ」
「おーい、雫」
「起きたのね」
「雫も機嫌が直ったんだな」
「お陰様で」
「もう死ぬとかやめてくれよ?雫が死んだらパンが食えないし」
「…………」
「まあ、雫がいなきゃ生きていけない俺が雫亡き後に生きてるわけないけどな!」
「あっそ」
アホは常軌運転か。
できれば意識を失う前の出来事の記憶まで失ってくれるとありがたいが、私の都合通りにはいかないからこそ大志だ。
「あ、それとさ雫」
「なに?手短に」
「悪かった」
「え?」
大志が私に対して頭を下げた。
まともな謝罪ができたなんて…………いや、そこではない。
なぜ、このタイミングで私に謝るのかが重要だ。
「何のこと?」
「雫がここに俺と雫以外の人間を入れるのを嫌がってたのに、花ちゃんを入れたことだ」
「……………」
「今後はしないと誓う、絶対に。だから死ぬとかやめてくれ」
真剣な眼差しに、思わず私の心臓が跳ねる。
ただのアホだったら、どれだけ良かったか…………こういう事があるから、私は大志に執着してしまう。
「私も取り乱して迷惑をかけた」
「ああ、大迷惑だったな。だから後でパン焼いてくれ」
やはりコイツ駄目だ。
でも、今日くらいは仕方がない。
それに。
「大志」
「ん?」
「ありがとう」
今日は本当に迷惑をかけた。
こうして素直に謝る態度から、恐らく瀬良を家に入れる前から入れるべきか否かを迷っていたのだろう。
そうでなければ、私が落ち込んだ理由だと思い至る事さえ無かったはずだ。
「良いってことよ」
「………」
「さて、場も落ち着いたし勉強再開するか」
「時間も丁度良いからお風呂に入って来なさい。その間に私も夕飯を作っておくから」
「はーい」
風呂場へと向かう大志を見送ってから、私はキッチンでの作業に取り掛かりつつ、これからの事を考えた。
確かに、私に敵対しようとする存在自体は稀有だ。
瀬良の大志への執念も深い。
対決の経験としては私も浅い。
何より常にイレギュラー的な行動を取るのが大志だ。
容易に状況は操作できない。
それでも。
「甘いわね、瀬良さん。――執念で言うのなら格の違いを教えてあげる」




