俺は何だってやるぜ!
光のない瞳が俺と花ちゃんを見る。
表情は相変わらず無い。
だが、長年その顔を見てきた俺には些細な変化も見つけられた。
今の雫――最高に落ち込んでる。
これはかつて、俺が雫に秘密で女の子とおままごとで夫婦をやっていた時に見せた顔だ。
他にも俺の誕生日ケーキがファンクラブ過激派の裏工作で予約通りに届かなかった時とか、俺が雫の誕生日に「プレゼントは俺だ!」ってふざけた時にもしていた。
「いらっしゃい、瀬良さん」
「はい。大志くんの家にお邪魔してます」
雫は何事も無かったようにカバンを拾い、花ちゃんに挨拶する。
それから俺を流し目で見た。
無言で居間を出ていき、ニ階へと直行する。その後ろ姿から漂う哀愁の空気は質量を持ち、俺の肩にずっしりとプレッシャーとして乗りかかった(極度の緊張感に思考が正常状態)。
これは、非常にマズい。
被害規模がパンどころの話ではなくなった。
あれは――俺が人生最大の恐怖を味わった日の再来となってしまう。
ばっ、と花ちゃんの方へと振り返る。
「すまん、花ちゃん!」
「え?」
「悪いが今日は帰ってくれ!勉強どころでは無い!」
「どうして?」
花ちゃんが小首を傾げる。
ひえ。
な、何か横に首が直角に曲がる人間ってゲーム以外で二回見た。すごい迫力だ。
「俺は雫の対処に行く!」
「夜柳さん、どうかしたの?」
「アイツのあの状態は、俺にとっての死活問題なんだ」
「だったら尚更だよ」
「尚更?」
「お互いの成長の為にも、一人で乗り切らないと」
いや成長とかじゃないんだって!
アレはそういう類の話とは全く別ジャンルだ。今すぐ雫を何とかしないと朝も昼も夜も眠れない体になる!
二階へ向かおうとする俺のブレザーの裾を花ちゃんが掴む。
そんなもの構うかッ………って力強い!?
や、やめて、ブレザーの裾と一緒に握られたベルトでぎちぎち腰骨がイカれそうになる。
一歩も前に進めない…………!
こうなったら、上半身と下半身を分離させるしかないな!うん、できん!
「花ちゃん。頼む、行かせてくれ!」
「どうして?」
駄目だ、完全に「どうして?」マシーンと化している。
ここに憲武がいれば状況が違っていたかもしれない。どう違っていたかは全然わからんけど。
少なくとも俺ひとりじゃ収拾が付かない!
雫の状態を変えるにしても、まずは原因の花ちゃんを家から出さなくてはならない。
間違いなくトリガーは彼女が家にいることだ。
それだけはおバカな俺でもうっすら分かる!
「花ちゃん、もし帰ってくれたら俺が神様になってあげる」
「…………」
「駄目か!じゃあ天使になるよ!」
「…………」
「これも駄目か!ハードル高ぇな!」
何が望みなんだ、この子は。
仕方ないが。
「分かった、君の望みを何でも一つ叶えてやろう」
「何でも?」
「ああ!ただし、俺が無理だと言えば無理だ!」
「…………」
俺の必死さが伝わったのか、花ちゃんが少し考えてから――にやり、と笑う。あれ、分かってる君?
「じゃあ、これからも勉強会とかしよう。あとテスト終わりに今度デートしてね」
「それ二つじゃね?」
「二つ叶えて?」
「もう何でも良いから帰ってくれ!!」
それを聞いた花ちゃんが満足げに微笑んでから、俺の服を放す。
それからカバンを持って玄関へと向かった。
「じゃあ、夜柳さんによろしくね?」
「おっけ!」
半ば強引に花ちゃんを家から出した俺は、即座に二階へと駆け上がる。
花ちゃんにはすまない事をしたが罪悪感は欠片も無い!むしろパンも無くなって、更に状況をこんな風にしていったのだから清々してるぜ!
俺は自分の部屋の前で立ち止まる。
恐らく、俺の予想が正しければ――――。
「雫、いるか?」
『いない』
「え、いないの?くそ、予想が外れた…………」
扉越しに返ってきた声がいないと告げる。
くそ、俺の部屋にもいないだと!?
あの状態の雫は早急に見つけないとより厄介なことになるのだ。
家の外には出てない筈だ、となるとトイレか!
「雫、いるか?…………返事がない、よし開けるぞ!ただのトイレ!」
おかしい、返事がないのに雫がいない!
なら父さんや母さんの部屋も調べるか。
一部屋ずつ開けて確認するが、やはり雫の姿は見当たらない。
まさか、天井裏、水道管…………電、線…………?
いや、如何に常人離れした雫とて水になったり電気になったりはまだ出来ないだろう。
そうなると何処だ…………?
分からない。
こうなったら、一度冷静になって考えてみるか。
取り敢えず、まずは自分の部屋に戻って確認しよう。
以前はベッドの上で俺の枕を抱いてしょんぼりしていたが、今回は何処へ行ったのだろうか。
「くそ、何処なんだ雫」
「…………」
「お、雫こんな所にいたのか。暇ならちょっと手を貸してくれ、いま雫が大変なんだ…………って雫いた!!!!」
見つけたぞ、オイ!
例のごとく、俺の枕を抱いたまま壁の方を向いて蹲っている。
俺は後ろから近付いて、そっと肩に手を置いた。
すると、枕に埋められていた雫の顔がこちらへと向けられる。
「大志。もう私生きるの疲れた、死ぬね?」
そう、これである。
絶望しただけならまだしも、そこで俺を見ても何も言葉を発さずに何処かへ姿をすぐ消した場合、雫はとんでもない事になる。
とにかく生きる気力を失い、二言目には死のうとする。
そうなった時は大変で、隣でニ、三時間は励まさないといけなくなる。
因みに放置するとガチで命を擲つ寸前までいく。
どうやら、今回もそのようだ。
「雫、おまえは生きなくちゃならん」
「生きても良いことないよ。大志と私だけの場所が汚された…………そう、汚された」
「汚れたなら掃除すれば大丈夫だって」
「瀬良さんを消すってこと?」
「花ちゃんは消しちゃ駄目だろ。そんな事したら雫のこと大嫌いになるぞ?」
「あ、そう――――――――じゃあ、私死ぬしかないか」
あれ、何がいけなかった?
「今回の事で分かった、もうこの家には誰もいれない。俺も雫すら入れないようにするから、な?」
「私と大志も?……………はあ、もう生きてる意味がない」
「えーと、し、雫がいなくちゃ俺は生きてけないから死んでほしくないな〜」
「……………本当に?」
お、このパターンは。
雫が濁りきった瞳を期待に光らせた瞬間は、あの言葉を出せば必勝パターンに持ち込める!
「ああ、雫が生きる活力を取り戻す為なら俺はなんだってやるぜ!」
決まった!
これを言えば、雫は確実に許してくれる。
もちろん、言葉通りに何でも雫の願いを叶えてやらなくてはならない。
それで過去には『手を繋いで寝る』、『お姫様抱っこをする』、『雫を一日最優先で動く』という条件が課せられた事がある。
いずれもかなり難易度の低い話だったから、今回だって楽にこなしてやる。
雫は枕を手放して俺を手招きする。
俺はベッドの上にいる雫の隣に腰を下ろした。
すると、彼女の白い手によってゆっくりベッドへと押し倒された。
どん、と雫が俺の胴体に鹿乗りになる。馬乗りだ。
「大志」
「はい」
雫がじっと見つめてくる。
俺もずぃっと見つめ返す。
「私と、シよ」
何を?




